四街道市の地域の歴史・文化・食 スポット 4選
-
福星寺のしだれ桜
千葉県 佐倉・八街
- 観光施設
福星寺しだれ桜は、江戸幕府樹立後の元和元年(1615年)11月に、徳川家康公が江戸から東金方面に鷹狩りに来たおり、御成街道沿いの金光院(福星寺の親寺)へ宿泊のため立寄りました。本堂の前のしだれ桜を見て「これは珍しい桜だ」といわれことのほか讃られしばしの間この桜の木に手をかけられたことから檀家の人達は「お手かけの桜」と呼ぶようになったといわれています。縁起をかついだ福星寺は金光院のしだれ桜を株分けして頂き、創建を記念して本堂の前に植えられたとのことです。このしだれ桜は樹齢約380年余りで目通り周囲3.3メートル、樹高14メートルで素晴らしい花を咲かせます。3月中・下旬の観桜時期に入ると近隣から多くの見物客が訪れ賑わいます。また四方を土塁と空堀に囲まれた下総国守護大名千葉氏に関連する中世の城址でもあります。福星寺は元和2年(1616年)に權僧都宥照によって開山されました。
-
ルボン山(大土手山)
千葉県 佐倉・八街
- 観光施設
口コミ1件
「西の長崎、東の佐倉」ともいわれるほど蘭学が盛んであった佐倉藩は、江戸時代中期より南波佐間(四街道市)や太田(佐倉市)で行われていた武衛流砲術を、西洋式の高島流砲術へ切り替えるにあたり、1841年(天保12年)に砲術射的の標的(大土手山)を新たに下志津原へ築造しました。そして大土手山を標的とした西洋砲術練習を江戸時代の1861年(文久元年)から始め、明治初期まで行われていました。開国後、明治政府は1873年(明治6年)に陸軍指導者としてフランス陸軍ジョルジュ・ルボン砲兵大尉を招きいれ、大尉の指導により大土手山を改築し、陸軍砲兵射的学校(後の陸軍野戦砲兵学校)を設立しました。その後、大土手山はルボン山とも呼ばれるようになりました。ルボン山では平和の象徴として春に見事な桜が開花します。
-
亀崎ばやし
千葉県 佐倉・八街
- 郷土芸能
亀崎ばやしは、南北朝時代の創建(永和年間:1375年から1379年)と伝わる亀崎熊野神社の祭礼で奉納される御囃子です。おかめ、ひょっとこ、白きつねなどの面をかぶり、おはやしに合わせ道化などを演じます。この亀崎ばやしは神田ばやしを源流とし、利根川や印旛沼を経て伝承されたといわれています。古くは、大正年間(1912年〜1926年)に成田、佐倉のお祭りにも遠征したといわれています。栗山地区の栗山ばやしに次いで復活し、郷里の民俗芸能(里神楽)として守りつづけられています。平成15年(2003年)3月1日に四街道市の無形民俗文化財に指定されました。また亀崎熊野神社は、古墳〜中世期に築造された古墳跡(殿台遺跡)の字・殿台に鎮座し、広範囲に土塁・郭等に囲まれた下総国守護大名千葉氏に関連する中世の城址でもあります。かつては物井古屋城・亀崎城遺跡を中心とする、城塞地域として中世期に栄えていたといわれています。※祭礼 産業まつり(河童釣りを披露)等でご覧になれます※亀崎ばやし写真提供:故 清野文男(権利者の許可なく転載することは法律により禁じられています)
-
栗山ばやし
千葉県 佐倉・八街
- 郷土芸能
栗山歌舞伎一座の伝統を受け継ぐ「栗山ばやし」は、宝永3年(1706年)5月に創立された香取神社の祭礼で演じられます。五曲の演目で面はおかめ、ひょっとこなどがあり、太鼓、笛、鉦で構成されています。祭の当日は近在より多くの人が訪れ賑わいます。昭和58年(1983年)4月15日に四街道市の無形民俗文化財に指定されました。また栗山香取神社は紅葉の名所でもあります。
四街道市の地域の歴史・文化・食探し
四街道市で体験できる地域の歴史・文化・食の店舗一覧です。
アソビュー!は、四街道市にて地域の歴史・文化・食が体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの四街道市で地域の歴史・文化・食を体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。