吉野・奥吉野の文化史跡・遺跡 スポット 16選
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吉野山
奈良県 吉野・奥吉野
- 史跡
吉野山を訪れると、まるで神秘的な別世界に足を踏み入れたような感覚に捉われます。日本全国から多くの旅行者が訪れるこの地は、役行者や蔵王権現への深い信仰の証とも言える美しい桜で知られています。 神々しい桜の花は、吉野山を訪れる人々の目を楽しませ、心を洗い清めてくれます。下千本、中千本、上千本、奥千本と分けられる四つのエリアで見る桜の風景はそれぞれ異なり、春の訪れと共に山肌一面に広がる桜はまさに息を呑む美しさです。 この美しい桜は、1300年前の役行者の時代から植え続けられてきました。彼が修行を通じて祈り出した金剛蔵王権現を桜の木で神聖視し、これを祀ることで信仰の証とされました。 加えて、吉野山は一年を通じて様々なイベントが開催され、春と秋のライトアップや、鬼フェスといった特色ある祭りが訪れる人々を楽しませます。また名所や社寺仏閣も点在し、廃寺跡や宿坊、歴史名所を訪れることも可能です。 吉野山は、美しい自然と深い歴史の調和が見事に表現されている場所です。一度足を踏み入れたら、その魅力に引き込まれ、何度も訪れたくなることでしょう。観光旅行はもちろん、修行や瞑想の場としても最適な場所で、訪れた人々には忘れられない思い出と深い学びを提供してくれます。
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宮滝遺跡
奈良県 吉野・奥吉野
- 史跡
吉野川畔にあり、縄文中期、弥生、古墳時代や奈良時代の土器が出土した。吉野離宮跡との説がある。
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吉野朝宮跡
奈良県 吉野・奥吉野
- 史跡
後醍醐天皇が足利尊氏に攻められ吉野山に逃れた際に皇居となった所。今は記念碑が立っている。
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西行庵
奈良県 吉野・奥吉野
- 史跡
西行が幽居した庵で、杉や桜の古木がおおう山間の地。西行を慕って訪れた芭蕉の句碑なども近くにある。
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後醍醐天皇陵
奈良県 吉野・奥吉野
- 史跡
吉野行宮で崩御した後醍醐天皇を葬る陵。如意輪寺にあり、京都に向けて築いてあるという円墳の御陵。
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比曽寺跡
奈良県 吉野・奥吉野
- 史跡
推古天皇が百済の仏工に作らせた香木の観音像を安置し、隆盛をきわめたというが、現在は礎石が残るのみ。
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岡峯古墳
奈良県 吉野・奥吉野
- 史跡
玄室に石棚を持つ古墳の中では吉野地方最大,多数の出土品があります。
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石の廟塔
奈良県 吉野・奥吉野
- 史跡
鳳閣寺の創建者、理源大師の廟塔、百貝山中腹にある。
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熊野古道 小辺路
奈良県 吉野・奥吉野
- 旧街道
高野山から始まり、野迫川村・十津川村を通って熊野本宮へ参詣する道。 紀伊半島の山岳部を一直線に通っている道で、4日間程度かかるコース。
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天誅組遺跡
奈良県 吉野・奥吉野
- 史跡
西熊野街道最大の難所だった天辻峠の新天辻トンネルができてぐんと往来が楽になった。トンネルの南すぐのところに「鶴屋治兵衛翁頌徳碑」と刻んだ石碑が建っている。その上の天辻小学校には「天誅組本陣遺跡」の碑がある。五条代官所襲撃で旗上げした天誅組は十津川を根拠にしようとし,木製の大砲を持ちこんで鶴屋治兵衛宅に本陣を置いた。ちなみに当時の十津川郷とは,天辻峠より南の大塔・野迫川・十津川の3村をさしていた。
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花折塚
奈良県 吉野・奥吉野
- 史跡
元弘2年(1332年)、熊野別当定遍の軍勢と戦い討死した、大塔宮護良親王の忠臣片岡八郎の墓所です。後年道行く人々が、花を折って供えたところから折花塚(おりはなづか)と呼ばれ、後に花折塚と称せられるようになりました。
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黒木御所跡
奈良県 吉野・奥吉野
- 史跡
1333年の秋、倒幕を企てた第96代後醍醐天皇の第3皇子・大塔宮護良親王は、難を避けてしばらく十津川郷に身を潜められました。この時、十津川郷民は、谷瀬に仮の御殿を建て、親王をお守りしたといいます。その後、親王は尊氏の弟直義により害され、28歳の生涯を終えましたが、1905年、郷民によって谷瀬に「黒木御所舊址(きゅうし)」の碑が建てられました。
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伊勢街道南路
奈良県 吉野・奥吉野
- 旧街道
中央構造帯に沿い東西に走る道で、この街道の周辺には東に伊勢神宮、中部山岳地帯に吉野山・大峰山など修験者の霊山や真言密教の本山である高野山があり、西の方には粉河寺・根来寺や紀三井寺などがある。このため伊勢参宮や山上山参り、高野詣で、西国三十三ヶ所遍路の巡礼者や遠く金比羅詣でを兼ねて大いに利用された。 高見越え伊勢街道と東熊野街道が交わる要衝に道標が建てられ、江戸を示す道標としては最西端に位置する。
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鳥見霊畤
奈良県 吉野・奥吉野
- 史跡
神武天皇が鳥見山に霊畤(れいじ・祭場)を立てたという伝説にちなむ史跡です。県下では他3ヶ所に伝承があります。
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小牟漏岳
奈良県 吉野・奥吉野
- 史跡
古事記によると雄略天皇4年(460)、天皇が小牟漏岳で狩りをされ、御呉床に座っていると、虻が天皇の御腕を喰った。その瞬間蜻蛉(とんぼ)が飛んできて、その虻をくわえて飛び去った。天皇は、蜻蛉をほめて御歌を詠み、この地を蜻蛉野(あきづの)と名づけた。 み吉の袁牟漏が嶽に猪鹿伏すと誰れそ 大前に秦す やすみしし我が大君の猪鹿待つと呉床に坐し、白栲の衣手著そなふ手腓に虻かきつき、その虻を蜻蛉早咋ひ かくの如 名に負はむと そらみつ 倭の國を蜻蛉島とふ、日本書紀にもこのことが記されています。 小牟漏岳に続く山上に神武天皇が上小野の榛原、下小野榛原と名づけて皇祖天神を祀った「鳥見霊畤跡」があります。
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神武聖蹟「丹生川上」
奈良県 吉野・奥吉野
- 史跡
神武天皇の丹生川上での御親祭。 昭和15年文部省による神武聖蹟調査の第1回目の決定があり「丹生川上の地」は小川村(現東吉野村)丹生川上神社付近であると発表された。日本書紀によると、戊午の年9月、神武天皇は、大和平定のため夢にあらわれた天神の教えのとおり、天香具山の社の中の土を取って平瓮と厳瓮(御神酒を入れる瓮)をつくり、丹生の川上に上って天神地祇を祀られた。 神意を占って、「厳瓮を丹生川にしずめよう。もし魚が大小となく全部酔って流れるのが真木の葉の浮き流れるようであれば自分はきっとこの国を平定するだろう。」と言われて厳瓮を丹生川に沈めた。しばらくすると魚はみな浮き上がって口をパクパク開いた。椎根津彦がそのことを報告すると、天皇は大いに喜んで丹生の川上の五百箇の榊を根こぎにして諸々の神をお祀りされた。このときから祭儀のときに御神酒瓶が置かれるようになった。 丹生川は現高見川で、高見・四郷・日裏の三川合流し青い水をたたえた淵は、神武天皇が厳瓮を沈めたところだと伝えられ、夢淵と呼ばれている。
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