飯能の神社・仏閣 スポット 20選
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吉見観音(安楽寺)
埼玉県 飯能
- お寺・寺院・仏閣
岩殿山安楽寺は坂東11番の札所で古くから吉見観音の名で親しまれてきた。本尊は聖観世音菩薩で、吉見観音縁起によると、今から約1200年前に行基菩薩がこの地に観世音菩薩の像を彫って岩窟に納めたことが始まりとしている。平安時代の末期には、源頼朝の弟範頼がその幼少期に身を隠していたと伝えられ、安楽寺の東約500mには「伝範頼館跡」と呼ばれる息障院がある。この息障院と安楽寺は、かつては一つの大寺院を形成していたことが知られている。天文6年(1537年)後北条氏が松山城を攻めた際に、その戦乱によって全ての伽藍が消失し、江戸時代に本堂・三重塔・仁王門が現在の位置に再建されたと伝えられている。毎年6月18日は「厄除け朝観音御開帳」が行われ、この日は古くから「厄除け団子」が売られている。現在でも、6月18日は安楽寺の長い参道に出店が立ち並び、深夜2時ごろから早朝にかけて大変な賑わいとなる。
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伊古乃速御玉比売神社
埼玉県 飯能
- 神社・神宮
二ノ宮山の東方にあり、平安時代に編纂された延喜式神名帳に記載された古社の1つであり比企総社となっている由緒正しき神社です。社叢がおもしろい。
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泉福寺
埼玉県 飯能
- お寺・寺院・仏閣
本尊の阿弥陀如来立像は平安末期から鎌倉初期にかけての作品で、定朝の様式を持つ当時の最高傑作といわれています。
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鬼鎮神社
埼玉県 飯能
- 神社・神宮
畠山重忠が館を築いたとき,館の鬼門にあたる地に,この神社を造った。衡立船戸神と八衢の二柱をまつる。 節分祭は毎年2月3日に開催。(午後3時から豆まき)
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向徳寺
埼玉県 飯能
- お寺・寺院・仏閣
時宗の寺院。本尊の銅造阿弥陀如来及び両脇侍立像は国の重文。
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班渓寺
埼玉県 飯能
- お寺・寺院・仏閣
木曽義仲の愛妻である山吹姫の開祖と伝えられています。境内の墓地には山吹姫の墓と伝えられる五輪塔があります。
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大聖寺(子育観音)
埼玉県 飯能
- お寺・寺院・仏閣
小川市街や秩父連山の展望地にある天台宗の古刹。歴応3年(1340年)にこの地域の土豪と思われる平貞義が希融法印を招請して開創したと伝えられ、本尊は如意輪観音である。 朱塗りの観音堂の信仰が厚く、安産、子育て、厄除の観音として知られる。「下里観音」あるいは「子育観音」という名前で親しまれている。 収蔵庫に収められている石造法華経供養塔(六面幢)は同所の板碑とともに国指定有形文化財となっている。六面幢は6枚の緑泥石片岩の板碑を六角筒型に組み合わせ、笠石を乗せたもので、塔の高さは1.36mあり、背面には康永3年(1344年)3月17日の紀年銘がある。大聖寺の開山希融以下50人が亡き聖霊菩提のために法華経一千部読誦を行った供養塔である。開基の平貞義が「源」の改刻と指摘されている。板碑は、同年10月18日、北陸使君禅義の十三回忌に当たり、家臣が忠義の心の証として建てた追善供養塔と解釈されている。
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普光寺
埼玉県 飯能
- お寺・寺院・仏閣
正保2年(1645年)創建の天台宗比叡山の格式高い末寺。江戸時代は上野寛永寺の直末でした。地元では中爪の大師様と親しまれています。徳川幕府からの御朱印状や町指定有形文化財の「絹本着色徳川家康画像」一幅が所蔵されています。この画像は中爪村の知行主であった高木甚左衛門正則が3代将軍家光に懇願し、寛永寺での盛大な開眼式の後、下げ渡されたものです。正則はこの画像を安置するために、正保2年5月、中爪村総鎮守八宮神社に近いこの地に、普光寺を開基したと伝えられています。毎年1月3日に行われる大師祭は、厄除け祈願の行事で、「角大師」の護符をいただき家の門口に貼る風習があります。当日は、多くの参拝者が訪れ、だるま市や、火渡り行事「柴燈護摩修行」が行われます。山伏修行の後に希望者が火渡りを行うこともできます。
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大梅寺
埼玉県 飯能
- お寺・寺院・仏閣
土地の豪族猿尾氏が1242年都幾川村にある霊山院の栄朝禅師を招いて開山したとされています。将軍守邦親王が当地で病没されたので大梅寺の住職円了により厚く葬られたそうです。江戸時代の俳人太魯の墓もあり、本堂左手には町指定有形文化財の「大梅寺二連板石塔婆」があります。この「大梅寺二連板石塔婆」は阿弥陀種子と光明真言の組み合わせが彫られています。頂部に二つの二条線と山形を並べた一石双式板碑の典型的なものです。暦応4年(1341年)10月の紀年銘があります。
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養竹院
埼玉県 飯能
- お寺・寺院・仏閣
太田道潅追悼のため甥の資家が建立した臨済宗の寺。
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廣徳寺
埼玉県 飯能
- お寺・寺院・仏閣
13世紀初め、尼将軍北条政子が源頼朝の家臣、美尾屋十郎廣徳をしのび、建立したものと伝えられています。数少ない唐様仏堂で、室町時代の初・中期ごろ再興されました。
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鳥居観音
埼玉県 飯能
- お寺・寺院・仏閣
白雲山に屹立する白亜の救世観音が目を奪う。4月には山桜、紫ツツジがきれい。特に秋の紅葉は美しい。「白雲山」の名称は、山頂を流れる白雲の見事さから名付けられた。その頂きには高さ33mの救世大観音が建立されているのをはじめ、全山に三蔵塔、鐘楼堂、納経堂などが点在する。北野武監督の映画『Dolls』の撮影場所としても有名。 朝課、写経会、坐禅会も随時開催。
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岩室観音
埼玉県 飯能
- お寺・寺院・仏閣
弘法大師が岩窟を選んで高さ一尺一寸(36.4cm)の観音像を彫刻してこの岩窟に納め、その名前を岩室山と号したと伝えられる。武蔵松山城跡跡主が代々信仰し護持していたと伝えられており、天正18年(1590年)豊臣秀吉が関東に出陣した際に武蔵松山城跡跡の落城に伴い建物の全てが焼失したといわれている。現在のお堂は江戸時代の寛文年間(1661〜1673年)に龍性院第三世堯音が近郷の信者の助力を得て再建したものと伝えられている。お堂の造りは懸造り様式で、江戸時代のものとしてはめずらしいものである。岩室観音は「比企西国三十三所観音札所」の第三番であるが、札所めぐりとしては「西国三十三所」「坂東三十三所」「秩父三十四所」が有名で、「比企西国三十三所」は、それほど知られてはいない。比企西国三十三所は、遠隔地を巡礼できない人々のために享保8年(1723年)に開設されたと言われており、江戸時代にはこうした地域ごとに完結する札所めぐりが数多く創設されたようである。また、ここには88体の石仏が収まっているが、これは四国八十八箇所の霊地に建てられた本尊を模したものである。この弘法大師が修行した四国八十八箇所を巡拝することを「遍路」と呼び、観音霊場を巡る「札所めぐり」とは区別される。.
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息障院(伝範頼館跡)
埼玉県 飯能
- お寺・寺院・仏閣
吉見町大字御所地内の息障院がある一帯が、源範頼の居館跡と伝えられている。源範頼は頼朝の弟で平治の乱後、岩殿山に逃げ比企氏の庇護によって成長した。頼朝が鎌倉で勢力を得た後も吉見に住んでいたと思われ、館を中心とするこの地を御所と呼ぶようになったと言われている。範頼は遠江国蒲御厨かばのみくりや(浜松市)で生まれたことから 蒲冠者(かばのかじゃ) とも言われているが、頼朝・義経の生涯が良く知られていることに対して、不明なことや謎とされていることが多い。源平の合戦では義経と共に平氏追討軍を指揮していたが、頼朝が征夷大将軍になると謀反の疑いをかけられ、建久四年(1193年)8月に伊豆に流された。範頼のその後については不明であり「修善寺で自刃」「現横浜市の太寧寺(だいねいじ)で自刃」「伊予国(愛媛県)の河野氏を頼り、そこで没した」「北本市石戸宿で没した」などの諸説がある。範頼没後はその子範円(のりかど)一説には範国(のりくに)、 為頼(ためより)、義春(よしはる) 、義世(よしよ)に至る五代がこの館跡に居住し、範円以降は吉見氏を称した。永仁四年(1296年)、範円の孫義春が謀反の罪で殺害され、次いで義春の子義世も謀反の罪で捕らえられ殺されるなど、北条氏の弾圧を受けた。現在の息障院がこの地に移ったのは、室町時代の明徳年間と伝えられるが、今なおこの寺の周囲には、範頼の館建立時に作られた堀の一部等が残っている。
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休山寺
埼玉県 飯能
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竜穏寺の末寺,石坂山と号す。本尊は釈迦如来。
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円正寺
埼玉県 飯能
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本尊は聖観音。良弁作の不動尊像を安置。
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金澤寺
埼玉県 飯能
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浄蓮寺
埼玉県 飯能
- お寺・寺院・仏閣
松山城主上田家累代の墓がある。板石塔婆が興味深い。
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岩室観音堂
埼玉県 飯能
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八宮神社
埼玉県 飯能
- 神社・神宮
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