三陸海岸の郷土芸能 スポット 20選
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黒森神楽
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
国指定重要無形民俗文化財。指定:平成18年3月15日 所有者:黒森神楽保存会
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山口太鼓
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
公演活動は国外へ及ぶ。勇壮で力強い創作太鼓
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宮古あばれ太鼓
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
海を表現した創作太鼓。
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津軽石さんさ踊り
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
盛岡さんさ踊りに独自の創作を加え継承。
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津軽石藤畑虎舞
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
笛,太鼓,かねの囃子にのった勇壮な虎舞。
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花輪鹿子踊
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
鎌倉時代に起源をもつ由緒ある踊り。
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牛伏念仏剣舞
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
鎧をつけ抜刀して舞う荒舞。
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赤澤鎧剣舞
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
赤澤鎧剣舞は阿修羅系の仮面を持つ鎧剣舞で、盆の精霊供養として古くから伝承されてきました。毎年、盆に合わせて地域内の各家庭や西光寺などを回り、平家の武者たちの亡霊が次々に退散していく様子などを演じます。 明治初期から行われ、以前は脱垂剣舞の装束でしたが、100年ほど前からは鎧を着用し舞うようになりました。踊り手は10人で、これに囃し方がつきます。大船渡の代表的な郷土芸能として貴重です。
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門中組虎舞
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
鎌倉時代、末崎泊里浜の麻腐島に神輿・祭器などを積んだ船が漂着。 地元の人々は、後にこれを泊里熊野神社に奉納した。その1つの獅子頭をもって、 獅子舞を奉納すると、「悪魔を払い、五穀豊穣、大漁の霊験あらたかなるものあり」と、門之浜・中井両地域の氏子たちがその獅子頭の形をとり「虎舞」と改め、現在に至る。 獅子頭につけた幕には、3人ほどが入り、肩車などをしてアクロバティックな演技を行う。 東日本大震災の津波で装束や伝承館が被災したが、伝統を絶やさぬよう一日も早く虎舞を復活し、地域の元気を取り戻そうとしている。
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石橋鎧剣舞
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
石橋鎧剣舞は、阿修羅系の仮面をもつ鎧剣舞です。平泉高館に滅ぼされた源義経の亡霊退散の故事に由来しており、およそ135年前の慶応年間に石橋・田代・長岩の青年有志が六郎峠を越え上有住檜山地域に通い伝授されたものと言われています。舞は、七稚子(ななつご)・五ヶ棒・中踊り・おんべこ踊り・なぎなた・捲立(まきたて)・高舘(たかだて)・浪(なみ)合わせ・回向(えこう)の9つからなります。ササラが2面あるのが特徴です。踊り手は10名で、これに囃し方がつきます。大船渡の代表的な民俗芸能として貴重です。
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鷹生獅子舞
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
文亀元年(1501年)に始まり、五葉山の八合目にある山王権現神社の山岳信仰の流れと伝えられ、曲目は渡り囃子から始まり、これは諸々の人達を祓い清める笛、太鼓の音にあわせて大神楽(だいかぐら)舞、権現(ごんげん)舞、御神楽(みかぐら)舞など6種類あります。ことにも御神楽舞は平庭踊り、狂い獅子踊り、視組(しくみ)重ね踊りとあり、これは悪魔に立ち向かう姿を現し神々の使いをする役目があり、また鷹生の里から悪魔悪病を除け護りのため振るい立つ姿を表現したもので常に神々の御前になり、神々をお護りするという型の踊りです。非常に勇壮な踊りで他に類のない鷹生地域独特な踊りでもあります。これらの権現様は地域の五穀豊穣、家内安全を祈願し約400年間豊かで平和な鷹生の里の守護神として受け継がれてきた伝統ある郷土芸能です。
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川原鎧剣舞
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
阿修羅系の仮面を持つ鎧剣舞です。踊りは源義経にまつわる平家の亡霊退散の故事に由来したものといわれています。川原鎧剣舞は、江戸時代末期から地域の青年有志により踊り継がれてきましたが、一度途絶え、明治時代に復活しました。昭和11年には立根町川原地域と立根町久保地域の住民が協力して保存会を結成し、現在はお盆の回向(安養寺での奉納、初盆の家を訪問し供養)地元の児童生徒への伝承などをおこなっています。踊り手は8名で、これに囃し方がつきます。近くの寺院や新墓に奉納するほか、表遊びと称して部落の広場や権勢家の門前で演じます。
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川内梯子虎舞
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
昭和25年、日頃市に岩手開発鉄道が開通したことを契機にして、末崎の「平組梯子虎舞」から移入され、現在まで伝わる川内地域の郷土芸能となりました。 笛と太鼓の囃子にあわせ、踊りながら縦15mの梯子を上下します。
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碁石七福神
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
七人の神様が、それぞれの囃子に合わせて舞いを披露します。七福神を構成する神々は、一般には、恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋尊、寿老人、福禄寿の七神をいい、室町時代に民間信仰として始まったとする説が有力である。但し、初期の七福神構成は必ずしも一定しておらず、現在の構成が確立したのは江戸時代になってからといわれている。上野寛永寺の住職天海僧正の進言に従い、徳川家康が祭祀したものが、全国に広まり、固定化されていったものともいわれるが、その間の事情については必ずしも定かではない。七福神のルーツそのものは、中国の八福神(八仙)といわれている。勿論、構成する福神は全く異なるが、女仙(神)が一人設定されているところは同じである。
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長安寺太鼓
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
昭和46年秋に有名な江戸助六太鼓に着目した地元有志が、湯島天神太鼓保存会の代表小輪瀬(こわせ)氏の教えを受け、以後長安寺太鼓保存会を結成。曲目は大船渡市内の名勝旧蹟を表現した七曲よりなる。
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中井沢気仙甚句
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
気仙甚句は、気仙地域に伝わっている数少ない民謡の一つで気仙地方で歌い踊られていますが、中井沢に伝わる甚句が「元囃子」といわれています。「遠島甚句」の同類で、古い姿のものは最初に「ハァー」をつけず、囃子言葉もなく、すぐ唄いだす。祝い唄として唄われているものもあるが、詞型は七・七・七・五で、終わりの五に「ホニ」を入れ、七にして唄う甚句の定型である。
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平七福神
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
平七福神は、動きが活発で、女性が演じることが多い弁財天を男性が演じることが特徴です。
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前田鹿踊り
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
今に伝わる伝書及び由来書によると本吉郡入谷村の四郎兵衛の弟子の入谷村善九郎が貞亨年中(1684-1687)日頃市の金山に働きに来ていた際に田茂山内野の七右衛門と、猪川村前田の市兵衛に伝授したものと伝える。その後、市兵衛の弟十右衛門が伝授されて元禄年中(1688-1703)まで踊り、市兵衛の子の市郎兵衛、そのまた子の清右衛門が継承する。 何よりも、この前田鹿りは九人踊りであるのが特徴である。本来は八鹿にリーダー役の坊主(和尚)が入ったのが行山流の始めだと思うが、現在は殆どの組が八人踊りである。しかし前田鹿踊りでは小鹿を入れて九人踊りを守っている。これは古態を残した形と言える。いづれ、浜では暴れん坊の異名を取る行山流前田鹿踊りである。
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甲子鎧剣舞
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
阿修羅系の仮面を持つ鎧剣舞です。甲子鎧剣舞は、幕末の頃マツベヤ屋敷の松五郎氏が松島の端巌寺において伝授されたことに始まると伝えられ、形式作法から衣川剣舞の流れをくむものと思われますが、一説には世田米山谷剣舞に教えを受けたとも言われ、定かではありません。雄壮闊達な踊りは、見るものの心を引きつけます。踊り手は8名で、これに囃し方がつきます。昔は気仙地方における鎧剣舞の中心的存在でした。大船渡の民俗芸能として貴重です。
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盛町曲録
岩手県 三陸海岸
- 郷土芸能
江戸時代の1826(文政9)年から伝わる芸能「盛町曲録(きょくろく)」は大船渡市の無形文化財に指定されている。180年余りの歴史を有する曲録は、祭神が着座する台座を指している。本来は御神馬の背に五色の座布団を重ね、牡丹花で飾り付けた最上段に金幣を立てるもの。盛町の天照御祖神社の祭礼(盛町の五年祭)のとき、町内の通りで行われます。行列は、馬子、歌師など18名と馬1頭から構成され、馬の背には曲録(花を飾った籠)を飾ります。大船渡の代表的な民俗芸能として貴重です。
三陸海岸の郷土芸能探し
三陸海岸で体験できる郷土芸能の店舗一覧です。
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