白神・男鹿の郷土芸能 スポット 20選
-
上砂子沢番楽
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
上砂子沢番楽は、三種町の無形文化財に指定されている上岩川に伝わる郷土芸能の一つです。この番楽は北秋田市の根子番楽の流れを組むと言われています。特徴は、テンポのよいスピーディーな武士舞で、猟師が伝え発展させたと言われる勇ましい芸能です。上岩川の郷土カルタにも「瑠璃殿に 番楽奉納 上砂子沢」と読まれています。三種町芸術文化協会が主催する町民族芸能大会で披露されています。
-
山谷作々楽
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
国替えの折りに秋田領内の湯沢峠で、佐竹義宣公が広大な田園の稲の実を扇にかざして舞ったときのささらである。
-
達子ささら
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
起源は明らかではありませんが、能代市、道地の流れをくみ、町内で唯一女性がやっこを舞っています。現在のささらは、昭和58年に40年ぶりに集落若者たちにより、伝承者から身振りや口笛などを聞きながら再生したもので、当時のものとは、若干違うものになっています。しかし、そのアレンジを加えた笛、拍子などは、当時のものに優るとも劣らないと村人たちに絶賛されています。やっこ踊りは子どもたちも舞います。8月13日、14日に神社、集落「宿」で開催されています。
-
羽立ささら
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
甚だ根拠の明らかでない伝承しか残っていません。言い伝えによれば、羽立集落の開発も戦国末期ではないかと考えられ、村民は伝承の時代を江戸中頃と考えてます。集落近くに館城という所があります。また伝えによれば、どこからともなく来た3匹の獅子のうち2匹は長旅のあまりの疲労にどこかにはぐれたそうです。最も体力があった雄獅子だけがかろうじてここまでたどりついたといいます。そこで村人は、雄獅子の面を手本に中獅子と雌獅子の面を作ります。その3匹を「ささら」の面にしたと伝えられています。現在は、8月14日、15日に神社境内、集落「宿」で開催されています。
-
志戸橋番楽
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
天正年代(1573年〜1592年)、能代市母体の神官、安部降順氏(25代目当主)の祖で、修験者安部家3代目大鏡院昭山師が修練のため上方にのぼりました。そこで田楽の一種山伏神楽を習得して帰り、桧山舞い(母体番楽)を始めたと記録にあります。その系統に属するとされています。当時の人々にとって農林業は言うに及ばず、日々の生活はすべてこれ神のお恵みによるものと信じられていました。その神へのなかだちが修練者であったことから、この番楽も神への信仰行事として急速に近隣へ伝達されました。志戸橋は古い集落であった上、古来桧山とは深いつながりがあります。母体集落と極めて緊密な関係にあることなどから志戸橋集落に伝えられたものです。現在は、8月15日に集落、神社境内等において開催されています。県指定無形文化財に指定されています。
-
中館番楽
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
約350年前阿仁町根っ子から伝わった番楽。けものの皮や干胃等を売る商人が宿をとった折りに待ったのが始まりと伝えられている。
-
森岳歌舞伎
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
森岳歌舞伎は、古くから伝えられている郷土の古典芸能です。発祥等については、残念ながら大正14年の大火により八幡神社、社務所が焼失し、記録となるものを失ってしまったため明らかではありません。古老の言い伝えや識者の推定では、文化、文政年代(1804年〜1830年)といわれています。その昔、巡国の山伏(六部)がこの地にきて病み臥してしまいました。山伏は土地の神社に篭もり祈願し、村人の看護もあり全治しました。そのお礼にと演じたのが始まりと言われています。これが毎年、旧8月15日の祭典に奉納劇として演じられました。大正時代には各地へおもむき、森岳芝居と称され、田舎芝居として自他共に容認されてきたものです。昭和39年に奉納劇を鑑賞した県の専門員(故奈良環之助、故三浦一郎氏)によれば、江戸のものでも浪花のものでもなく、一種独特の型をもつ珍しい存在であり「人形浄瑠璃」の流れをくむものではないか、との評でした。規模の大きさ、活達流伸な動作の変化の妙味は、まことに貴重なものであるとの太鼓判を押され、町で保存しなければならないと誓い合い今日に至っています。現在では、森岳八幡神社境内の芸術会館において9月第3日曜日(予定)の祭典当日に奉納されています。
-
向達子番楽
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
正式には向達子番才楽ともいいますが、この番楽の起源については、甚だあいまいな伝承しか残っていません。安政元年(1854年)に阿仁根子番楽の流れを組む二ツ井町仁鮒(旧轟村)の神官を招き、集落の若者一同がその教えを受けました。一部は明治の中頃、当集落の北林東吉という者が五城目の馬場目へ出稼ぎ中、その地で舞われていたものを習って帰ったものです。そしてそれまでのものと合わせて今のような形に整えたとされています。これは、太平洋戦争までは若勢組が継承してきました。しかし終戦後は向達子番楽保存会を組織し、後継者育成に努め現在に至っています。
-
泉八日ささら
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
西暦 685年、斉明天皇期の阿部比羅夫東征の時、その配下の一軍が八竜町の明神裏手に上陸しました。言い伝えによれば、この地の民の人心安定に用いられ、船頭藤原某より泉八日「ささら」が伝えられたとされています。しかし、史実的には明らかではありません。昭和27年、森岳温泉の開発により、急速に地元郷土芸能として注目を浴びるようになりました。現在は、8月14日に神社、境内で開催されています。
-
石川の駒踊り
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
慶長7年(380年前)佐竹義宣公が常陸から出羽に遷封された。その際、道中の主君の旅情を慰めるために家臣たちが演じたのが始まりという説がある。正装した駒6頭が笛や太鼓、歌い手を従えて勇壮に踊り回る。
-
和田ささら
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
100年近く一度も絶える事なく演じられてきた芸能で舞の形式には多少の差はあるが、他の集落と同様、勇壮な舞である。
-
八郎大鼓
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
八郎潟の八郎太郎にまつわる三湖物語を和大鼓で表現
-
檜山舞
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
永禄の頃修験大鏡院照山によって伝えられたとしている。19番の舞が伝承されており,各舞の初めに幕出の唄が歌われる。拍子木で舞台を叩き拍子を取る。
-
願人踊
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
江戸時代に願人坊主により伝えられたといわれる。この踊りの中には歌舞伎、忠臣蔵5段目「山崎街道」の寸劇が入っていて、この踊りを一層楽しいものにしている。一日市神社の祭典日に神前で披露したあと、町内各家々をまわる豊作祈願の踊り。女装した踊りと寸劇があるユーモラスな内容。
-
五城目天翔太鼓
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
平成2年に誕生した町の新しい郷土芸能。
-
山内番楽
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
長い伝統を誇る民俗芸能「番楽」が本町の4集落に伝承されている。毎年5月第3土曜日の夜、五城目神明社神楽殿において番楽競演会を行って奉納している。
-
切石作々楽踊
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
今から三百数十年前、慶長年間佐竹義宣公が常陸から秋田へ遷封の際、随従してきた家臣によって伝えられました。獅子舞、奴舞、棒術、万才等が披露されます。
-
羽立大神楽
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
その昔1人の至芸に達した芸人がこの里に訪れたことから始まったと伝えられています。楽手、舞手、口上唄手からなる獅子舞等が披露されます。
-
仁鮒ささら踊
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
今から三百数十年前、慶長年間佐竹義宣公が常陸から秋田へ遷封の際、随従してきた家臣によって伝えられました。駒踊り、獅子舞、奴踊り等が披露されます。
-
富根報徳番楽
秋田県 白神・男鹿
- 郷土芸能
寛政5年,川井村(合川町)の筏流しの人達によって阿仁川から米代川の宿場である飛根に伝承されたといわれています。水の舞(3人で),鳥舞(2人でおんどり,めんどり),えびす舞(1人で)等が披露されます。
白神・男鹿の郷土芸能探し
白神・男鹿で体験できる郷土芸能の店舗一覧です。
アソビュー!は、白神・男鹿にて郷土芸能が体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの白神・男鹿で郷土芸能を体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。