萩・長門の郷土芸能 スポット 20選
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滝坂神楽舞
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
11月2日の黄幡社(おうばんしゃ)例祭に奉納される神楽。 1764年(明和 1)ごろに、3年続きの大飢饉と牛馬の疫病から免れようと厄払い祈願の神楽を奉納したと伝えられています。
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金社神楽舞
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
福賀の金社地区に伝わる神楽舞(石見)です。現在は、地元の福賀中学校の生徒たちが、総合的な学習の時間を利用し、伝統を引き継いでいます。
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惣郷神楽舞
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
惣郷御山神社で行われる神楽舞(岩戸)です。
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神楽舞
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
滝坂と兎渡谷の2地区に現存している神楽です。 三隅八幡宮の9月16日の例祭で奉納されます。 また、11月2日には、滝坂黄幡社へ奉納されます。
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俵山女歌舞伎
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
明治後期に、雛勝という旅芸人が湯町に住み着いたのが始まりと言われ、「雛勝芝居」とも呼ばれます。 演技者はすべて女性で上演種目は54種にものぼります。
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向津具楽踊
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
200年ほど前、この地一帯に牛が死ぬという疾病が流行し、この病気から牛を守るためと、五穀豊穰、大漁、家内安全を祈願するため、小部落の氏神様に奉納したものです。 現在は向津具八幡宮の秋祭り(9月15日)に奉納されています。
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川尻鯨唄
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
川尻捕鯨は元禄11年から操業を始め、明治末まで続けられました。 近代捕鯨の発達により鯨組は解散したが、鯨唄は捕鯨操業後324年経った今も唄い継がれています。 鯨唄の源流は不明。 最近は河内神社の秋の例祭に奉納されています。
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大内山楽踊り
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
腰輪をつけ、鶏頭を冠り、鉦タタキの輪の中で二手に分かれて踊ります。 以前は毎年9月8日、日置大内山地区の赤崎神社に奉納されていたが、現在は日置八幡宮の秋の例祭(9月23日)に奉納されています。
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君が代踊り
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
五穀豊穰を祈る踊りで地謡、鉦、太鼓のはやしからなり、歌詞は名勝古蹟が謡いこまれて、勇壮さと優雅さがあります。
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通鯨唄
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
山口県長門市通(かよい)地方は日本海側の古くからある漁港です。 今から約400年前、江戸時代は長州毛利藩の時代、モリや網を使い人の手による古式捕鯨が行われておりました。 長門市通(かよい)地方の人々は、当時大漁を祝ってこの「通鯨唄(かよいくじらうた)」を歌い、捕鯨をしなくなった今も歌い伝えています。 祝い歌でありながらも鯨の冥福を祈り、拍子をとる際に手を叩かずにもみ手で歌います。 そして、毎年「通くじら祭り」にて古式捕鯨を再現したのち、「通鯨唄(かよいくじらうた)」が披露されます。
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湯本南条踊
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
9月10日の赤?神社の例祭に楽桟敷で奉納される踊り。当日は午後から湯本の大寧寺、深川赤崎神社の楽桟敷、深川の飯山八幡宮、湯本の住吉神社の順で踊りが奉納される。 1577(天正5)年から1582(天正10)年、伯耆国(現在の鳥取県)羽衣石(うえいし)城主・南条元続(なんじょうもとつぐ)と毛利家臣・吉川元春(きっかわもとはる)との戦いに縁のある踊りで、元来、吉川藩が芸州(現在の広島県)在藩当時に始められたものであるが、後に岩国に移る時に岩国藩の吉例踊として伝えられた。 その後、長門の俵山村に在住していた藩
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子供神楽
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
毎年9月下旬、高佐八幡宮で行われます。 明治10年代に、島根県の藤井宗雄氏らによって石見神楽が山口県に伝幡し、六調子の典雅な舞として盛んになってきたものを、昭和49年古典芸能の復活に強い情熱を傾ける数名の住民が地区内の小・中学生を中心に中央子ども神楽を発足させたものです。
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三隅の腰輪踊
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
三隅八幡宮の9月16日の例祭に奉納されるもの。 歌を伴わぬ楽だけの踊りで、四楽が伝えられています。
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神楽
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
毎年9月下旬、高佐八幡宮で行われる、高佐地区下領に、明治41年からある神楽舞です。 大田亀松を師とする六郷舞(六調子)と、松本勝太郎を師とする商人舞(八調子)で俗に「石州舞」ともいいます。 現在伝承されている舞は10種類あり、中でも「鍾馗」「岩戸」「蛇舞」が代表的です。
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友信神楽舞
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
毎年9月29日の勝馬田八幡宮秋季例祭と、10月18日の友信天神社天神祭りで奉納される神楽舞。 また、地区の公会堂が神楽奉納場でもあり、衣装の収納場や練習場となっています。 紀州熊野(現在の和歌山県)から小川村川井に勧請されていた「熊野権現」を、1667年(寛文7)に、萩藩家臣・繁沢主水が、友信の後山に移して「友信権現」と称した際に、神楽殿落成にあたって奉納されたのが、この神楽舞の始まりであると言われています。 友信という地名は、相馬総二良友信が鹿ケ嶽(城山)に城を構えていたことによると伝えられ、友信権現は、明治時代末期に神社の合併が行われて、勝馬田八幡宮に一緒に祀られるようになったが、その跡は残っています。 なお、鳥居は、現在の友信天神社に移されています。
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義民おどり
山口県 萩・長門
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文化7年、酒米をつくる水車場を作ったため、小舟による薪炭の積み出しが出来なくなりました。 村人の代表として、藩庁にとり除きの嘆願をした平助と権太が刑場でざん首され、村人たちは義に感じ、川上の二義民としてねんごろに葬り、碑を立て永く不朽の遺徳をしのんでいたが、昭和7年、音頭を作成し現在に至ります。 毎年8月15日に行われます。
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舞「男なら」
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
幕末に、長州藩の武士は海防のため下関に総出していたため、萩の老若婦女子が菊ケ浜に台場を築いきました。 その時に士気を鼓舞するため歌ったのが民謡「男なら」で、その民謡を舞踊にしたものです。
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住吉神社「お船謡」
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
7月下旬の吉日に行われる住吉神社の夏大祭の「御祭事始め」に、神社の拝殿で、また、8月3日のご神幸祭に、町中の指定された場所で演じられる御座船唄。 1555年(弘治1)毛利元就が、安芸(現在の広島県)の宮島で、陶晴賢を攻め滅ぼした時の戦勝の凱歌として伝えられ、毛利藩の御座船唄として、藩主乗船の際や新造藩船の進水などの時に、それを祝って演唱されました。 その後、1659年(万治2)に、住吉神社が勧請され、その御神幸にあたって、藩庁から、藩主の御座船を模した山車「お船」を寄進して、その船上で「お船謡」を演
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嫁泣き節
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
市内越ケ浜に、若い嫁の水汲みの辛さを歌ったもの。 郷土史家故田中俊資が取材作詞しました。
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玉江浦「天狗拍子」
山口県 萩・長門
- 郷土芸能
玉江浦権現社秋祭に奉納される大漁踊り。 毎年10月下旬に行われます。
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