栃木県の郷土芸能 スポット 20選
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道下の獅子舞
栃木県 宇都宮・さくら
- 郷土芸能
七夕の夜、獅子舞が奉納される。
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河井のささら
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 郷土芸能
今を去る約900年前、永保3年(1083)後三年の役に際し、源義家は征夷大将軍として奥州征伐に出かけられた。この時、義家は都から共に下って来た長寿姫を戦場にむかわせるに忍なく、下臣の内田三郎義明を、お付きの者として残し北へ直に出陣した。この時の別れの宴に戦勝と五穀豊穣との祈願をこめて神楽を舞わせ、長寿姫との別れの情を惜しんだ。ときに中秋の名月が山の端に上り、秋華ゆらぐ哀情切々たるものがあったと伝えられる。後に長寿姫は、源義家の帰郷を長く待ちわびたが、ついに病を得て逝去された。村人らはこれを悲しみ、哀れんで、姫の墓地を弔い、中秋の名月になると、ささらを舞った。これが河井のささらの始まりとされる。
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北高岡の獅子舞
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 郷土芸能
秋祭りの時獅子舞が奉納される。行司2人が提灯を持ち「街道下り」の笛にあわせて獅子舞の一行は神社へむかう。そして鳥居をくぐる時に「大門くぐり」の舞を舞いながら境内に入る。それから「天の岩戸」「大舞」「歌舞」「四方固め」の順に舞い、約1時間20分ほどで終る。演者は獅子踊り子が雄獅子・中獅子・雌獅子の3人、獅子の先導役のフクベ2人、笛吹き数人である。
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稲毛田八雲神社太々神楽
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 郷土芸能
神道大和流中臣の舞、慶長年間から始められ、22舞36座を演ずる。芳賀町民俗文化財指定。
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西水沼太々神楽
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 郷土芸能
西水沼天満宮太々神楽は、明治7年頃茨城県真壁郡桶口雷神社の教えを受けて伝えられました。舞は12舞、12神楽と称し28座あります。舞面は29面です。
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干瓢音頭と踊り
栃木県 佐野・小山・足利・鹿沼
- 郷土芸能
かんぴょう音頭は、詠みあげる歌と踊りになっており、歌は、かんぴょうが栃木県に入って来た由来や、庭先に干してある様、製品の販売先まで、うたいこまれている。踊りは、栃木音頭という、樽一つを使ったおはやしの踊りだったものを、音頭や手踊を改め、笠踊りに創作したものである。特別な装いはないが、浴衣とすげ笠姿、紙でつくった花をあしらった笠をたくみに操り、にぎやかに踊る。年に一度の夏の祭典「壬生町ふるさとまつり」にて自慢ののどを披露する。
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野木神社太々神楽
栃木県 佐野・小山・足利・鹿沼
- 郷土芸能
太々神楽とは、野木神社の例祭に奉納される神楽のことで、町の無形文化財に指定されています。
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野渡のささら獅子舞
栃木県 佐野・小山・足利・鹿沼
- 郷土芸能
約500年前の古河公方足利成氏の時代に、病気などの魔除けや豊作を祈って始められたという伝承がある。獅子舞の獅子頭をかぶる踊り手、棒や太刀使いは、すべて小学生である。
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鷲宮神社太々神楽
栃木県 佐野・小山・足利・鹿沼
- 郷土芸能
鷲宮神社に伝わる御神楽は伊勢神楽の流れを汲む、依田流太々神楽(よだりゅうだいだいかぐら)といい、神社焼失・洪水等により歴史は定かではありませんが、鎌倉時代幼い頼家公がとりせき(百日咳)を患った際母親である二位尼君(政子)が鶏肉と卵を断って鷲宮神社の御神前に祈願をしたところ無事病気が回復したとされ、その御礼にと正月初酉の日、佐々木四郎高綱を使いとし御神馬と舞を奉納したと伝えられています。 その後、壱組十二人講という祈祷講社により継承されてきました。 現在は保存会が結成され、平成3年に都賀町(現栃木市)指定無形文化財の認定を受け、平成5年には文化庁移動芸術祭協賛公演第35回関東ブロック民俗芸能大会に、栃木県代表として出演するという栄誉も頂きました。TONAN50選にも選定され、栃木県郷土芸能大会や各種イベント等に多数出演する他、老人ホームへの慰問にも積極的に取り組む等幅広い活躍をしています。
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木獅子舞(関白流)・杖術(小天狗流)
栃木県 佐野・小山・足利・鹿沼
- 郷土芸能
都賀町の木地区に伝承されている獅子舞と杖術。10月15日に行われる木八幡宮例祭に隔年で奉納されています。杖術は古武術の一つで一般の獅子舞に付属しているものとは違い、これは土俵上で48手の型を演じるところに特色があります。木地区では、この杖術をツエと呼んでいますが、棒と棒・棒と太刀の渡り合いの演技は農民の間に自衛の武術として伝り、それがなかば芸能化したものと思われます。この地の杖術は羽織袴姿で長老を先頭にして白衣着袴姿で棒を持った杖術保存会員による神社への振棒による入場に始り棒合で終る24手裏表48手を演じて終ります。また小天狗流杖術の由来は地元のいい伝えでは獅子舞と同様に元録の昔からとなっています。なお、木の杖術は栃木県中では貴重な文化遺産であり、昭和55年の栃の葉国体の際に体操化した演技を地元都賀中学校の生徒が演じ大好評を博しました。体操化された杖術は、毎年都賀中の運動会に生徒により演じられ継承されています。
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升塚獅子舞(文挟古流)
栃木県 佐野・小山・足利・鹿沼
- 郷土芸能
5月3日に愛宕神社に奉納されている。言い伝えによると、日光東照宮造営の際の地固めに奉納した今市文挟の地の獅子舞がこの地に伝承したものという。
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上新田獅子舞(文挟流)
栃木県 佐野・小山・足利・鹿沼
- 郷土芸能
家中上新田の猿田彦神社の氏子の手で伝承されている獅子舞。毎年猿田彦神社の9月19日の祭礼と7月7日の天王様(八坂神社)の祭りに奉納されている。
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芦沼獅子舞
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 郷土芸能
通称「芦沼のササラ」と呼ばれ、以前は旧暦の6月23日の奉経塔祭に笠揃い(神子の舞のみ上演)7月9日の観音堂万燈祭の夜に本庭(全部舞うこと)7月24日の地蔵尊縁日に笠抜き(神子の舞のみ上演)として獅子舞が行われた。舞は芦沼の各戸の長男により伝承されている。約800年前、御館山に陣を構えた八幡太郎義家が勇壮な舞により士気を高めたと伝えられる。また、獅子頭は享保年間(1716〜1736)に作り変えられたといわれているが詳細は不明。また雌獅子の甲掛は絹を用いているが、これは八幡太郎義家に許されたものとされ、徳川幕府の絹織物着用禁制の折にも茂木藩主細川公の配慮で許された。文書の記録はなく、芸能の開始時期は不明であるが、江戸時代は行われていた。一時途絶えていたが昭和47年(1972)に復活する。現在は年末と正月に神子の舞が舞われ、8月の第1土曜日に本庭が行われている。
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風見神楽
栃木県 宇都宮・さくら
- 郷土芸能
慶長5年(1600)、関ケ原合戦での徳川家康の大勝で、社領1,500石を賜った東護神社の中里神太夫・中里大和の2人が田楽を奉納したのがこの奉納芸能の始まりという。春の例大祭の神事が終ると、その拝殿を舞台として奉納されるのが「風見の神楽」と呼ばれる県無形民俗文化財指定の太々神楽である。文政時代(1818〜1829)から天下泰平・悪疫退散を祈願して奉納しているといわれるが、明治時代に一度中断したところ、悪疫が大流行したので再び奉納されるようになったという。神楽は「総礼の舞」で始まり、「大黒の舞」で終るが、その題材は主として日本神話で、16話、36座(演目)からなっている。
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寺小路の獅子舞
栃木県 宇都宮・さくら
- 郷土芸能
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森田の獅子舞
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 郷土芸能
森田、厳島神社の弁天祭に家内安全、五穀豊穣を願って獅子舞が奉納される。
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熊田の太々神楽
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 郷土芸能
三十一番の舞からなる神代舞太々神楽は、優雅さと庶民的な舞楽の面白みをもつ舞で熊野神社例大祭に奉納される。
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源太踊り
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 郷土芸能
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興野獅子舞(ささら)
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 郷土芸能
言い伝えによると、武茂城下に伝わった獅子舞の師匠武茂久治という人が天保年間(1830〜1843)その技を伝えたのがはじまりといわれています。獅子頭があり毎年交代に日枝神社(山王山)の例祭に奉納しています。
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宮原八幡宮太々神楽
栃木県 馬頭・茂木・益子・真岡
- 郷土芸能
宮原八幡宮祠官斉藤松寿氏が伊勢神宮権禰宜を数年勤め、明治17年(1884)退官の際神楽の面20の他口伝、用具等を携えて帰郷し斉藤主膳を師匠として伝承させました。
栃木県の郷土芸能探し
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