鹿児島県の歴史的建造物 スポット 20選
-
知覧特攻平和会館
鹿児島県 南薩・指宿
- 歴史的建造物
太平洋戦争末期に特攻隊の基地があった知覧にある史料館。第二次世界大戦末期の沖縄戦で行われた特攻の歴史や、陸軍特別攻撃隊員たちの遺品、その他の関連資料を展示している。写真・遺書・日の丸寄せ書き・絶筆のほか、戦闘機の復元模型なども展示されている。戦時中の貴重な資料が数多く現存しており、国内だけでなく外国から平和学習に訪れる人たちも多い。語り部による歴史解説も行われ、当時の悲惨な状況を知ることができる。
-
古市家住宅
鹿児島県 種子島
- 歴史的建造物
1846年建立とされる古市家住宅は種子島に現存する最古の建築物で、建造物重要文化財として国の指定をうけています。近くには、日本一の大ソテツ(樹高)も見ることができます。
-
新城花窪ニャート墓
鹿児島県 鹿児島離島
- 歴史的建造物
この墓は1840年に沖永良部の代官として赴任し、1824年に座横目として再来島した鹿児島の城下士、遠矢金兵衛が妻子のために造ったものだと言われている。丘陵斜面を利用した横穴式屋根型で前庭があり、石壁で囲まれた入り口は鳥居型の石門がある。
-
アーニマガヤトゥール墓
鹿児島県 鹿児島離島
- 歴史的建造物
アーニ(大字)マガヤ(小字名)というところにあり、南方を向いた斜面に石灰岩をくり抜いて造られ、玄室内部には三方に棚段が造られ全面部分は前に突き出ており、沖縄の亀甲型墓の入り口に似た造りが特徴的である。
-
屋子母セージマ古墳跡
鹿児島県 鹿児島離島
- 歴史的建造物
自然石灰岩をくり抜いて造られた琉球式墳墓であるが、西隣には仏教の影響を受けた本土型の墓地があり、沖永良部の風習がトゥール墓から日本式の墓に変わっていく途中を知る資料として学問的に重要な場所である。
-
屋者琉球式墳墓
鹿児島県 鹿児島離島
- 歴史的建造物
世之主の四天王の一人、屋者真三郎(マサバル)の墓だと言い伝えられている。石灰岩をくり抜いて造ったトゥール墓であるが、屋根は日本式切妻型になっており石畳式に葺かれている。これは、現在沖縄に残っている亀甲形の墓よりも古い形式である。
-
高倉
鹿児島県 鹿児島離島
- 歴史的建造物
高倉は昭和初年頃まで、地域の富裕な米作農家の穀物を貯蔵する倉庫として使われていました。高倉は、風通しが極めて優れていて、4本の柱にはネズミ返し(ネズミ除けの滑り)が施されており、材料が島産の木・竹・カヤで、クギを1本も使わない組み立て式の構造になっている。その建築様式は建築学や民俗文化の面からも注目され、当時の生活の知恵を今に伝えてくれています。
-
鹿浦小学校奉安殿
鹿児島県 鹿児島離島
- 歴史的建造物
戦前の皇民化教育を象徴する建造物で、太平洋戦争の終わるまでは、教育勅語と御真影その他重要書類を保管してました。側面には弾丸の跡が現在にも残っており、戦争の激しさを今に伝えています。平成19年8月に平和教育の為、貴重な文化財として国指定登録文化財に登録されました。
-
戸森の線刻画
鹿児島県 鹿児島離島
- 歴史的建造物
三畳敷きほどの白いキャンパスを拡げたような二個の巨岩に船・弓・矢などが描かれている。
-
琉球石垣
鹿児島県 奄美大島諸島
- 歴史的建造物
龍郷町秋名集落の西側の山裾に、嘉永5年(1852年)生まれの豪農・麻福栄志の屋敷があります。この屋敷の石垣は石材にサンゴを使い、沖縄から石工を呼び、秋名集落をはじめ近くの海からサンゴ石を集めて作られたそうです。奄美大島本島の石垣は「野積み」が多いのですが、この石垣は「亀甲乱れ積み」という15世紀初頭に沖縄で工夫された方法が用いられています。石の大きさや形は不揃いですが、石と石の隙間が全くないのが特徴です。
-
無線塔
鹿児島県 奄美大島諸島
- 歴史的建造物
昭和13年(1938年)に無線電話機能を持つ送受信所施設が龍郷町赤尾木に建設されました。送信・受信それぞれの局舎と官舎が合計15棟と、コンクリート製無線塔が合計10基(送信所側に5基、受信所側に5基)です。現在は、送信所側に1基と受信所側に2基の合計3基の無線塔が残っています。
-
高倉群(群倉)
鹿児島県 奄美大島諸島
- 歴史的建造物
高倉は高床式の建造物で、主として穀物類の貯蔵用の倉庫として使用されてきました。倉上は冬は暖かく、夏は涼しいという特徴をもち、ネズミの害を防ぐこともできました。また、倉の下は農家の作業場や子ども達の遊び場として使われました。この3棟の高倉は、平成21年に国の登録有形文化財に登録されました。
-
仏像墓
鹿児島県 奄美大島諸島
- 歴史的建造物
龍郷集落の字熊作には、等身大の仏像を刻んだ墓石1基と破風型の墓石2基、石塔1基があります。これらは刻まれた年号から1725年のものと考えられ、石材は加治木石とされています。
-
ハヤ
鹿児島県 奄美大島諸島
- 歴史的建造物
ハヤとは、ビーチロックの板石を用いて、方形の板石墓を作る特殊な墓です。このような箱式石棺墓は奄美大島北部に多くみられ、ここではハヤと呼ばれています。このハヤは江戸時代から明治時代初期まで使用され、はじめは特別な人(ノロ)の個人墓でしたが、のちに同族集団の墓として使用されたと考えられています。
-
大和浜の群倉
鹿児島県 奄美大島諸島
- 歴史的建造物
古代南方型建築様式で造られた高床式倉庫の群落地。湿気やネズミの害から穀物を守る倉庫としての高倉は釘を全く使用しない独特の建造物である。現在、残された5棟が県文化財指定を受け保存されている。建築学、民俗学的にも貴重。
-
屋久島燈台
鹿児島県 屋久島
- 歴史的建造物
南方から日本に帰る船舶を誘導する位置にあり,風景が美しい。永田岬の突端にあり、1897年(明治30年)に建てられた日本でも古い白い灯台で、光源は1,000w、40km先まで光りが届く。目の前は東シナ海が広がり、正面に口永良部島を眺める景勝地。灯台下は好釣場として遠方からの釣り客に人気がある。
-
異人館(旧鹿児島紡績所技師館)
鹿児島県 鹿児島・桜島
- 歴史的建造物
第二十九代薩摩藩主・島津忠義は、英国から紡績機械を輸入し、日本初の洋式紡績所を造った。異人館は、指導にあたった英国人技師の宿舎として建てられたもの。日本における初期の西洋建築の代表例として、建築学的にも重要な建物。2016年、「明治日本の産業革命遺産」の一部として世界文化遺産に登録されている。
-
川上中学校本校舎
鹿児島県 垂水・大隅
- 歴史的建造物
川上中学校の木造本校舎が、平成21年4月28日、国の登録有形文化財(建築物)に登録された。 切妻造桟瓦葺で、外壁を下見板張とし、東面と西面の各4か所にバットレス(横方向体力部材:風対策)が付いているのが特徴。こうした外観が、国土の歴史的景観に寄与すると認められ登録有形文化財となった。 運動場側の西側を廊下として、当初は中央南寄りを土間床の通路とし、北に3教室、南に職員室を配した、山間に残る木造校舎で、風情ある佇まいを見せる建物。
-
二階堂家住宅
鹿児島県 垂水・大隅
- 歴史的建造物
「オモテ」は文化7年(1810年)とも云われる。特長としては萱葺であること。オモテの棟は南に面し、東西にナカエの棟は、南北に直交した雁行型の寄棟造り。即ち二棟造である。郷土の民家の代表的なもの。因にオモテの間取は床の間8畳、オモテ15畳、ナンド4畳で外縁側である。おもて座敷はナカエより18cm高く、庇は竹葺である。郷土住宅としての旧態がよく残る。国の重文。
-
日当山西郷どん村
鹿児島県 霧島
- 歴史的建造物
西郷隆盛が日当山を訪れた際に逗留していた家を基に建設した「西郷どんの宿」では、見学のほか簡易和服の着付体験や、ガイドによる西郷の逸話の大型紙芝居が楽しめる。 レストラン・特産品販売所の「日当山無垢食堂」では地元食材を中心としたメニューのほか、地元産新鮮野菜、加工品などが揃う。 さらに車椅子の方も楽しめる天然温泉かけ流しの「足湯」のほか、併設の観光案内所ではレンタサイクルも実施している(電動自転車あり)。
鹿児島県の歴史的建造物探し
鹿児島県で体験できる歴史的建造物の店舗一覧です。
アソビュー!は、鹿児島県にて歴史的建造物が体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの鹿児島県で歴史的建造物を体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。