大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)の観光名所 スポット 17選
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ドリーム21
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
”ドリーム21”は、親子で楽しめる多機能の文化スポーツ施設です。館内にはプラネタリウムや遊具が充実したスポーツホール、そして科学を楽しく学べる「探検ひろば」など、さまざまな施設が揃っています。 特に人気の「のびのびひろば」では、一輪車やターザンロープなどが備えられており、小さな子どもも安心して遊ぶことが可能。また地球の成り立ちから現代までを学べる「探検ひろば」では、科学の力や生命の不思議について目と体で知ることができます。 星空の美しさを観賞するプラネタリウムも完備。施設で頻繁に開催されるイベントでは、親子で一緒に挑戦できる陶芸体験などが用意されています。 施設周辺には「花園中央公園」もあり、”ドリーム21”と合わせてアスレチックや美術鑑賞などさまざまな楽しみ方が可能です。
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四条畷神社 桜の見ごろ
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
歴史ある四条畷神社。今年の春も、美しい桜が咲き誇ります。
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聖徳太子墓
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
新羅の征討、官位十二階の制定、十七条の憲法の公布、多くの寺院の建立など、聖徳太子ほどたくさんの事業をなしとげた人物は歴史上でも数少ない。叡福寺の北にある御廟の地は、太子が生前に選んだものといわれている。49歳で亡くなった太子とその前日にこの世を去った妃の膳部大郎女(かわしべのおおいらつめ)、さらに2ヶ月前に亡くなった母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひと)も同じ廟所に埋葬されたので、これを「三骨一廟」と呼んでいる。
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小楠公御墓所(楠木正行墓)
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
正平3年(1348)、南北朝時代の四条畷の戦いで破れた楠木正行(まさつら)とその一族らが合葬されている墓所。正行は、小楠公としていまも多くの人に親しまれる武将。その理由は、形勢不利とわかっていながら、父正成の遺志を継ぎ、南朝へ忠義をつくしたこと、また元は敵であっても戦の後は恩情をかける正義の人であったためといわれる。正行の死後約80年経ってここに小さな石碑が建てられ、そばに2本の楠の木が植えられた。現在、樹齢550年を越える大木となり、大阪府の天然記念物に指定されている。現在の石碑は明治11年(1878)に建てられ、銘は大久保利通の自筆によるもの。
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楠公産湯の井戸
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
くすのきホールや道の駅、資料館のある楠公誕生地の北側に産湯の井戸と呼ばれる楠木正成ゆかりの井戸があります。ヒノキ製の階段を下りていくと小さな井戸があり、現在でも水が湧き出ています。正成誕生の際、この井戸から湧き出る水で湯を沸かし使用したと伝えられています。
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寄手塚・身方塚
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
森屋惣墓には、2基の大型石造五輪塔があります。一般に墓地の北側に建つ塔は「寄手塚」、南側に建つ塔は「身方塚」という俗称で呼ばれていますが、この呼称法は、楠木正成が南北朝動乱期に、この千早赤阪でおこなわれた戦により命を失った供養塔として造立したもので、その際、「身方塚」(楠木軍)よりも「寄手塚」(幕府軍) の塔の方を少しだけ大きく建てたという何とも奥ゆかしい、正成の人情味が感じられる伝承によるものです。寄手塚塔は、花崗岩製で村内最古のもので、河南町寛弘寺神山共同墓地に所在する正和4年(1315)の五輪塔とほぼ同じ頃のもの、身方塚塔は花崗岩製で室町時代初期のものであると考えられています。
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上赤坂城跡
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
下赤坂城落城後、いったん身を隠していた楠木正成が、1332年に再び鎌倉幕府軍に戦いを挑んだときに築いた城のひとつ。三方を深い谷に囲まれたこの地で、正成はさまざまな戦略を駆使して戦うことになる。残念ながらこの場所には、当時を思わせる建物は何も残っていないが、本丸跡からは大阪平野が一望できる絶好のロケーションだ。
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楠公誕生地
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
南北朝時代のヒーロー・楠木正成の誕生地。秀吉の時代に検地され、小さな社が祀られたが、後に大久保利通の奨めで石碑が建てられた。
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小野妹子の墓
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
科長神社南側の小高い丘の上に、古くから小野妹子の墓と伝えられる小さな塚があります。妹子は、推古天皇の時代に遣隋使として、当時中国大陸にあった隋という大国に派遣された人物です。 妹子が聖徳太子の守り本尊の如意輪観音の守護を託され、坊を建て、朝夕に仏前に花を供えたのが、池坊流の起こりになったとされることから、現在、塚は池坊によって管理されています。
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高安城倉庫址礎石群
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
奈良との県境にある、標高488mの高安山山頂付近には、かつて大和朝廷が築いた山城・高安城があった。これは、663年の白村江の戦いで敗れた大和朝廷が唐と新羅の連合軍の来襲に備え、天智6年(667)に建てられたもの。日本書記には、高安城は当時の日本の中枢であった大和の地を守る需要な砦だったと記されている。幸い大陸からの侵略はなく、大宝元年(701)に廃城となった。以後1300年の間、城の位置や規模を証明するものは無く、「幻の城」となっている。1978年に奈良県側の山中で、倉庫跡と見られる礎石群が発見され話題となったが、調査の結果、これは730年頃のものだと判明。城の謎はまだ解明されていない。
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若江城跡
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
戦国の歴史の中で消えた河内キリシタンの居城。城跡の碑に"幻の若江城"のロマンを追う。
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大阪城残念石
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
このあたりの山々では大坂城を築城するために大量の石が採取されていたという。別名=「残念石」。残念石とは、大坂城の石垣に選ばれながら、石垣になれなかった石のこと。運搬の途中に落ちてしまったりとか、なんらかの理由で大坂城に運ばれなかった石を、研究者たちはそう呼んでいる。実はこの残念石、大阪のあちこちで見かけられるが、石に残る大名の家紋やくさびの跡で見分けるのだとか。
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薄田隼人正兼相の墓
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
薄田隼人正兼相は、豊臣秀吉の馬廻り、秀頼の侍大将として活躍した武将で、慶長20年(1615)の大坂夏の陣(道明寺合戦)で道明寺・誉田の高台で討ち死にしたと言われている。
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源氏三代の墓
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
11世紀前半、河内国司に任ぜられた源頼信は、壺井に邸宅を構えた。その子の頼義と孫の義家(八幡太郎義家)は前九年の役や後三年の役で活躍し、武将としての地位を確立した。鎌倉幕府を開いた源頼朝の先祖にあたるため、壺井は「(河内)源氏発祥の地」といわれている。頼義の墓は通法寺跡に、頼信と義家の墓は、南の丘の上にある。
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大坂夏の陣古戦場跡
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
1614年(慶長19年)に大坂冬の陣、1615年(慶長20年)に大坂夏の陣、と2度にわたって、大坂城をめぐって豊臣方と徳川方の戦が行われた。ここ玉手山は、夏の陣の戦端が開かれた地だ。玉手山公園には、後藤又兵衛基次の碑や、豊臣・徳川両軍の戦死者の供養塔、吉村武右衛門の碑などの石碑が建てられている。中でも後藤又兵衛の碑が有名だ。玉手山公園にある又兵衛の碑の横に「後藤又兵衛しだれ桜」という桜が植樹されている。春には、淡いピンク色の綺麗な桜が咲くそうだ。
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滝畑の磨崖仏(まがいぶつ)
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
観音・地蔵両菩薩像が刻まれており、長野郵便局長を務めた故・夏目庄吉氏が、大正末から6年余りの歳月をかけて完成させたという。昔は完全な顔だったのが、長い年月がたち崩れてしまったため、今では半分だけになってしまっている。
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大江時親邸跡
大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
- 観光名所
大江時親は南北朝時代の武将で、楠木正成の兵法の師とされる伝説上の人物。ここには、18世紀前半頃に建てられたと推定される住宅が残っており、大江姓を継ぐ当主が住んでいます。さらに石造りの階段を上がると、1902年(明治35年)建立の「大江修理亮時親遺跡碑」が建っている。岩湧山ののどかな自然に囲まれている遺跡です。
大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)の観光名所探し
大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)で体験できる観光名所の店舗一覧です。
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