足摺・四万十の観光名所 スポット 19選
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安並水車の里
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
高知県四万十市の観光スポット。藩政時代、土佐藩の家老・野中兼山が秋田・安並・佐岡・古津賀の四ヶ村における水田灌漑目的で用水路「四ヶ村溝」を開発。そこから水田に水を汲み上げるために設置された水車群が「四ヶ村溝の水車」として親しまれた。現在も水車が観光用に数基が残され、その周辺が「安並水車の里公園」として整備されている。水路沿いにはアジサイが植えられており、6月には「あじさいまつり」も催される。
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お化粧井戸
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
一條家が使ったと伝えられる7つの井戸の内、現存する唯一の井戸で、女官、侍女たちがお化粧のために使用したので、こう呼ばれるようになったと伝えられています。
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四万十いやしの湯
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
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僧慶禅の墓
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
土佐の高知のはりまや橋でお馬にかんざしを買い与えた慶禅は、失恋の傷手を負い郷里柏島に帰り余生をこの地で送った。慶禅が真説よさこい節の本人であることは、知る人も少ない。
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土佐西南大規模公園(大方地区)
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
ふるさと総合センター・キャンプ場(100名)・サッカー場・テニス・サイクリングロード・体育館・パークゴルフ場・陸上競技場・スケートボード場
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大平弾正の墓
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
後醍醐天皇の第一皇子尊良親王が時の執権北条高時によって土佐へ配流された時、皇子と共に数年を人里離れた深山で過した勤王家。
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尊良親王上陸地
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
後醍醐天皇の第二皇子。元弘の乱に敗れ幡多郡へ配流。大平弾正、有井庄司の保護を受ける。小袖貝の伝説がある。北陸金崎落城で自殺。歌は『新葉集』に収載。
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有井庄司の墓
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
黒潮町有井川の八幡神社境内にある(土佐くろしお鉄道・有井川駅下車徒歩5分)墓は全部五輪石からなっているが、これは尊良親王が都へ還幸された後、送り届けられたものという。(高知県指定史跡)
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土佐西南大規模公園(佐賀地区)
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
広場・遊歩道・展望台・アスレチック施設、スケートボード場。
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伊与木弥平次の墓
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
伊与木弥平次の墓は、長宗我部元親から贈られた5輪の塔で、伊与喜字堂ノ本(俗称寺屋敷)、もとの宝積山普門院随正寺跡の境内に建っています。 伊与木弥平次 伊与木弥平次忠実は、伊与木城5代目城主です。歴代城主中最も有名で、その強弓は17歳のとき早くも土佐三強弓の一人に数えられていました。幼名は国安または隆次といい、元服後は弥平次忠実と名乗りました。少年時代から弓術に長じ、17歳の時には、佐竹太郎兵衛義秀、志和勘助と共に土佐の三強弓といわれ、その名を外国にまでとどろかせました。天正14(1586)年、佐賀城主・光富権之助、坂本六兵衛重次、森式部源長重らの勇士に交じって、九州戸次川の戦いに初陣として出陣しました。この時弥平次はわずか11歳でしたが、戸次川の激戦に無事凱旋しました。一緒に出陣した権之助も身に重傷を負いながら大功を立てました。 朝鮮出兵 その後、豊臣秀吉の文禄元(1586)年の朝鮮出兵での戦に、長宗我部元親の命令で再び光富権之助、坂本六兵衛重次と共に従軍しました。九州名護屋で朝鮮渡海の船を待っている時、名護屋城内の陣屋に立て掛けてあった弥平次愛用の大弓を見て秀吉が驚いたので、弥平次は大弓でみかんの木になった4〜5寸の実を射抜いて見せ、再び驚嘆させたという面白い逸話があります。朝鮮に上陸した弥平次は、武運つたなく間もなく痘瘡にかかり、同年3月27日、高麗の国で異境の土と化しました。この時わずか17歳、稀世の弓豪は他国で命を散らしたのです。一緒に従軍し、各地に転戦して功を立てていた権之助も重傷を負い、元親の命令によって内地へ帰還する途中、朝鮮忠徳島で亡くなりました。一方重次は亡くなった権之助の代わりに300人の兵を連れて無事帰還を果たしました。弥平次の遺髪は随正寺に葬られ元親から墓石が贈られました。 弥平次祭りと踊り 弥平次は「随正寺殿高嶺星雲大居士」の法号で祭られ、伊与喜地区では毎年7月20日に弥平次の祭りを行っていました。また、若くして異境に散った旧主の霊を慰めるために、城下の老若男女によって弥平次踊りが始まり、踊りは毎年7月10日の夜、随正寺の庭(墓石前)で行われ、川奥、荷稲方面からも踊りに参加し、明治27(1894)年頃まで、約300年間続きました。 父・隆康 伊与木城主4代目城主。天正5(1577)年、長宗我部元親の四国統合出兵に加わり、阿波三好合戦、伊予三滝城一番乗り、その他の合戦に大功を立てました。元親はこれを賞して井田村、有井川村を褒美として与えました。
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山内政豊(良豊)の墓
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
政豊は中村山内家の第2代当主で、初代当主一豊の弟康豊の次男です。父康豊が中村から高知へ移ったため家を継ぎましたが、跡取がなく中村山内家は一時断絶します。その後、土佐2代藩主忠義の次男忠直が中村3万石の藩主となります。
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山内忠直の墓
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
忠直は土佐2代藩主忠義の次男で、1656年中村3万石の藩主となりました。墓の五輪の塔は県下で最大の大きさです。
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ジョン万次郎生家(復元)
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
2010年10月にジョン万次郎の生誕地・土佐清水市中浜に生家が復元されました。 「万次郎の生家」として残る写真をもとに設計された建物は、 5人兄弟であったことを考えると小さく、当時の暮らしぶりを伺わせる。
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加久見五輪塔群
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
この地の豪族加久見氏一族とその家臣の墓であると伝えられており、大小合わせて100基以上数えられる。
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金剛福寺の多宝塔
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
清和天皇御菩提のため源朝臣多田満仲当山に多宝塔を建立、後深草天皇の建長5年葵丑3月、阿シャ梨慶全重ねて三重塔を営造建立、貞亨三丙寅年9月18日、大守豊昌公当院宥岸時代において本堂併に多宝塔再興。現在の多宝塔:塔の高さ:19m14cm 塔間口:3間4面 明治11年6月起工、仝13年11月上棟式落慶。大工棟梁:幡多郡清松村大浜住市 川安太郎。九輪頂上宝形中へ水昌の五輪塔、長さ 6.6cm余一基。其の中に仏舎利五粒在りて再び宝形中に納む。県下唯一のものである。
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ジョン万次郎銅像
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
難破して、アメリカの捕鯨船に救われ、アメリカで教育を受けたのち帰国し、外交に活躍した中浜万次郎の像。
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ジョン万次郎記念碑
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
幡多郡中ノ浜漁民の出。15歳出漁中漂流、米船に救われ12年後に帰国。幕末風雲時の翻訳係り。幕府普請役格など。幕末の多くの維新の志士たちに影響を与えた。
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幸徳秋水の墓
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
幸徳秋水、名は伝次郎。明治4(1871)年に中村の豪商、俵屋に生まれました。幼少から秀才といわれ、明治20(1887)年に上京、林有造の書生となり、やがて、中江兆民に師事、万朝報社などの新聞記者として活躍しました。以降も社会主義運動に挺身し、『社会主義神髄』等数多くの著書を残しています。明治44年(1911)年、いわゆる大逆事件の首謀者とみなされ、死刑に処せられました。現在も命日にはこの地で墓前祭が行われます。
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一條教房の墓
高知県 足摺・四万十
- 観光名所
土佐一條氏の祖となった前関白一條教房の墓で、1480年10月5日58歳で亡くなりました。墓は市内の西北、奥御前谷にあります。
足摺・四万十の観光名所探し
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