恵那市の史跡 スポット 9選
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大井宿本陣跡
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
正門は懸魚カエルマタの様式で江戸初期の建築で、県の重要文化財に指定されている。街道から見る正門と松の風情はかつての中山道大井宿をしのばせてくれる。(内部は非公開)。
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落合砦(千畳敷公園)
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
明知城が宝治元年(1247年)に築城されたころ、この千畳敷台地に落合砦を築いたと伝えられています。伝承によれば、明智光秀公はこの砦で生まれ、産湯として使ったとされる井戸が残されています。
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於牧の方の墓所
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
悲運の最期をとげた、於牧の方を偲び、里人の民が建立したとされています。将軍徳川吉宗によって制定された「公事方御定書」の翌年、1743年に建立された石塔には、当時の世評をはばかって「南無阿弥陀如来」とだけ刻まれ、樹齢400年を超える老樹「高野槙」を於牧の方にちなんで神木として今もなお崇拝しています。毎年11月末には供養祭が執り行われている。
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明知城跡
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
明知城は、恵那市南部では岩村城に次ぐ規模の城郭である。明知遠山氏代々の居城であった。明知遠山氏は、織豊期に一時この地を離れるが、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の合戦後に復帰する。江戸時代には旗本となり、存続した。城跡は現在公園となり、散策道も付けられている。石垣は多く見られないが、多くの曲輪、堀切等が良好に残されている。特徴的なのは、主要な曲輪の周囲に設けられた「畝状竪堀群」と呼ばれる遺構である。これは斜面に平行するように設けられた堀(横堀)と、斜面に直行するように設けられた複数の堀(竪堀)を組み合わせたものである。斜面を伝って進入しようとする敵兵の動きを封じる目的で築かれた。畝状竪堀群を持つ城郭は、恵那市域でもごく限られており、その築かれた時期も今のところ定かではない。
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岩村城跡
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
大和の高取城、備中の松山城と並ぶ日本三大山城の一つ。標高717mで城下町を見下ろし、遠く御岳山、木曽駒ケ岳を望む。本丸、二の丸、出丸、八幡曲輪、帯曲輪など石垣が残る。文治元年(1185)加藤景廉の創築とされ、遠山氏時代を経て戦国時代には森蘭丸が城主となった。江戸時代には岩村藩となり松平氏、丹羽氏らが藩主として記録が伝わっている。明治維新後城は取壊されたが、1700mに及ぶ石垣は今なお往時の面影を残している。麓の藩主邸は焼失したが平成元年、ふるさと創生事業により太鼓櫓、御殿門、平重門、土蔵などが復元されている。また、敷地内には岩村の歴史を展示した岩村町歴史資料館が建てられ、近くに岩村町民俗資料館もある。 平成29年に「岐阜の宝もの」に認定された。
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明智城跡
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
遠山氏の居城。自然の地形を巧みに利用した山城。石垣は見られませんが城跡は公園となり散策道も設けられています。県の指定文化財になっています。
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久後古墳
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
円墳で横穴式石室を持ち,徳平古墳よりやや大きい。
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徳平古墳
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
円墳で横穴式石室を持ち,陶祖碑がたてられている。
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遠山塚
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
武田軍との攻防に敗れ、自刃した明智城主遠山景行をしのぶ碑。
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