近江八幡市の史跡 スポット 10選
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安土城跡
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
標高約200mの安土山山上にあり、400年を経た今も石垣や礎石が往時をしのばせてくれる。 安土城は、織田信長が、天正4年(1576年)から3年有余をかけ完成した五層七重の、わが国最初の天主閣を有する城。本能寺の変で信長が倒れたのち、城下町とともに焼き払われ、天下の名城をわずか3年にして灰燼と化した。 当時は四方を琵琶湖と沼に囲まれていたが、今は大中の湖干拓地として田園が広がり、そう見寺跡から見る西の湖が美しく、わずかに二の丸跡の信長墓所や、秀吉、前田利家などの屋敷跡が戦国の世を語り伝えている。 織田信長(1534年〜82年) 尾張に生まれたが、永禄10年岐阜城主となり、10年東奔西走して安土に移る。井の口を岐阜と改称した。本能寺の変に討死。
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八幡山城跡
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
八幡山は「鶴翼山(かくよくざん)」とも呼ばれる。 安土城が落城してから3年後の1585(天正13年)年、豊臣秀次は近江四十三万石の居城をこの山に置き、安土城下の人々を移し住まわせた。 最頂部に本丸を設け、その南東に二の丸、西に西の丸、北に北の丸、南西の尾根上一段低く出丸を配置する構造で、山頂から八の字形に広がる尾根上の小曲輪と、尾根に挟まれた南斜面中腹に秀次館跡、家臣団館跡群と思われる曲輪群が階段状に残っている。 秀次の死後、京極高次が入封したが間もなく廃城となった。 現在は石垣を残すのみだが、本丸跡には秀次菩提寺の村雲御所瑞龍寺(むらくもごしょずいりゅうじ)が京都から移築されている。また、秀次館跡からは金箔瓦が多数出土し、特に秀次の馬印である沢瀉紋(おもだかもん)の飾り瓦が発見されるなど築城当時の豪華さが伺える。 豊臣秀次について 豊臣秀吉の姉・ともの子。秀吉の養子となり関白職を継いだが、後に秀頼が産まれ、後継者を巡る争いにより自害させられた。 八幡公園には開町の祖・秀次の銅像が建てられている。
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セミナリヨ跡
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
織田信長の庇護を受けたイタリア人宣教師オルガンチノが建てた、日本初のキリスト教学校跡。本能寺の変後、安土城とともに焼失した。 堆定地が公園として整備されている。
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千僧供古墳群
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
千僧供古墳群は、近江八幡市の南東部の平地にある古墳群で、県下で現存する唯一の古墳群。 元々は10基からなる古墳群であったが、現在は供養塚古墳・住蓮坊古墳・岩塚古墳・トギス塚古墳の4基の古墳が残されている。 この地域における、5世紀中頃から7世紀にかけての在地首長の系譜をたどることのできる古墳群として、重要な史跡である。
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水茎岡山城跡
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
JR近江八幡駅の西約5.5km、湖岸にある標高187.7mの岡山の山頂に築かれた城の遺跡。水茎(すいけい)内湖の干拓以前は、周囲のほとんどが湖に囲まれた、さながら「琵琶湖の浮城」そのものであった。 戦国時代に九里(くのり)氏によって築城され、この城内で足利義晴(あしかがよしはる)が生まれている。わずか10数年ののちに佐々木六角定頼(さだより)に攻められ落城、九里氏もその後、佐々木氏に滅ぼされた。 小高い山頂に土塁を巡らせた城跡を残し、頭地から尾山に連なる平坦地からは、居館跡が発見されている。 昭和57年(1982)には、九里氏とその家臣達の供養墓である五輪塔が建てられた。
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長光寺城跡
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
長光寺城のあった長光寺山は、別名、瓶割山と呼ばれている。この由来は、織田信長の命により配されていた柴田勝家が、近江の守護「佐々木」の軍勢に包囲され籠城策を取った際の逸話によるもの。 籠城が長引くにつれ、貯蔵している水も残りわずかとなり、このままでは落城も時間の問題と思われたが、柴田勝家は、座して死すよりも将兵の士気を鼓舞し勝利を収めるため、残りの水を将兵に飲ませた後その水瓶を自ら割って必勝を期し、勝利を得たという武勇伝から「瓶割城」とも言われるようになったと伝えられている。 長光寺城は、応仁の乱に際して佐々木氏も東軍と西軍に分かれ、長光寺城と観音寺城を互いの居城として戦いを繰り広げたところである。佐々木氏は最終的には織田信長により攻略され、安土城の完成とともにその役割を負え自然廃城になった。 又、この山より産出される良質の花崗岩の石材により石工の名匠が誕生したことでも知られ、大阪城、聚楽第、方広寺大仏殿、三条大橋、江戸城、名古屋城、彦根城などを手懸けたとされる「馬渕石工」「岩倉石工」が桃山時代から江戸時代初期に全国で活躍した。
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大中の湖南遺跡
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
湖の干拓事業中に土器片・石器・貨弊など縄文から鎌倉にかけての遺跡が発見された。
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瓢箪山古墳
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
四世紀後半に造られたとされる、県下最大かつ最古級の古式古墳とよばれる前方後円墳。出土品が多数あった。国の史跡に指定されている。
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老蘇の森
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
観音寺山東麓の老樹・大木の森林だが、今は昔の半分。
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観音寺城跡
滋賀県 草津・守山・近江八幡
- 史跡
築城年代は明らかでないが、近江の守護佐々木氏累代が居城し、同氏が六角と京極の二流に分かれてのちは、惣家六角氏の居城となった。 安土山の南方、湖東で一番高い観音寺山の山頂を本丸とし、山の要所に郭や砦を構え、近くの峰々にも支城を配した規模の大きい中世の山城であった。 永禄11年(1568年)六角義賢(承禎)・義治父子の時、上洛を目指す織田信長に進攻されて落城、以後は廃城となった。 今、山の所々に石塁や郭の跡が残る。 六角義賢(1521年-98年) 観音寺城主。入道して承禎。近江南半国を領有、足利将軍義晴・義輝を庇護。信長に攻められて落城。
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