豊見城市・瀬長島の史跡 スポット 5選
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真玉橋
沖縄県 南部
- 史跡
沖縄県の那覇市と豊見城市の間を流れる国場川にかかる橋。最初にこの橋が架橋されたのは琉球王国第二尚氏時代の1522年。政治目的・水の保護・有事の際の交通経路を目的として木造で建設された。その後、第11代尚貞王の1708年に石造りの5連のアーチ橋が完成。さらに、大改修や沖縄戦での日本軍による破壊を受け一時焼失。 1963年には琉球政府によってコンクリート橋がかけられしていたが、 2002年に再びアーチ橋として架橋され現在に至っている。
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ジョン万次郎ゆかりの地
沖縄県 南部
- 史跡
幕末から明治にかけて、アメリカで身につけた語学や知識を活かし、日本と米国の橋渡し役として活躍したジョン万次郎こと中浜万次郎(1827-1898年)は、1851年、ハワイから鎖国中の日本へ帰国する際、琉球国摩文仁間切小渡(現:沖縄県糸満市大渡)へ上陸しました。 那覇へ護送される途中、王府の命令により字翁長の高安家(屋号:徳門)に収容された万次郎は、半年間の滞在中、翁長の伝統行事に参加したり、地元の人々と酒を酌み交わしながら、琉球の方言で冗談を言い合える程、交流を深めていったと伝承されています。 万次郎が滞在した高安家は、子孫が暮らす個人の住居であり、内部を自由に見学することはできませんが、その他にも豊見城には史跡・戦跡・文化遺産が数多く存在します。 興味をお持ちの方は、「豊見城市文化課」へご連絡ください。
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真玉橋遺構
沖縄県 南部
- 史跡
豊見城市と那覇市の間を流れる国場川に架かる真玉橋は、1522年に首里城ならび軍事的要素である那覇港を防御する目的として、尚真王によって架けられた橋で、首里王府と島尻を結ぶ交通の要所でもありました。 1708年に木造から5連の石造りアーチ橋への架け替え工事が完了し、その後1837年に大改修工事があり、琉球王国消滅後も石橋は存在していました。 しかし、先の大戦中、日本軍が退却する際に橋の一部が破壊され、戦後は米軍による鉄橋架設工事により、残った石橋の部分も埋められてしまいました。 その後、1995年の試掘調査により、埋もれていた真玉橋の石橋遺構が確認され、翌年に行われた調査では当時を忍ばせる石畳やアーチ部分が豊見城市、那覇市の両市で発掘されました。 戦後、半世紀を過ぎて再び風格ある姿を現した「旧真玉橋」は、当時の石工技術の高さを改めて感じさせるものでした。
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旧海軍司令部壕
沖縄県 南部
- 史跡
沖縄戦で日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部が設置された地下壕です。 迷路のように掘りめぐらされた壕内には、昭和20年6月13日海軍沖縄守備隊司令官大田少将が部下将兵とともに自刃した司令部屋や医務室、衣糧庫、発電室が残り、また丘上には、司令官大田実少将ほか多数の将兵をまつる海軍慰霊碑が建立されています。
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豊見城グスク
沖縄県 南部
- 史跡
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