花巻・北上・遠野の史跡 スポット 19選
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五百羅漢
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
五百羅漢は1731年から4年をかけて彫られ、報恩寺に安置されている。像の中にはマルコ・ポーロやフビライ・ハンの姿とされるものがある。現存しているものは400体で、すべて木彫りということもあり全国的にも珍しいスポットになっている。厳粛に見学することがルールになっており、写真撮影は可能だが三脚を使っての撮影は禁止されている。大慈寺の義山和尚が大飢饉による犠牲者を供養するために彫ったのが最初とされる。
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えづりこ古墳公園
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
古墳をイメージした石の造形が神秘的な太古のロマンへいざないます。
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丹内山神社経塚
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
北宋の花びんや,中国古銭など貴重な出土品が発見された。
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新堀城跡
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
新仙寺の上方。稗貫氏の一族であった新堀氏の居城であった。奥州仕置き(1590年)の後、江刺市の居城となる。階段状の構築の後、空堀等、山城としての当時の形態が残っている。
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好地旧一里塚
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
「奥州街道」改修前の一里塚。
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江曽一里塚
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
南部氏城下町盛岡と江戸を結ぶ「奥州街道」の一里塚。直径約10m、高さ3m。国道4号沿い。
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徳丹城跡
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
徳丹城は、西暦812年(弘仁3年)頃、時の征夷将軍文室綿麻呂によって造られた律令制最後の城柵で、長年、徳丹城は志波城が水害に遭ったため廃止を余儀なくされ移した城柵と捉えられてきた。しかし、徳丹城は志波城の水害により場当たり的に造られたのではなく、一連の計画の下で造られた城柵であると近年考えられている。また、その規模・構造から志波城とは性格の異なった融和政策の下での行政的な様相を有する。38年間にも及ぶ蝦夷との戦いが終わり、征夷から鎮守へと政策が切り替わる転換点ともいえる城柵である。
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鍋倉城址
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
平泉の藤原泰衡討伐に功をたてた阿曾沼広綱は、源頼朝より和賀郡遠野十三郷を与えられて関東から下向し、横田城(遠野市松崎町)を築いたといい、以後、400年にわたり阿曾沼氏が治め、広郷が鍋倉山に居城を移した。次いで鍋倉城は遠野南部氏の居所となり、明治に至る。
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八天遺跡
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
北上川東岸に接する高台に営まれた縄文時代の集落跡です。墓と思われる穴からは、土製の鼻5点、口2点、耳1点が発見されました。これらは仮面の部品と考えられています。また、大形の円形建物跡は最大時で直径17mほどあったものが、10回近い建て替えの結果、直径8mほどまで小さくなったと考えられています。これらの発見から、縄文時代の研究において、重要な遺跡の一つとなっています
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成田一里塚
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
江戸幕府により、1602(慶長7)年に江戸の日本橋から奥州街道に築かれたもので、現在、残っているものは、わずか20か所と言われています。 この一里塚は盛岡まで10里の地点にあり、南一里目にある二子一里塚とともに、街道の両脇に二基の塚が当時の姿のまま残っています。
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花巻城址
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
南部藩の家老北松斎の居城。円城寺門と西御門・時鐘が面影を伝える。
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国見山廃寺跡
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
北上市街の東にある国見山に所在する、今から千年ほど前に栄えた平安時代の山寺の跡です。現存する当時の堂塔はありませんが、発掘調査により塔と考えられる建物のほかに、多数の堂跡が見つかりました。また、麓にある極楽寺には、平安時代中期の仏教儀式用の幡を下げる金具である銅竜頭(重要文化財・市立博物館に展示中)などが伝わっています。その規模は北東北最大で、その後の平泉仏教文化の源流となる寺院だと考えられます。
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江釣子古墳群
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
江釣子古墳群は和賀川北岸に分布する、五条丸・猫谷地・八幡・長沼の各古墳群の総称です。1951(昭和26)年に初めて発掘調査が行われ、北東北の古墳群の調査の先駆けとなりました。これらの古墳は7世紀後半から8世紀にかけて造られたもので、直径6〜15mの円墳が約130基以上あります。勾玉(まがたま)、切子玉(きりこだま)、蕨手刀(わらびてとう)、直刀、馬具などが数多く出土しています。
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二子一里塚
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
江戸幕府により、1602(慶長7)年に江戸の日本橋から奥州街道に築かれたもので、現在残っているものは、わずか20か所と言われています。 この一里塚は盛岡まで11里の地点にあり、北一里目にある成田一里塚とともに、街道の両脇に二基の塚が当時の姿のまま残っています。
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樺山歴史の広場
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
1951(昭和26)年の調査で発見され、立石をともなう配石遺構(ストーンサークル)が注目を集めました。国の指定史跡になっています。樺山遺跡は約30ヶ所の配石遺構があり、縄文時代中期の墓地および集落跡と見られます。竪穴住居も復元され、史跡公園として親しまれています。
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南部領伊達領境塚
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
南部領と伊達領との境界をあらわすため、1642(寛永19)年に築かれました。奥羽山脈の駒ヶ岳頂上から東に延び、釜石市の唐丹(とうに)湾まで続いています。 塚は大塚と小塚とからなり、小塚は大塚の間を埋めるように築かれました。北上川の西側では、和賀町岩崎地区・上鬼柳地区(旧南部領)と相去町の三十人町地区・成沢地区・滝の沢地区(旧伊達領)との境界線上に、北上川の東側では、立花地区(旧南部領)と稲瀬町地区・口内町地区(旧伊達領)との境界線上にそれぞれ残されています。
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二子城跡
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
豊臣秀吉による奥州仕置で滅亡した和賀地方の領主である和賀氏の居城跡です。現在は神社や公園になっています。 堀、土塁が残り、北上川や奥羽の連山を一望に収めることができます。
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岩崎城址
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
岩崎城跡にあった旧岩崎公民館は、3.11の震災被害により、取り壊され現在は、「岩崎城址舞楽殿」となっています。 旧岩崎公民館で展示していた資料の一部については、埋蔵文化財センター、博物館及び新岩崎地区交流センターで保管しています。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ■□■□岩崎城は和賀氏(中世の豪族)が最後に籠った城で、和賀川と夏油川にはさまれた台地上にあります。 岩崎城が作られた時期は、正確にはわかりませんが南北朝時代(1336年〜1392年)にはすでにあったと思われます。1592年(天正20年)には、豊臣秀吉の命令により南部氏によって破壊されました。 1600年(慶長5年)、和賀忠親は旧領地を奪い返すため一揆を起こしますが失敗し、ここ岩崎城に籠もり南部勢と激戦になりましたが翌年4月、城はついに陥落しました。
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花巻城時鐘
岩手県 花巻・北上・遠野
- 史跡
花巻城時鐘は、現在は花巻市役所前にありますが、かつては花巻城二の丸の一角にあったものです。もともとは盛岡城の時鐘として造られましたが、後に花巻城に移されてきました。
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