藤岡・碓氷・磯部・妙義の史跡 スポット 20選
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中塚古墳
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
県指定史跡。古墳の内部構造は、横穴式両袖型で玄関も羨門も備っている。長大な石室の壁は、安山岩裁石切組積である。古墳時代末期のもので、各種の条件が完備され稀にみる精巧なものであり、かなり以前に開口されたものと考えられる。7世紀後半の円墳。石室は安山岩の精巧な裁石切組積による横穴式の両袖型石室である。上野3碑のひとつ「山上碑」の碑文に記されている。
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碓氷関所跡
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
碓氷関所跡は元和9年(1623年)徳川秀忠により横川の地に設置され、明治の廃関までの間、東海道は箱根の関所と並び、中山道の最重要地点として「入り鉄砲と出女」を取り締まりました。現在では関門が復元され、資料館と併せて往時を今に伝えています。
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国指定名勝「楽山園」
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
小幡を支配した織田氏七代の最初の領主織田信長の二男信雄が造った大名庭園で小幡藩邸に附属する。7年の歳月と巨費を投じて造られたという池泉回遊式の庭園の原形がよく残されていて、往時の格調の高さがしのばれる。
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笹森古墳
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
この地方の最大規模をもつ前方後円墳で、全長101m、前方部幅61m、高さ10m。後円部径60m、高さ10m
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法華経供養遺跡
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
地蔵堂にあり,長岡大学が法華経千部を読誦供養した。
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国峯城址
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
戦国時代、土地の豪族小幡氏が居城した。武田信玄が西上州に侵入したとき、最初に攻略。以後、信玄に従った小幡氏は武田軍の主幹となり、鎧も指物も真っ赤に染めたいわゆる赤武者として武勇をはせた。その勇猛ぶりにあやかった、徳川勢の井伊直政がこれを井伊の赤備えとして採用した話は有名だ。国峯城は小田原の役後に廃城となった。
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天王塚古墳
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
神明塚といい彦狭王の御陵と伝えられる前方後円墳で、全長76m。前方部幅39m、後円部径50m。
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織田宗家七代の墓
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
甘楽町中心街の南外れ、今は焼失した臨済宗崇福寺境内にある。小幡は1615(元和元)年織田信雄が2万石で藩主になってから1767(明和4)年信浮の代に出羽高畑に移封するまで152年にわたって織田家七代の支配地であった。墓は初代信雄から七代の信富までのもので五輪塔型をしている。 現在駐車場工事中。
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荒船風穴
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
荒船風穴は明治38(1905)年から大正3(1914)年にかけて3基の風穴が造られ、当時日本最大規模を誇った。天然の冷風を利用した蚕種(蚕の卵)の貯蔵施設で羽化の時期を調節することにより養蚕の多数回化を可能にした。養蚕の発展に大きく貢献したことが認められ平成26(2014)年6月に「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として世界文化遺産に登録された。現在でも当時と変わらぬ冷風を体感することができる。
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白井関所跡
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
長野県から1日十石の米を運び物々交換した場所。当時の代官が関所の庭に植えたと伝えられるイチイの巨木(県指定天然記念物)がある。
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新田義貞公首塚
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
市指定重要文化財。新田義貞が1338年、越前藤島の戦いで戦死し、近侍の武士がその首級を携え船田義昌に渡した。義昌は厚くこれを葬り、塔を立て法要供養したと伝えられている。
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山上城跡
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
山上の塔婆・石造三重塔の東にある。藤原秀郷の子孫の居城。山上氏は東上州一帯を支配していたが、1590(天正8)年北条、武田、上杉の奪い合いのはてに廃城になった。県指定史跡。中世の丘城で、城の構造は北から南へ笹郭・北郭・本丸・二の丸・三の丸・南郭と一直線に並んでおり、並郭構造といわれている。なお、南郭には物見台の跡が残っている。
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武井廃寺塔跡
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
国指定史跡。基壇上に礎石状の加工石があるが蔵骨器と推定される。円錐台形状の安山岩の加工石は、塔の心礎であるとの見解から古代寺院の跡として指定されたが、現在では奈良時代の火葬墳墓との見解が強く支持されている。
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彦部家住宅
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
国指定重要文化財。屋敷の広さは東西約130m,南北120mの単郭平城で17世紀ごろの建築と推定される。
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簗瀬八幡平の首塚
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
6世紀後半の横穴式石室をもつ円墳。頭骨が主体であり刺創のあるものもあり約150体と推定される。平成9年の発掘で室町時代の板碑群が発見された。 現在は、近くに出土品などを解説するガイダンス施設が年中無休で運営されている。
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茶臼山古墳
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
4〜5世紀ごろのもの、自然の地形を利用して直径35mの円墳。
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太子堂塚古墳
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
6〜7世紀ごろのもの、全長70〜80m、高さ7〜8m、古墳上にある芭蕉句碑にちなんで「旅寝塚」と呼ばれている。
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譲原石器時代住居跡
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
縄文時代後期から晩期初頭の敷石住居跡です。体験学習館(MAG)の隣に覆屋があります。
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土師の辻
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
土師神社(ドシジンジャ)の境内には、土師の辻と呼ばれる相撲の土俵があります。江戸時代には出世力士が披露相撲したと伝えられ、幕内力士でなければ土俵に上がれなかったそうです。土師神社は相撲の元祖としてたたえられている『野見宿禰(ノミノスクネ)』を祭神としています。秋祭りでは獅子舞・花馬・流鏑馬が行われます。
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高山社跡
群馬県 藤岡・碓氷・磯部・妙義
- 史跡
「高山社跡」は、世界遺産『富岡製糸場と絹産業遺産群』の構成資産のひとつであり、国指定史跡です。高山社跡は「養蚕改良高山社」の創始者・高山長五郎(生没年1830〜1886)の生家で、養蚕法「清温育」の研究と社員への指導を行っていた場所です。 長五郎は明治6年(1873)「養蚕改良高山組」を組織し、自宅で養蚕法の改良と組合員への指導を行いました。明治17年(1884)には「養蚕改良高山社」と改称し初代社長に就任しています。その後、教えを請うものが増えたため明治20年(1887)に藤岡町に事務所と伝習所を移し、自宅は高山分教場として後進の指導を続けました。 現在は蚕室(養蚕用家屋)と付属屋が残っておりますが、周囲にも蚕室の痕跡が認められるため、現存する建物だけでなく敷地全体が世界遺産構成資産、また、国指定史跡となっています。 解説員がおりますので、お気軽にお声掛けください。 団体で見学をご希望の場合は、文化財保護課へご連絡ください。
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