八王子・立川・町田・府中・調布の史跡 スポット 20選
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武蔵陵墓地
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
八王子駅より北に1km、長房町にある東日本で初めて設置された皇室墓地。通称「多摩御陵」とも。大正天皇の御陵「多摩陵」とその東隣にある貞明皇后の御陵「多摩東陵」に加えて、平成2年には昭和天皇の御陵「武蔵野陵」が、平成13年には香淳皇后の御陵「武蔵野東陵」が新たに造られ、現在は合わせて4陵が置かれている。北山杉が植えられた陵墓地内は荘厳な雰囲気で、八王子八十八景の一つにも数えられる。
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蔵敷高札場
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
高札場とは、江戸時代に幕府が法度や掟書を発布したり、重罪人の罪状などを記して板札を掲げられていた場所で、明治時代になり、次々に取り壊され、都内に残っている高札場は蔵敷高札場と、府中にある府中高札場の二カ所のみとなっています。 東京都の旧跡に指定されています。
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大善院
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
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高尾山さる園・野草園
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
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地蔵菩薩像(長坂橋の笠地蔵)
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
元禄13年(1700年)に建立されました。多摩ニュータウン開発に伴い、多くの石造物が散逸・消失等していく中、一時期仮移転しましたが、元の位置にかつての姿そのままで鎮座しています。ツゲの木を笠にしている事から通称「長坂橋の笠地蔵」と呼ばれ、子育て地蔵、身代り地蔵とも言われ信仰されています。 市指定有形民俗文化財
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霞ノ関南木戸柵跡
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
建歴3年(1213年)、鎌倉街道に設置された関所の南木戸の柵跡です。昭和36年に東京都の史跡に指定されました。
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稲荷塚古墳
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
径34mの全国でも珍しい八角形と推定される古墳。石室は保存のため埋め戻している。墳丘のみ見学可能。
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下里本邑遺跡
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
約9,000年前の縄文時代の生活跡の復元をはじめ,石器や土器が展示されています。
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新山遺跡
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
縄文時代中期の集落跡。
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中里の富士塚
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
富士山は古くから信仰対象の山とされてきていますが、特に江戸時代中期には富士登拝の風潮が盛んとなりました。しかし、実際の富士登山は経済的負担が大きく、危険が伴うことから、富士登山のできない人々のために富士塚が各地で築かれました。中里の富士塚は、文政8年(1825年)に丸嘉講武州田無組中里講社の講徒によって、柳瀬川右岸の段丘縁辺地に築かれました。現在の富士塚は、周囲より約9mの高さです。富士塚の北側に設けられた鳥居をくぐると、登山道が九十九折りに続き、途中一合目から九合目までの小さな石柱があります。山頂には石製小祠と大日如来を刻んだ石碑があり、登山口と登山道の途中にも様々な富士信仰に関係する碑が建てられています。 また、登山道に向かって右側山麓に、現在は閉鎖されていますが横穴が掘られています。この横穴は、富士山麓の風穴と呼ばれる洞窟をくぐることによって安産の利益があるという胎内巡りを模して掘られた横穴です。今日でも富士登山や火の花祭りなどの講行事が継続され、関係する武州田無組丸嘉講中里講社関係資料も含めて東京都指定有形民俗文化財に指定されています。
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分倍河原古戦場
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
新田義貞と鎌倉北条氏との天下分目の戦場跡。 元弘3年(1333年)5月、上州に討幕の兵を挙げた新田義貞は16日、この地で北条泰家率いる幕府軍を下し、鎌倉に攻め入りました。この時、新田軍は10万、幕府軍はこれをやや上回る数だったと『太平記』に記されています。
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兜塚古墳
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
狛江古墳群のなかではもっとも原形を留めている古墳で、東京都の史跡に指定されています。直径38m、高さ6mほどの円墳で、これを取り巻く周溝からは円筒埴輪が出土しています。6世紀半ば頃に築造された古墳です。
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亀塚古墳
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
本来は全長約40m、高さ6mほどを測る帆立貝型の前方後円墳でした。現在はそのごく一部が残されており、徳富蘇峰の筆による「狛江亀塚」の石碑があります。5世紀末頃に築造された古墳で、昭和26年に行われた発掘調査では、鏡・馬具・装飾具・武具・埴輪など多彩な副葬品が出土しました。
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玉川上水
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
江戸時代から300余年にわたって都心に飲料水を供給してきた。現羽村市の名主庄右衛門・清右衛門兄弟の尽力により、約1年の短い工事期間で48kmの上水が完成した。
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緑川東遺跡
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
緑川東遺跡(国立市青柳1・3丁目)で4本の大形石棒が出土しました。 石棒は被熱していたり、破損している事例が大半ですが、この石棒はほぼ完全な形のものが4 本並べ置かれた状態で出土したことから、縄文時代の石棒祭祀の具体的なあり方を考える上で、その学術性には極めて高い価値があると評価されました。
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城山(三田氏館跡)
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
中世豪族の館の跡と伝えられ、東京都の歴史環境保全地域にも指定されている。コナラやブナ、クヌギのそびえるこんもりとした小さな森を形づくっている自然の宝庫。
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恋ヶ窪村分水
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
明暦3(1657)年に、国分寺村・恋ヶ窪村、貫井村(今の小金井市)の3つの村が幕府に願い出て開削した玉川上水の分水で、恋ヶ窪村へ水を引いた堀の跡が残っている。緑地内の堀の幅は上端部で約6〜9m、堀底で約50センチメートル、深さは約5mの規模があり、玉川上水の分水にしては規模が大きく、堀底は北から南に向って低く傾斜している。また、用水路の西側は中世の鎌倉街道を踏襲した道で、江戸時代には川越街道と呼ばれ、昭和19年頃に現在の府中街道が整備されるまで、恋ヶ窪地域の主要な幹線道路だった。恋ヶ窪村分水は、昭和40年代初頭まで水田を潤す灌漑用水として使われましたが、その後は大部分が暗渠となり姿を消した。江戸時代の貴重な土木遺産として、開削360年目にあたる平成29年に市の史跡に指定された。用水路跡と周辺の緑地は平成29〜30年度にかけて整備され、平成30年7月13日に恋ヶ窪用水路周辺緑地としてオープンした。
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東山道武蔵路跡
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
駅制に基づいて7世紀後半から8世紀前半にかけて都と地方の国府を結ぶ七道駅路(古代官道)が整備された。東山道は中部地方から関東・東北地方の山間部を中心とする地域で、武蔵国を含め9か国が所属していた。東山道武蔵路は上野国(現在の群馬県)から南下して武蔵国府に至る往還路(東山道本道の支路)。発掘調査の結果、幅12mの道路跡が台地上から谷部にかけて490mの長さで確認された。現在、その道路跡の約300メートルを歩道形式で保存している。また、谷部へ下る切り通しの部分の遺構レプリカを野外展示している。
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武蔵国分寺跡
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
奈良時代の中頃の天平13年(741)、聖武天皇は仏の力で国を安定させるために、諸国に国分寺の建立を命じた。武蔵国では、都と国府(現府中市内)を結ぶ古代官道「東山道武蔵路」沿いの東に僧寺、西に尼寺が計画的に配置された。武蔵国分寺跡は、全国の国分寺跡と比べても規模が大きく、その歴史的重要性から、大正11年に国指定史跡に指定されている。武蔵国分寺の寺域は、僧寺・尼寺を合わせて東西900m・南北550mに及び、諸国に建てられた国分寺の中でも最大級の規模を誇った。1333(元弘3)年、新田義貞の鎌倉侵攻の際に戦火で焼失したと伝えられる。尼寺は整備を終え、僧寺の中枢部の整備も平成30年度に完了し、平成31年3月から市立歴史公園として開園している。
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久米川古戦場
東京都 八王子・立川・町田・府中・調布
- 史跡
新田義貞が鎌倉討幕の時の戦いや中先代の戦い,武蔵野合戦など幾多の戦場となった。
八王子・立川・町田・府中・調布の史跡探し
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