恵那・多治見・可児・美濃加茂の史跡 スポット 20選
-
傑作! 日本昔ばなし「鬼の首塚」
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
( 福鬼伝説とは )現在の鬼岩公園に住んでいた「関の太郎」と呼ばれる男が、乱暴狼藉を極めたため、退治されこの地に埋められたが、後に福鬼となって蘇ったというお話しです。その伝説が、御嵩町に古くから伝えられ「鬼の首塚」という物語となっていますので、今日は、そのお話をご紹介します。◆ じいさまから聞いた話 「鬼の首塚」 ◆ 御嵩町HPより 下のホ−ムペ−ジをクリックして!お話の中にでてくる願興寺はここクリックして→ www.kankou-gifu.jp/spot/3393/
-
兼山湊跡
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
木曽川上流部唯一の商用港でした。常夜灯と船着き場の石畳が当時の名残をとどめている。
-
岩村城跡
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
大和の高取城、備中の松山城と並ぶ日本三大山城の一つ。標高717mで城下町を見下ろし、遠く御岳山、木曽駒ケ岳を望む。本丸、二の丸、出丸、八幡曲輪、帯曲輪など石垣が残る。文治元年(1185)加藤景廉の創築とされ、遠山氏時代を経て戦国時代には森蘭丸が城主となった。江戸時代には岩村藩となり松平氏、丹羽氏らが藩主として記録が伝わっている。明治維新後城は取壊されたが、1700mに及ぶ石垣は今なお往時の面影を残している。麓の藩主邸は焼失したが平成元年、ふるさと創生事業により太鼓櫓、御殿門、平重門、土蔵などが復元されている。また、敷地内には岩村の歴史を展示した岩村町歴史資料館が建てられ、近くに岩村町民俗資料館もある。 平成29年に「岐阜の宝もの」に認定された。
-
明智城跡
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
遠山氏の居城。自然の地形を巧みに利用した山城。石垣は見られませんが城跡は公園となり散策道も設けられています。県の指定文化財になっています。
-
久後古墳
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
円墳で横穴式石室を持ち,徳平古墳よりやや大きい。
-
徳平古墳
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
円墳で横穴式石室を持ち,陶祖碑がたてられている。
-
遠山塚
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
武田軍との攻防に敗れ、自刃した明智城主遠山景行をしのぶ碑。
-
女夫岩
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
-
四つ割の南無阿弥陀仏碑
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
飢餓、疫病等に対する祈願と犠牲者の供養のため建てられた南無阿弥陀仏碑は、明治三年、廃仏毀釈により取り壊しの命令がくだりました。しかし、石工した著作者は打ち砕くことはせず、四つ割にし踏み石として見えないようにしました。時は経ち、廃仏の嵐も収まった昭和十年、四つ割りにされた石を集め再建されました。
-
細久手宿
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
-
白川橋
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
-
泳宮古跡
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
景行天皇が美濃に行幸されたとき、仮宮とされたのが現在の泳宮です。滞在中に八坂入彦命の娘を見初め妃としたと伝えられています。
-
苗木城跡(赤壁城跡)(霞が城跡)
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
**中津川駅から苗木城跡までの直行バス「苗木城線」は、新型コロナウイルス感染防止のため、2020年は全便運行休止となりました。** *危険箇所が確認されたため、当面の間、一部散策道が通行止めとなっております。(令和2年7月16日現在)最新の情報はホームページ等でご確認ください。* 国指定史跡。別名:赤壁城、霞が城 苗木城は,中津川市内を東西に貫流する木曽川の右岸に一段と高くそびえる城山(432m)に築かれていました。木曽川から山頂の天守跡までの標高差は約170mあります。岩山の上で利用できる土地の確保が困難であったため,建物の構築方法に懸造(かけづくり)が使われているなど,自然の地形を有効に生かして築かれた山城です。 城の建物は明治4年に取り壊され,現在は石垣のみが遺されています。苗木城跡は、江戸時代の城跡として当時の地形のまま保存されていますので、ガケや石垣など危険な場所があります。 特に冬期の苗木城跡は、日陰の場所などで凍結しているところがあります。 見学の際は凍結状況など十分注意して入城していただくか、無理な入城は避けていただきますよう、お願いいたします。 <冬期の苗木城跡におけるボランティアガイドについて> ボランティアガイドは冬季はお休みいたします。
-
阿木城跡
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
阿木城は通称城ヶ峰と呼ばれる標高541m、比高差約60mの山上一帯に築かれています。城の広さは東西約180m、南北約150mで、近隣の中世城郭の中では大規模な城です。遺構の保存状態も良く、当時の城の形態がよく分かります。 城がいつ頃に築かれていたのかは定かではありませんが、文献や遺構などから戦国時代末期には築城されていたと考えられています。 戦国時代の東濃地方は、織田氏・武田氏の激しい勢力争いが繰り広げられており、その中で阿木城も何らかの役割を果たしていたと思われます。
-
戸狩荒神塚古墳
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
二段に築造されており、円墳としては岐阜県下最大規模。埋葬者は八坂入彦命に関係のある東濃地区一帯に権力をもっていた大豪族であると考えられています。
-
一里塚
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
大湫町権現山・大湫町八瀬沢・日吉町奥之田・日吉町鴨ノ巣の四箇所。瑞浪のように連続した4箇所の一里塚が残っている例は全国的にも稀。
-
土岐頼兼の墓
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
東濃に生れて後醍醐天皇の討幕の計画を受けて多治見国長らと京都へ上がったが、幕府側に事前に漏れてしまい、六波羅探題からの襲撃をうけて打ちとられた。京の三条河原(さんじょうかわら)にさらされた首級を、家臣の根竹十郎がうばいとり故郷に逃がれて葬ったのち自刃した。
-
琵琶峠
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
大湫町と日吉町の境に位置する美濃国中で最も高い峠(標高約540m)で、周辺には往時の面影を残す道標、石仏や一里塚も現存し、峠開削時のノミ跡を有する岩などがある。
-
大井宿本陣跡
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
正門は懸魚カエルマタの様式で江戸初期の建築で、県の重要文化財に指定されている。街道から見る正門と松の風情はかつての中山道大井宿をしのばせてくれる。(内部は非公開)。
-
落合砦(千畳敷公園)
岐阜県 恵那・多治見・可児・美濃加茂
- 史跡
明知城が宝治元年(1247年)に築城されたころ、この千畳敷台地に落合砦を築いたと伝えられています。伝承によれば、明智光秀公はこの砦で生まれ、産湯として使ったとされる井戸が残されています。
恵那・多治見・可児・美濃加茂の史跡探し
恵那・多治見・可児・美濃加茂で体験できる史跡の店舗一覧です。
アソビュー!は、恵那・多治見・可児・美濃加茂にて史跡が体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの恵那・多治見・可児・美濃加茂で史跡を体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。