京都南部(宇治・長岡京・山崎)の史跡 スポット 20選
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松の下露跡
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
さしていく笠置の山をいでしより 天が下にはかくれがもなし(太平記)武家政治を打破し、天皇政治をとり戻す策略が発覚した後醍醐天皇が、逃れようとする途中に大きな松の下で休まれ、そのときに詠じられた歌が、木立のなか、歌碑として残されている。
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永谷宗円生家
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
江戸時代中頃(1738年)に「青製煎茶製法」を開発・普及し、日本の緑茶製法の基礎を築いた永谷宗円の生家(昭和35年再建)。内部には製茶に使われた貴重な焙炉(ほいろ)跡が保存されており、映像で宗円の足跡やお茶の製法を知ることができます。
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信西入道塚
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
平安時代末の「平治の乱」で源氏に敗れた藤原信西が、領地のある宇治田原に逃れたところを捕らえられ斬首され、その首を持ち帰った領民により葬られたという塚。向かいの大道神社とともに、秋には町内の紅葉のかくれた名所となる。
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山口城跡
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」が勃発し、堺にいた徳川家康は領国三河へ逃亡。道中、郷之口の山口氏の居城で休憩し、奥山田を経て信楽・伊賀へ逃れた。現在は茶畑等になっているが、堀や石垣跡などの痕跡が残る。
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田原天皇社跡
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
「田原天皇(施基皇子)」は天智天皇の皇子で万葉歌人。伝承では宇治田原の高尾と荒木に館を構え、そこで亡くなったために陵墓が作られたという。天皇谷の入口、現在の大宮神社裏参道横に田原天皇社が祀られたが、明治になって大宮神社に合祀された。跡地には三宅安兵衛建立の石碑が建つ。
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禅定寺五輪塔
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
禅定寺山門を入った場所に置かれてあり、康永3年(1344)銘が刻まれている。当時禅定寺の財産の管理者に男子の跡継ぎがなく、長女の蘭雀女のためにその妹が建てたと伝えられる。
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田原又太郎忠綱の墓
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
治承4年(1180)、以仁王の平氏追討令に呼応して挙兵した源頼政は平等院に布陣し宇治川を挟んで平氏軍と対峙した。その頼政軍を攻めて武功を揚げた平氏方の武将足利忠綱は、地元の伝承では郷之口北堂山にてその後の平氏の滅亡を嘆いて自刃したとも、宇治川合戦で負傷してたどり着き息絶えたともいわれる。住民は供養塔を建て又太郎社を祀ったが現在は郷之口の斎田神社に合祀される。現在は軍人墓地の一角に碑が建っている。
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宝筐印塔
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
大宮神社宝筐印塔と同じタイプで鎌倉時代の塔。南区の旧「切林村」に位置し、和束町から伊賀方面へ向かう街道横にある。ここで旅人がわらじの緒を締め直し旅立ったことから地元では「わらじの神様」と呼ばれている。町指定文化財。
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蕪村の宇治行〜田原の隠れ里
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
江戸時代を代表する俳人のひとり「与謝蕪村」は、晩年に宇治田原の門人の招きで来訪し、松茸狩りなどを楽しみ紀行文「宇治行」を記した。そのときの礼状に記された句を刻んだ句碑が郷之口の「妙楽寺」にあり、高尾地区や田原川のことを句に詠んでいる。また、万葉歌人「施基皇子(田原天皇)」が高尾や荒木で暮らして陵墓が作られたという伝承があり「田原天皇社」に祀られた。このハイキングコースは郷之口側と荒木側の双方からたどることができる。
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鷲峰山登山道〜祈りの参詣道
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
南山城の最高峰である鷲峰山(682m)は役行者によって開かれたといわれ、古来吉野と並び称される山岳宗教の拠点として栄えた。現在は山頂付近の金胎寺境内が国史跡に指定され、山頂からは遠く琵琶湖まで見渡せる。古くから山頂を目指す人々が宇治田原大道寺から登り、今も道標などが点在する。「維中前」バス停を起点としたハイキングコースが設定され、ガイドマップが設置されている。
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山瀧寺跡
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
白鳳時代(7世紀後半)に建立された古代寺院跡で、付近から飛鳥の寺院や平城宮などと同じ瓦が出土している。「禅定寺文書」の鎌倉時代の記述に「山瀧寺」の名が見られ、昭和20年代まで「大御堂」が存在していた。現在の「観音堂」には鎌倉時代の木造十一面観音立像(町指定文化財)が安置され、毎月18日に開帳される。明治6年(1873)には町内最初の学校「維孝館荒木小学校」が設置された。大宮神社の手洗い鉢は山瀧寺の塔の礎石だったといわれる。
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橘諸兄公旧趾
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
井手山地裾には、後期古墳が確認されているだけでも10ケ所ある。その中の北大塚古墳が橘諸兄のものといわれ、記念碑がたてられている。
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椿井大塚山古墳
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
昭和28年(1953)、古墳の後円部を南北に走る国鉄奈良線(現JR奈良線)の拡幅工事の際、偶然に竪穴式石室が出土。邪馬台国女王卑弥呼の鏡といわれる「三角縁神獣鏡」を含む四十面近い銅鏡や多くの副葬品が発見された。古墳時代前期(三世紀後半)の中でも最古に位置づけられる代表的な前方後円墳で、平成12年(2000)「国史跡」に指定された。
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上狛環濠集落跡
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
通称「大里」と呼ばれ、長径600メートル、短径300メートルの周囲を掘りに囲まれ、山城国一揆の中心となった。 日本の環濠集落の中でも規模の大きいものの一つ。
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以仁王の御陵
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
以仁王を祀る高倉神社が隣接している。
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高麗寺跡
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
飛鳥時代から平安時代まで存続していた寺で、高句麗(朝鮮半島)からの渡来氏族狛氏の氏寺として創建されたと考えられている。伽藍は西に金堂、東に塔を持つ法起式の配置で寺域は一辺が約200mの規模であったと考えられる。昭和15年(1940)に国史跡に指定され、現在は跡地に石碑が建てられており、国内最古の寺院跡の一つ。
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恭仁宮跡(山城国分寺跡)
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
聖武天皇が奈良から遷都、後に国分寺を建てたところ。 昭和32年(1957)7月に国の史跡に指定され、平成19年(2007)2月には史跡名称が「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」となり宮跡全体が守られている。
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和銅開珎鋳銭司跡
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
日本最初の貨幣を鋳造したという鋳銭司跡。「和同開珎」を鋳造。奈良時代の鋳銭司は、現在の造幣局。銭司の地名は鋳銭司に由来する。
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燈明寺跡
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
天平年間の開基と伝えられる古寺だが、遺構はない
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笠置山行在所跡
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 史跡
後醍醐天皇の行在所跡、元弘の乱で有名な笠置寺がある。
京都南部(宇治・長岡京・山崎)の史跡探し
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