尼崎・宝塚・三田・丹波篠山の史跡 スポット 20選
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八上城跡
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
大永6年(1526年)までに波多野氏が、丹波富士と呼ばれる高城山に築城。一時城を失ったが、永禄9年(1566)波多野秀治が奪回、丹波国内に40余の城と30余の砦を築くも明智光秀により天正7年(1579)城を奪われる。のちに松平康重が入封し、慶長14年(1609)篠山城を築いたた廃城となった。 城跡には礎石などが残っている。旧城下であった山麓の八上には、街道に沿って妻入の民家や市指定文化財の重兵衛茶屋が残る。
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尼崎城址公園(尼崎城)
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
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黒井城跡
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
戦国時代の古城址で完全な山城。天正7年、明智光秀のために落城の悲運にあった赤井直正居城あと。(撮影:前田太陽氏)
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織田家廟所
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
織田休信以降、明治維新まで柏原藩を治めた織田家の歴代藩主と、その家族の墓地です。江戸時代は、織田家菩提寺・徳源寺の境内とでしたが、廃寺となり廟所だけが残っています。
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柏原藩陣屋跡
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
織田信長の子孫が藩主をつとめた柏原藩の陣屋跡。柏原藩2万石の居館及び政庁として1714年の造営から途中火災に見舞われましたが、廃藩置県まで役目を果たしました。現存する建物は一部ですが、全国でも数少ない陣屋遺構として、また明治以降小学校として使用された経緯から、幕末から近代に至る学制の変遷を考えるうえでも貴重であるとして、国の史跡に指定されています。
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高見城跡
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
南北朝時代に足利尊氏方の仁木頼章が築いた。
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多田銀銅山悠久広場
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
明治時代の堀家製錬所跡が見学できます。
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国史跡多田銀銅山遺跡
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
多田銀銅山は、猪名川町域では銀山地区を中心に栄えました。豊臣政権時には直轄鉱山となり「台所間歩」や「瓢箪間歩」など秀吉ゆかりの間歩(坑道)が残り、盛山の様子がうかがえます。青木間歩(坑道)は中を見学できます。(写真)
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小林家長屋門
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
西外壕側の道沿いにある茅葺屋根の長屋門。文化年間(1804〜1818)に、篠山藩第12代藩主青山忠裕がその老女のために修築した屋敷の長屋門で、篠山城下の武家屋敷門を代表する建物。
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車塚古墳
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
古墳時代中期(5世紀)前半、2基の培塚にはさまれ築造された大規模な前方後円墳。周濠を巡らす定型化した墳形を持ち、埋葬主体に長持型石棺を用いている。
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五ケ山2号墳
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
6世紀後半のもの、標高135mの屋根上に立地、円墳径23m、横穴式石室、須恵器、鉄鏃、石棺片等が出土した。
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篠山城跡
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
慶長14年(1609年)徳川家康が天下普請で築いた城で、松平康重が初代城主。丹波最大の城郭と城下町ができたが、それにともなって八上城は廃城となった。 現在、建物はすべて失われたが、石垣や外堀はよく残っている。なお城主の青山氏をまつる青山神社が本丸址にある。なお、平成12年3月に二の丸に大書院が復元された。 ◎松平康重(1568-1640)江戸前期の大名。大坂落城ののち、丹波国篠山五万石に封ぜられ、1619年和泉国岸和田城に移り、のち六万石となった。
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三田城跡
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
1574年荒木平太夫の置封で、門前集落を基礎とした城下町が建設された。その後、戦国時代末期から、山崎堅家、有馬則頼、松平重直と城主が代わり、江戸時代、1633年志摩鳥羽の九鬼久隆が三万六千石の大名として入封した。城跡は現在の三田小学校のあるところで、有馬高校実習園が二の丸跡である。三田小学校前に城跡碑があり、有馬高校との間にわずかに内堀が残る。
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御願塚古墳
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
古墳時代中期(5世紀)に築造された帆立貝式の古墳。墳丘長52m、その周囲には水を湛えた濠が巡っています。昭和41年に県指定史跡に指定されました。
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伊丹廃寺跡
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
白鳳時代(8世紀初め)の寺院跡で、法隆寺式伽藍配置。昭和33年(1958)に基檀の一部を発見、その後、発掘調査が行われ、昭和41年に国指定史跡となりました。金堂・塔の基檀、朱塗りの門などが復元され、史跡公園になっています。
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有岡城跡
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
有岡城跡は、猪名川の西岸、伊丹段丘(だんきゅう)東縁部の一角に位置します。もとは伊丹氏が南北朝時代から戦国時代にかけて伊丹城を築いていたところです。 天正2年(1574)11月、織田信長の武将荒木村重は、伊丹氏を追放し伊丹城に入城しました。そして城の名を有岡城と改めて、大改造を行いました。城だけでなく、侍町と町屋地区をも堀と土塁で囲んだ惣構(そうがまえ)の城としての価値を認められ、昭和54年12月に国の史跡に指定されました。(昭和63年5月追加指定)
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谷崎潤一郎「細雪」文学碑
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
文豪谷崎潤一郎の小説『細雪』の文学碑があります。文字は松子夫人の書。「こいさん、頼むわー」。『細雪』の有名な冒頭部分です。芦屋を舞台に大阪の四人姉妹を描いた作品です。芦屋の地で松子夫人の姉妹と共に過ごした日々が『細雪』を生んだと言われています。ちなみに、「こいさん」とは「小娘さん(こいとさん)」の略で、昔、大阪の家庭で一番末の娘をこう呼んでいたようです。
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水車臼跡
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
阪急芦屋川駅から山手側開森橋から北に向かって歩いていくと、民家の石垣に水車臼跡を見ることができます。これは、明治10年代から30年代にかけて、この地の傾斜を利用して、たくさんの水車が川筋に立てられて菜種の油を絞ったり、米をつくために使われたり、小麦粉をついて素麺を作るために利用されたりしていました。しかし、時代の流れとともに水車が利用されなくなり、今ではもう水車はなくなってしまいましたが、この石垣にはめ込まれた水車臼をみると、昔の面影を見ることができます。
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会下山遺跡
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
珍しい山頂の住居跡で、竪穴式住居が復元されている。
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具足塚古墳
兵庫県 尼崎・宝塚・三田・丹波篠山
- 史跡
6世紀前半のもの、円墳径17m横穴式石室、多くの須恵器・鉄鏃・馬具・装身具等が出土した。
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