倉吉・三朝・湯梨浜の史跡 スポット 20選
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法華寺畑遺跡
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
倉吉市西郊の丘陵上にある、古代伯耆国の伯耆国庁に関連する役所として使用され、のちに国分尼寺に転用されたと推定される国の史跡。伯耆国分尼寺跡とも。法華寺畑遺跡のほか国庁跡、不入岡遺跡を加えた3遺跡を総称して伯耆国府跡という。現在法華寺畑遺跡は歴史公園として整備されており、広い芝地やトイレも設置されている。古代の四脚門としては最大級のものである西門と板塀を復元している。JR倉吉駅からバスで25分。
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橋津の藩倉
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
橋津には、全国的にも希少価値の高い灘蔵が現存しています。江戸時代の最盛期には、15棟の蔵が軒を連ね、最大で約5万俵の年貢米を収納したと言われています。収納された年貢米は藩の船によって大阪に運ばれ、鳥取藩の財政を潤していました。橋津は、馬ノ山古墳群に象徴されるように原始古代から海上交通の要衝であったことがうかがえます。現在は[古御蔵][三拾間北蔵][片山蔵]という3棟の御蔵が残っているだけですが、とりわけ[古御蔵]には建築年代を特定する棟札が残されており、全国的にも大変貴重な資料であるといえます。
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大高野官衙遺跡
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
大高野官衙遺跡は7世紀末〜9世紀(飛鳥〜平安時代)の古代八橋郡の正倉(しょうそう)跡と思われる遺跡です。 古代国家の地方支配を具体的に知る上で、重要な遺跡として郡衙関連遺跡としては鳥取県内で初めて国史跡に正式指定されました。
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北山古墳
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
全長110m、山陰地方では最大級の前方後円墳です。
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船上山行宮跡
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
後醍醐天皇の建武の新政発祥地。名和長年が奉じた。
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槻下豪族館跡
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
中世の武士の館あとで、今は堀や土塁が残っている。
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斎尾廃寺跡
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
国指定の特別史跡,法隆寺形式をとった寺院跡で,遺構が発掘された。学術的に貴重で,多数の古瓦などが発掘されている。
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国史跡 由良台場跡
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
幕末、外国船の脅威にそなえて作られた砲台跡。現在は、公園として町民の憩いの場となっている。
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羽衣石城
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
1366(貞治5)年、南条貞宗が築いた標高376mの山城。関ヶ原の戦いで西軍に味方して敗れ、徳川方に焼き払われるまでの約250年間、南条氏の拠点となっていました。現在の天守閣は平成2年に再建されたもので、城山の中腹には天女が羽衣をひるがえしながら踊ったという伝説の場所があります。
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伯耆一ノ宮経塚
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
倭文(しとり)神社は、伯耆の国の一ノ宮として、古くから織物の神さま、安産の神さまとして信仰される神社。鬱蒼とした自然林に守られる現在の本殿は、文化15(1818)年に再建されたものです。大正14(1925)年には、随神門右手の丘から高さ1.5m、直径15mの経塚が発見され、中から数多くの埋納品が出土。そのすべてが国宝に指定されています。
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藤井谷廃寺跡
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
8世紀建立された天神野台地上に立地する古代寺院跡。享保19年(1734)の記録に礎石建物等4棟がみえ、伽藍の整った寺院でしたが、現在は塔基壇と心礎が残っているだけです。
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橋津古墳群
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
橋津古墳群は通称[馬ノ山古墳群]と呼ばれ、馬ノ山の丘陵上に点在する古墳群で5基の前方後円墳と19基の円墳からなる。古墳時代前期から後期の古墳で、山陰最大級の4号墳(前方後円墳)からは、5面の古鏡・玉・刀剣・農工具類などが出土。この古墳群の内14基が昭和32年に国の史跡に指定されている。
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長瀬高浜遺跡
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
長瀬高浜遺跡は、国道9号線及び下水道終末処理場建設に伴う発掘調査で姿を現した弥生時代から中世にかけての巨大複合遺跡です。数々の貴重な発見が相次ぎましたが、最大の発見は昭和55年に大量の埴輪が古墳以外の場所から出土したことです。埴輪には色々な種類がありますが、長瀬高浜遺跡の埴輪は、動物や人物などの埴輪がなく、家形埴輪に代表される器材埴輪であり、初期の埴輪であると言われています。また、埴輪は通常古墳にたて並べられるもので、発見されるのも古墳からというのが常識ですが、古墳でない場所から一括して出土したものです。これは、古墳の築造が何らかの理由により中止されて、そのまま放置されたのではないかというのが有力な説となっています。昭和61年に国の重要文化財に指定されました。
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伯耆国府跡・国庁跡・法華寺畑遺跡・不入岡遺跡
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
国庁跡は奈良時代から平安時代の役所跡です。法華寺畑遺跡は当初、役所として使用され、後に国分尼寺に転用されたと推定されています。不入岡遺跡は奈良から平安時代に存続し、国庁の前身施設か郡庁、そして後に国府に関連する倉庫に転換されたと考えられています。 現在、法華寺畑遺跡と国分寺跡は歴史公園として整備されています。
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大御堂廃寺跡
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
7世紀中頃につくられた山陰地方を代表する最古級の寺院跡です。「久米寺」という寺名で国府がおかれていた久米郡の郡名寺院であると推定されています。上灘小学校には柱穴径約87cmの塔心礎が移されています。
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打吹城跡
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
延文年間山名師義が築いたとされる。大永4年尼子経久に奪われるが,その後毛利氏の援助で奪回する。天正10年(1582)の毛利,豊臣和睦後,南條元続に東伯耆三郡が与えられ,元続は小鴨元清を入れて南條元忠の後見とした。
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三明寺古墳
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
6世紀末に構築された直径18m、高さ6mの円墳。山陰最大級の横穴式石室(全長8.3m)をもつ。玄室内の奥壁に密着して遺体を納める石屋形(いしやかた)状の石囲いがあるのが特徴。
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伯耆国分寺跡
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
天平13年(714年)聖武天皇の発願により全国の国ごとに造営された国立の寺院跡です。寺域約2.9ヘクタール、東西182m、南北160m。主要建物の遺構は、南門、金堂、講堂、塔などがあります。
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福庭古墳
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
波波伎(ははき)神社境内にある古墳時代後期の円墳です。この地方でも最も整美な横穴式石室があります。円墳では直径35m、高さ4m、石室の全長9.5m。7世紀前半に造られたものと推定されています。
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大原廃寺塔跡
鳥取県 倉吉・三朝・湯梨浜
- 史跡
白鳳時代から奈良時代の寺院跡。東に塔、西に金堂、金堂の北に講堂を配置する。塔の心中を支えた塔心礎は直径2.9m、短経2.9mの山陰地方最大級のものです。
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