九重・久住・竹田・長湯の史跡 スポット 12選
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岡城阯
大分県 九重・久住・竹田・長湯
- 史跡
岡城は、1185(文治元)年緒方惟栄が築城したのに始まると伝えられ、その後、建武年間(1334〜37)から1593(文禄2)年までは志賀氏の居城となり、十七代志賀親次の時代には島津義弘との戦いにおいてその堅城ぶりを誇ったが、やがて大友氏の没落とともに志賀氏も城を捨て、以後、明治まで中川氏の居城となった。現在は、本丸や西の丸の周囲にめぐらされた石垣が残るだけ。一帯は公園になっており、本丸跡に土井晩翠詩碑と二の丸には瀧廉太郎像が立つ。◎緒方惟栄(生没年不詳)12世紀、豊後生えぬきの武士。維義、惟能とも書く。豊後南半を支配する大武士団を形成。初め平氏に、のち源氏に付き、九州からの平氏追討など源氏の再興に尽す。しかし義経と共に悲運な最期。『平家物語』の「緒環」の章は彼のこと。◎中川入山(1615-81)岡藩三代の藩主。陽明学を学び楠木正成の純忠を慕う。城下で火器を製作、軍制の改革を考える。熊沢蕃山を迎え、治山治水を行う。
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岡藩主おたまや公園
大分県 九重・久住・竹田・長湯
- 史跡
岡藩主の菩提寺であった碧雲寺の墓地内にあります。
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キリシタン洞窟礼拝堂
大分県 九重・久住・竹田・長湯
- 史跡
凝灰岩壁をノミでくりぬいて造った礼拝堂。内部の広さ約10平方m、ドーム型の天井の最高部は約3.5mもある。十七代岡城主、志賀親次は、熱心なキリスト教信者であったため、禁教令以後も、この礼拝堂は信者達のひそかな信仰の場となっていた。
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七ツ森古墳群
大分県 九重・久住・竹田・長湯
- 史跡
前方後円墳など4基あり、考古学上貴重な遺跡。
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旧竹田荘
大分県 九重・久住・竹田・長湯
- 史跡
江戸末期の文人画家、田能村竹田(1777〜1835)の生家。現在では竹田荘の周辺の高台や岩石を利用して庭園が造られており、また庭内には、画聖堂や筆塚もある。
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千人塚
大分県 九重・久住・竹田・長湯
- 史跡
島津軍と志賀軍が南山城を舞台に合戦をしその時の戦死者の首を埋めたところ。
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南山城跡
大分県 九重・久住・竹田・長湯
- 史跡
城地には地名が残され、出城に綱張城があり、南山城の西方2km旧稲葉村にその跡が残されている。
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鬼ケ城古墳
大分県 九重・久住・竹田・長湯
- 史跡
玖珠町森、武内神社南東の山中にある古墳です。円墳、複室、横穴式石室で線刻壁画を持つ装飾古墳。
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角牟礼城跡
大分県 九重・久住・竹田・長湯
- 史跡
角埋山の山城跡。大友、島津両氏の激戦の跡という。久留島氏の支配をうけた城跡で城塁や大手門跡が残る。
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玖珠城跡(別名:伐株山城高勝寺城)
大分県 九重・久住・竹田・長湯
- 史跡
九州における南朝方の一大拠点となった城。標高685mの伐株山頂上部にあって、現在も土塀跡があり鉄製の出土品あり。
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亀都起古墳
大分県 九重・久住・竹田・長湯
- 史跡
長さ約48mの前方後円墳。玖珠川左岸の万年山から続く扇状地の一角に位置し、玖珠郡内唯一の前方後円墳である。
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鬼塚古墳
大分県 九重・久住・竹田・長湯
- 史跡
鬼塚古墳は、伐株山の西麓に開ける扇状地の末端付近に位置し、小さな谷を望む丘陵の先端に立地する装飾古墳である。墳丘は周囲を大きく削られており、現状では直径約12メートル、高さ約4メートルの円墳である。
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