南部の史跡 スポット 20選
-
真玉橋
沖縄県 南部
- 史跡
沖縄県の那覇市と豊見城市の間を流れる国場川にかかる橋。最初にこの橋が架橋されたのは琉球王国第二尚氏時代の1522年。政治目的・水の保護・有事の際の交通経路を目的として木造で建設された。その後、第11代尚貞王の1708年に石造りの5連のアーチ橋が完成。さらに、大改修や沖縄戦での日本軍による破壊を受け一時焼失。 1963年には琉球政府によってコンクリート橋がかけられしていたが、 2002年に再びアーチ橋として架橋され現在に至っている。
-
斎場御嶽
沖縄県 南部
- 史跡
平成12年12月世界遺産。琉球最高の聖地で、アマミキヨが造った七御嶽のひとつとされる。国王の参詣や聞得大君(琉球の最高神女)の即位儀礼などが行われた。「セーファ」とは「霊力に豊に満ちている場所」の意味である。
-
具志頭城跡
沖縄県 南部
- 史跡
三山分立時代頃の城といわれる。現在は公園となる。
-
豊見城グスク
沖縄県 南部
- 史跡
-
沖縄観光タクシー
沖縄県 南部
- 史跡
-
島添大里グスク
沖縄県 南部
- 史跡
久高島や馬天港など中城湾南部の海岸風景を一望する景勝地にある城跡で、これを築いた大里按司は南山王の一族であった。佐敷の尚巴志に滅ぼされるまではその勢力は本家の南山王を凌ぐほどだった。この城の石垣は、のちに尚巴志が首里城を増築するとき、手渡しで首里まで運ばれたといわれている。
-
佐敷ようどれ
沖縄県 南部
- 史跡
琉球三山を統一した尚巴志王の父尚思紹王をはじめとした計8人が葬られた墓。屋根が駕籠型に近い独特の形をしている。※航空自衛隊知念分屯基地内にあるので事前連絡が必要。
-
受水走水
沖縄県 南部
- 史跡
霊泉として昔から崇敬されている。琉球ではじめて水田を作り稲を植えたとされている。
-
糸数城跡
沖縄県 南部
- 史跡
南部最大の古城。三方断崖に築かれた城壁が残る。
-
港川遺跡公園
沖縄県 南部
- 史跡
今から約22000年前の人骨化石「港川人」。 採石場にある「フィッシャー」と呼ばれる岩の裂け目から発見されました。
-
山巓毛
沖縄県 南部
- 史跡
糸満市街を一望できる高台にあり、晴れた日には慶良間諸島まで見わたせる。南側崖下には、南山最後の王である魚魯毎(たるまい)のものと伝わる墓がある。かつては海上にいる船が現在の位置を測るための目印にもなっていた。糸満ハーレーの当日には、祭祀を司る関係者による神事が行われる場所でもあり、ハーレー舟の出発の旗もここで振り下ろされる。
-
旧海軍司令部壕
沖縄県 南部
- 史跡
沖縄戦で日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部が設置された地下壕です。 迷路のように掘りめぐらされた壕内には、昭和20年6月13日海軍沖縄守備隊司令官大田少将が部下将兵とともに自刃した司令部屋や医務室、衣糧庫、発電室が残り、また丘上には、司令官大田実少将ほか多数の将兵をまつる海軍慰霊碑が建立されています。
-
垣花城跡
沖縄県 南部
- 史跡
二つの郭を持つ山城です。三山時代まで使われていたと思われ、城内には按司墓もあります。
-
場天御嶽
沖縄県 南部
- 史跡
琉球三山統一の覇者・尚巴志の祖父、佐銘川大主が伊是名島を逃れて移り住んだところ。
-
真玉橋遺構
沖縄県 南部
- 史跡
豊見城市と那覇市の間を流れる国場川に架かる真玉橋は、1522年に首里城ならび軍事的要素である那覇港を防御する目的として、尚真王によって架けられた橋で、首里王府と島尻を結ぶ交通の要所でもありました。 1708年に木造から5連の石造りアーチ橋への架け替え工事が完了し、その後1837年に大改修工事があり、琉球王国消滅後も石橋は存在していました。 しかし、先の大戦中、日本軍が退却する際に橋の一部が破壊され、戦後は米軍による鉄橋架設工事により、残った石橋の部分も埋められてしまいました。 その後、1995年の試掘調査により、埋もれていた真玉橋の石橋遺構が確認され、翌年に行われた調査では当時を忍ばせる石畳やアーチ部分が豊見城市、那覇市の両市で発掘されました。 戦後、半世紀を過ぎて再び風格ある姿を現した「旧真玉橋」は、当時の石工技術の高さを改めて感じさせるものでした。
-
ジョン万次郎ゆかりの地
沖縄県 南部
- 史跡
幕末から明治にかけて、アメリカで身につけた語学や知識を活かし、日本と米国の橋渡し役として活躍したジョン万次郎こと中浜万次郎(1827-1898年)は、1851年、ハワイから鎖国中の日本へ帰国する際、琉球国摩文仁間切小渡(現:沖縄県糸満市大渡)へ上陸しました。 那覇へ護送される途中、王府の命令により字翁長の高安家(屋号:徳門)に収容された万次郎は、半年間の滞在中、翁長の伝統行事に参加したり、地元の人々と酒を酌み交わしながら、琉球の方言で冗談を言い合える程、交流を深めていったと伝承されています。 万次郎が滞在した高安家は、子孫が暮らす個人の住居であり、内部を自由に見学することはできませんが、その他にも豊見城には史跡・戦跡・文化遺産が数多く存在します。 興味をお持ちの方は、「豊見城市文化課」へご連絡ください。
-
轟壕
沖縄県 南部
- 史跡
全長約100メートルの東西に延びる自然壕。壕内を川が流れる。名城の住民や他地域からの避難民が隠れていた。6月下旬に島田叡知事以下の県庁職員幹部が避難し、沖縄県庁最後の地とも言われている。知事は15日夜県庁の活動停止を命じ、眞文仁の軍司令部壕に向かった。その後入ってきた日本兵に住民や県庁職員は壕内の湿地帯に追い立てられた。18日ごろ米軍が壕を攻撃するが、日本兵は住民の脱出を許可しなかった。24日ごろ、約600名の住民が米軍に保護される。
-
米須貝塚
沖縄県 南部
- 史跡
糸満市字米須の南方約800mの海岸近くにある沖縄貝塚時代後期の遺跡。1954(昭和29)年に琉球大学による発掘調査が行われ、その調査結果から県指定史跡となった。近くの海岸には「スーガー」と呼ばれる湧水がある。この地域は貝塚形成の立地条件をよく備えた地域で、東側に隣接する砂丘には大度貝塚がある。出土遺物は土器、石器、貝製品(貝匙、貝錘)などが出土している。自然遺物としてチョウセンサザエやシャコガイ類など大型の貝がかなりの量出土している。
-
幸地腹・赤比儀腹両門中墓
沖縄県 南部
- 史跡
約1600坪の敷地に5基の破風墓がある県内最大の門中墓。「門中(むんちゅう)」「腹」とは父系の血縁集団を表す言葉で、約5000人の先祖が祀られている。1684年の創建当時から1868年までは1つの小さな亀甲墓だったが近代になり子孫が広がり、1935年の大改築により現在の姿になった。
-
具志川城跡
沖縄県 南部
- 史跡
国指定文化財。沖縄本島最南端、糸満市字喜屋武の海岸崖上に築かれたグスク。陸続きの東側城門は切石積みで、他は崖に沿って野面積みの石積みで築かれている。海に通じる潮吹き穴があり、久米島から逃れて来た久米島具志川城の按司が築いたと言われている。東側城門付近以外は三方が海に面しており、太平洋を一望する絶景スポットである。
南部の史跡探し
南部で体験できる史跡の店舗一覧です。
アソビュー!は、南部にて史跡が体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの南部で史跡を体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。