愛知県の旧街道 スポット 12選
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旧東海道(熱田・宮宿)
愛知県 名古屋
- 旧街道
関が原の合戦の翌年の慶長6年(1601)徳川家康は新東海道開設の指令を出しています。それまでの東海道は、京都からの東山道回りと伊勢路回りの二つの路線がありました。家康によって打ち出された新しい路線は、宮(熱田)から伊勢桑名へ渡海して鈴鹿を越えるというルートが選定されました。 東海道の宿場で伊勢桑名へは海路七里、それゆえ七里の渡しといわれました。現在は、常夜燈や時のやぐらが復元され、公園となっている。
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旧東海道(鳴海・有松)
愛知県 名古屋
- 旧街道
旧鳴海宿は旧東海道宮の宿のひとつ江戸寄り、江戸から数えて40番目の宿駅だったところ。旧東海道の街道筋の面影は、名鉄鳴海駅のすぐ北側にわずかだが残っている。ここでまず訪れたいのは、駅から北へ向かい、旧東海道を渡ったところにある誓願寺。境内には1573(天正元)年建立の芭蕉供養塔と1858(安政5)年に建てられた芭蕉堂がある。また、名鉄有松駅の西側にしぼりで名高い有松の町なみがある。1608(慶長13)年に有松しぼりの開祖、竹田庄九郎ら8名が東海道に沿うこの地に移住して以来、江戸時代を通じてしぼり業者の町として形成されてきた。今もしぼり問屋をはじめ往時を伝える江戸時代末期の土蔵造の町屋が10数軒残り、伝統的建造物群保存地区に指定されている。
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姫街道
愛知県 三河
- 旧街道
姫街道は本市北部に位置し、浜名湖の湖北を通る東海道の脇街道で本陣・旅篭が並ぶ嵩山宿が残り、万葉集の和歌「二見の道」や、八代将軍・吉宗に献上された「享保の大象」の通行など、ロマンチック街道である。姫街道沿道の歴史文化遺産及び自然資源としては、長楽一里塚碑・長楽追分・霊峰石巻山・萬福寺・月ケ谷城跡・長澤蘆雪寺として有名な正宗寺・石畳道・国の史跡「嵩山蛇穴」・嵩山一里塚・名勝「どんがめ」・三遠国境景勝地「嵩山七曲り」等、往時の面影が色濃く残っており、四季を通じてハイキング・森林浴・自然観察など身近で健全な観光スポットとして親しまれている。
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旧東海道(藤川宿)
愛知県 三河
- 旧街道
「藤川宿」は品川宿から数えて37番目の宿場町で、町並みは約1kmあった。1601年(慶長6年)に藤川に伝馬朱印状が発給されて藤川宿が成立したが、発足当時の藤川宿は小さく、1648年(慶安元年)に隣村の市場村の68戸を現在地に移住させて、宿場町の形が整った。現在、約1kmの松並木は、市天然記念物に指定されている。また、芭蕉の句で有名なむらさき麦の栽培が再現され、毎年5月中旬に色づく。
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下街道
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 旧街道
現在の県道内津勝川線(旧国道19号線)は下街道と呼ばれ、名古屋と中山道を結ぶ庶民の道として栄えた善光寺街道です。所々に古い建物が残る勝川駅と春日井駅を結ぶ4.5キロの旧下街道、両駅には、大弘法の像がそれぞれ建立されています。
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美濃路街道(起〜萩原)
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 旧街道
宮宿(名古屋市熱田区)から垂井宿(岐阜県不破郡垂井町)までの14里余りを結ぶ美濃路街道。 船旅の東海道を避け,女,子供,大部隊の行列に便利であった。
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美濃路
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 旧街道
【美濃路とは】 美濃路は、中仙道の垂井宿(岐阜県垂井町)から東海道の宮宿(名古屋市)を結ぶ全長十四里二十四町十五間(約五十七・五km)の街道です。 中仙道の垂井宿からはじまり、途中には、大垣宿(岐阜県大垣市)、墨俣宿(岐阜県大垣市)、起宿(一宮市)、萩原宿(一宮市)、稲葉宿(稲沢市)、清須宿(清須市)、名古屋宿(名古屋市)の七宿があり、東海道の宮宿に合流します。又、足下には、間の宿(岐阜県羽島市)も置かれました。 慶長五年(一六〇〇年)関ヶ原の合戦のとき、福島正則が先鋒として進撃し、勝利後に徳川家康が凱旋したとき、この道を通って帰ったことから「お悦び街道・吉例街道」とも呼ばれます。五街道と同じく、江戸幕府直轄の街道で、道中奉行の支配下に置かれ、道幅・松並木・一里塚・宿場・助郷も五街道なみとなっています。 東海道の鈴鹿峠越えや海路の「七里の渡し」に比べ、遠回りになりますが、安全性が高く、天候に左右されず予定通りの通行が可能であったため、女性にも重宝され、多くの旅人が利用しました 徳川家康・秀忠・家光らの将軍をはじめ、参勤交代の大名や朝鮮通信使、琉球王使節、お茶壷道中など、さらには、象も、この街道を通っていたなど、一般民衆の旅の利用はもとより多くの人たちがこの道を往来しました。 【稲葉宿】 天保十四年(一八四三)の稲葉宿は、家数三三六軒、人口一五七二人、旅籠屋八軒、本陣・脇本陣各一軒、問屋場三箇所がありました。本陣の小沢村の原所次右衛門の家は、門構・玄関付で建坪一一三坪(約三七三平方m)、脇本陣の東町の吉田又吉の家は、門構・玄関付で建坪七〇坪(約二三一平方m)でした。問屋場が三箇所あり、稲葉村西町の西問屋場は原氏と伊東氏が交代で勤め、稲葉村東町の中問屋場を伊東氏、小沢村の東問屋場を原氏があずかり、一問屋場二日交代で勤めたといいます。宿場の長さは、八町二一間(約九一一m.)でした。
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東海道松並木
愛知県 三河
- 旧街道
江戸幕府の命により整備され、知立は東海道五十三次の39番目の宿場(池鯉鮒)として栄えた。現在は、市の東部山町から牛田町に至る約500mの間に松並木が残る。平成18年の調査では北側93本、南側88本松があった。この松並木は側道がついているのが特徴で、江戸時代に行われた馬市との関連が考えられる。
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信長街道
愛知県 尾張・犬山・小牧
- 旧街道
この街道は、かつて若き織田信長(19歳ぐらいのころ)が、清洲攻めの時に通った道だと伝えられています。この道は、蟹江城に通じる重要な道でもありました。町内の街道には織田木瓜の目印と案内看板が設置されています。 蟹江町観光駐車場から観光交流センター祭人(須成祭ミュージアム)、龍照院、須成神社への案内道にもなっています。
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中馬街道
愛知県 三河
- 旧街道
足助といえば、問屋に運びこまれる塩俵と、それを馬の背につけて信州へ向かう中馬(ちゅうま)の姿が思い起こされる。信州では、この塩は「足助塩」などと呼ばれていた。そしてこの「塩の道」伊奈街道は中馬街道とも呼ばれていたのである。町内数ケ所で昔日の面影をしのぶことができる。
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秋葉街道
愛知県 三河
- 旧街道
大野宿は鳳来寺から遠州の秋葉山へ通じる秋葉街道の沿道にあたり、旅篭や茶屋が軒を連ね、巡礼者で賑わった。
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旧東海道赤坂
愛知県 三河
- 旧街道
御油の町から国の天然記念物にも指定されている松林を抜けると赤坂の町並みに入る。「夏の月御油よりいでて赤坂や」(芭蕉)の句碑の立つ関川神社、広重「東海道五十三次・赤坂の図」に描かれたといわれるソテツのある浄泉寺、同じく「赤坂の図」のモデルとなったといわれる旅籠など、見るべきものがある。
愛知県の旧街道探し
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