寄手塚・身方塚

大阪府 大阪東部(寝屋川・守口・門真・東大阪)
  • 観光名所

基本情報

名称

寄手塚・身方塚


ヨセテヅカミカタヅカ

住所

〒585-0044 大阪府南河内郡千早赤阪村森屋


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アクセス方法 ・ 近鉄長野線「富田林駅」より金剛バスに乗り換え「森屋西口」下車 徒歩10分

森屋惣墓には、2基の大型石造五輪塔があります。一般に墓地の北側に建つ塔は「寄手塚」、南側に建つ塔は「身方塚」という俗称で呼ばれていますが、この呼称法は、楠木正成が南北朝動乱期に、この千早赤阪でおこなわれた戦により命を失った供養塔として造立したもので、その際、「身方塚」(楠木軍)よりも「寄手塚」(幕府軍) の塔の方を少しだけ大きく建てたという何とも奥ゆかしい、正成の人情味が感じられる伝承によるものです。寄手塚塔は、花崗岩製で村内最古のもので、河南町寛弘寺神山共同墓地に所在する正和4年(1315)の五輪塔とほぼ同じ頃のもの、身方塚塔は花崗岩製で室町時代初期のものであると考えられています。