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奈良興隆寺北円堂の完全再現。 プロデューサー運慶の天才に息を呑む。 観にきて良かった。 運慶によるこのプロデュースの発想には、平安時代の空海による東寺立体曼荼羅の存在があるのではないか、と思った。 立体曼荼羅を作った京仏師に対する対抗意識を以て、運慶は北円堂を構想したのではないか。 その素晴らしさは、立体曼荼羅に負けていない。 八角堂の真ん中に位置する弥勒如来は、修行を経て、解脱する(如来になる)のに56億7000万年を要した。 その間、弥勒は「菩薩」(修行僧)だった。 だから、通常、弥勒は「菩薩」として造形される。 半跏思惟「弥勒菩薩」像は有名だ。 「菩薩」は修行の末、悟りを開くと晴れて「如来」となる。 その修行期間が56億7000万年だと言うのだ。 我々は、ここで、56億7000万年後の「未来仏」に出会っていることになる。 この地球の誕生(46億年前)を遥かに超える時間観念をもたらす仏教思想のぶっ飛んだ発想に驚くばかりだ。 如来の背後に立つ無著•世親というインド人の兄弟は、ここでは後ろから我々衆生を見ているように配置されている。 だが、それは、無着•世親像を足元を見ると、本来の配置ではないことがわかる。 本来の配置では、二人の視線は、如来の後頭部に注がれている。 と、如来の後頭部を見ると、頭の二人の視点が注がれる部分が、丁度二箇所、「十円ハゲ」のようになっているではないか。 長年の視線の力が、如来にストレスを与えて、髪を抜けさせることになったのだろうか。 螺髪の丁度二人の視線があたる部分だけ、綺麗に円形脱毛症のように抜けているのに、目が離せなかった。 通常は、背後に光背が有って、如来の後ろ姿を観察することは出来ない。 この展示では、360度、如来の形見ることができる。 横から見ると、如来が背後に背を傾けていることが分かる。 お堂では、光背に肩が振れるようにお座りになっているのだろう。 (だから、円形脱毛症は見えない) 東西南北を守護する四天王の、ダイナミックな造形には息を呑む。 どの像も見事だが、人気なのは、宝塔を片手で持ち上げる多聞天だ。 しかし、個人的には、増長天が一番好きだ。 その肉体の存在感。 鎌倉武士はさもありなんと言う迫力。 元寇を追い返したのは、神風の力でなく、鎌倉武士の戦闘力だったと言う説が現在有力だが、こんな頭抜けた肉体を持った武士たちが大挙して来たら、後鳥羽上皇はひとたまりもなかっただろう(承久の乱) 運慶は生年は不明だが、死去したのは1224年。 承久の乱で、史上初めて天皇家が戦争に敗れ、鎌倉北条氏によって、島流にあったのは三年前。 天皇家を敗北に追い込んだのが、執権、北条義時(大河ドラマでは小栗旬が演じていた)。 運慶は鎌倉に度々足を運び、義時の命で仏像を彫っている。 その義時が死んだのも1224年。 時の支配者と仏師、動乱の同時代を生きた二人は同時にこの世を去ったと言うのも、因縁めいている。