盛岡の地域の歴史・文化・食 スポット 20選
-
巻堀神楽
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
巻堀神楽は,明治初年に当時の神主であった工藤清等が,盛岡大清水の多賀大明神の社風(みやぶり)神楽を習得して興ったものである。現在は「七代(ななよ)の舞」など21演目を伝承しており,二頭の獅子頭(権現(ごんげん))で舞う「権現舞」,荒舞(あらまい)の「諷誦(ふうしょう)」,神舞の「山の神」,神話をモチーフにした舞踊劇などは山伏神楽の演目を伝承したものである。一方「二柱(ふたはしら)の舞」は,対になった巫女と神官とが軽快なテンポの踏み足で舞う古雅な演目であり,この芸能にのみ有する特徴的なものである。
-
下久根さんさ踊り
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
藩政時代に発生したさんさ踊りが下飯岡の地に波及したもので、百数十年以上の歴史を伝えられている。
-
釘ノ平念仏剣舞
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
安政の頃に阿修羅踊りともいわれる衣川剣舞を釘ノ平の高帽山新山権現の別当吉田長作が、剣舞の師匠である佐藤遊之進を招き、指導を受け創設したもの。安政3年の伝来書によると、平泉で最期をとげた源義経の亡魂を慰めるために、高舘において大刀、長刀を振り、念仏を唱えて舞い始め、これを念仏踊りと称したと伝えられている。
-
大宮さんさ踊り
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
東顕寺の三ツ石にまつわる伝説をさんさ踊りの由来譚として結びつけ伝えている。伝わるさんさ踊りは22演目であるが、中踊り(囃子舞)なども伝承されている。(7演目)その他に「折敷舞」、「盛岡万才」などがある
-
山岸さんさ踊り
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
昔、盛岡藩の殿様が京の都から盛岡へ帰られた際、地元の山岸・関口(現愛宕町)・北山の百姓衆がこれを祝い、老若男女大勢で太鼓の拍子に合わせて「サァッコラ、チョイワヤッセ」と囃して踊ったところ、殿様は大いに喜び「サアサ踊れ」と自らも踊りの中に入って楽しまれた。その時の「サアサ」が「さんさ踊り」の名になったという。また当時踊りの曲数が33種類あったことから「さんさ踊り」と呼んだとも伝えられている。
-
砂子沢高舘剣舞
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
砂子沢高舘剣舞は下砂子沢地区を中心に伝承されている剣舞である。剣舞とは、もともと念仏を核とした念仏踊りで、高舘という城を落城させた勝利の歓喜と、亡くなった武士の魂を弔うために踊ったのが始まりといわれている。
-
大ケ生高舘剣舞
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
その昔、陸奥守鎮守府将軍の源頼義、義家父子が安倍氏の高舘を攻略した際、兵卒を奮起させるために「阿修羅踊り」と称する勇壮な剣舞を躍らせて士気を鼓舞し、難攻不落といわれた高舘をようやく攻め滅ぼすことができたという。これが高舘剣舞と呼ばれる所以となったと言われている。他の念仏剣舞とは内容も異なり、踊り方も勇壮で烈しい事が特徴である。
-
法領田獅子踊り
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
南部氏の祖光行公が甲斐国より奥州に下向する際、道中安全や願望成就のために竜頭の獅子を同行したのが始まりと伝えられている。
-
下田田植踊
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
文化年間、住民の娯楽として田植え踊りらしき踊りが始められたと伝えられている。現在、伝えられているのは、明治初期後半、門前寺集落に伝承されていた田植踊りが衰退し、消滅しようとしていたものを竹田兼松が伝授を受け、その後長男万之助に引き継がれたものである。
-
上鹿妻田植踊
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
口伝では、明治時代からの豪農である稲荷場家が中心となって田植踊りを興したという。
-
松内神楽
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
巻堀村馬場の熊野山万宝院には山伏神楽が伝えられていたが、明治初年、万宝院が北海道へ移ることとなり、権現様、神楽道具一式を松内村の人々に譲り渡した。その際、山後集落の大工職人である藤吉氏が神楽を伝授し、山後集落、松内村の有志に踊らせたのが始まりと言われる。
-
日戸神楽
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
明治8年、日戸村の若者衆が連署して、下厨川村片原の日吉朝賢に師事して、「御神楽和合講」を組織したのが始まりとされる。
-
玉山神楽
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
明治初期、姫神嶽神社の神職となった天台宗修験・清宝院の熊沢氏が西福院神楽を引き継いで奉納したことにはじまると考えられている。演目は18番からなり、「番楽」を初めにしているのが特徴的で、そのほか「御神楽」、「翁」と続く、また演目等が記された神楽本が伝わっている。
-
盛岡(もりおか)さんさ踊り 保存団体(10団体)
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
北山芸能保存会、門さんさ踊り保存会、庄ヶ畑郷土芸能振興会、盛岡さんさ踊り清流会、上厨川同好会、東安庭わかば会、東中野町さんさ踊り保存会、さんさ伝承会太田太鼓、仙北小鷹さんさ踊り保存会、滝の下伝統さんさ踊り保存会
-
藪川神楽
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
藪川神楽は,住吉神社に奉納する踊りを求める住民の希望から,別当である小倉清順(こくらせいじゅん)が,1820(文政3)年より旧見前村の見前神楽(現見前宮崎神楽)を習得したのがはじまりである。現在は17演目を伝承しているが,「御神楽(みかぐら)」・「八幡(はちまん)」・「山の神」は比較的テンポが早く,美しい足拍子を多く踏み,全体的に躍動感のある舞となっている。幕出だしと終わりに神唄を唄うが,この方法は他地域で詞章(ししょう)や舎問(しゃもん)を唱えるのとは異なり,玉山区全域にみられる特徴である。獅子頭権現(ごんげん)を舞わして悪魔祓いや火伏せの祈祷をし,演目は「八幡」・「山の神」などの神舞(かみまい),「翁」,武士の舞,神話をモチーフにした舞踊劇,それに狂言があり,いわゆる山伏神楽の古体を遺した芸能として特色がある。
-
見前町田植踊り
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
300年以上前から踊り継がれてきているが、見前ではじめられたのは江戸末期と推察される。踊りは「舞田ならし」で田を清めた後、「口上」、「三番叟」と続く。全種目を演じると数日を要する。
-
銭掛剣舞
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
旧盆庭先で踊り,16日師匠・太夫の墓前に詣で,回向のために踊る。
-
手代森念仏剣舞
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
天明3年に大飢饉が起こり、多くの餓死者が出た時、餓死者の供養のため、仏教にもとづいて踊り継がれてきたもの。
-
見前宮崎神楽
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
秋田の尾去沢鉱山から移住した修験が神楽を始めたものと伝えられている。神楽の踊り方は、盛岡八幡宮の御付神楽であった「神明神楽」と系統を同じくしており、この踊りを伝えた山伏の子孫にあたる宮崎道郎氏が盛岡八幡宮の宮司をしていたことから、祭典の際に奉納する所以となっている。
-
都南大鼓
岩手県 盛岡
- 郷土芸能
三本柳さんさ太鼓の奏法を活かし、郷土都南の風土や人情を歌い上げたのが始まりである。
盛岡の地域の歴史・文化・食探し
盛岡で体験できる地域の歴史・文化・食の店舗一覧です。
アソビュー!は、盛岡にて地域の歴史・文化・食が体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの盛岡で地域の歴史・文化・食を体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。