王寺町(北葛城郡)の神社・仏閣 スポット 6選
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達磨寺
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- お寺・寺院・仏閣
永享2年(1430年)に椿井法眼集慶が彫った本尊の木造達磨坐像、建治3年(1277年)に院恵・院道が造立した木造彩色聖徳太子坐像、寺宝の絹本著色涅槃図、文安5年(1448年)在銘の中興記石幢の重要文化財4点の他、多数の由緒ある歴史的遺産が残されている。 毎土日曜日に、王寺観光ボランティアガイドの会による定点ガイド実施中 (10時〜15時)
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放光寺
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- お寺・寺院・仏閣
敏達天皇の第3皇女、片岡姫が仏教を深く信仰し、自身の片岡宮を寺にしたのが始まりといわれる。用明天皇や聖徳太子らの支援のもとに大伽藍が建造されたが、落雷によりその多くを焼失した。さらに残された堂宇も元亀年間には、松永久秀の兵火で焼失している。桜の老木がある境内は、隠れた名所とされる。
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品善寺
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- お寺・寺院・仏閣
本尊阿弥陀如来坐像は彫眼で漆箔を押し、藤原時代の作であり、もとは法隆寺の一塔頭に安置されていたものといわれる。その他、薬師如来坐像や仏身一尺の涅槃釈迦臥像が安置されている。
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火幡神社
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 神社・神宮
山上のすべてと小黒・送迎(ひるめ)の一部の氏神で、明神山参道を境に白山姫神社と氏子域を二分しています。『新抄格勅符抄(しんしょうきゃくちょくふしょう)』には、大同元年(806)に伊予国10戸の神封を火幡神に与えるという記事があり、平安時代にはすでに存在していたことがわかっています。本来は火幡神を祀り、すぐれた織物・機織を意味する火幡・秀幡・秀機(いずれも「ほはた」と読む)という言葉から、養蚕・機織を担う集団に祀られたのがはじまりとも考えられます。 火幡神社のなかで最も古い灯籠は、拝殿石段下の西側にあるもので、元禄9年(1696)に畠田村の人々によって奉納されています。現在の拝殿は昭和46年(1971)に再建されたものですが、それ以前の拝殿は明神山の山頂に建立されていた送迎太神宮の拝殿を移築したものであったといわれています。鳥居前にある石灯籠は、天保2年(1831)に大坂の人々が送迎太神宮(ひるめだいじんぐう)に奉納したもので、送迎太神宮が撤去された後、この場所に移されてきたと考えられます。また、江戸時代にはナモデ踊りが行われており、かつては踊りに使用した太鼓などが残されていました。
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親殿神社
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 神社・神宮
親殿神社は、中世の武士団片岡氏が文明年間(1469〜87)に春日若宮社の神を勧請して祀ったのがはじまりといわれています。「大和国葛下郡片岡系図」には、片岡道春が神を勧請して親殿と名付け、氏神として崇敬したと記されています。 親殿神社は中村と池の原の氏神で、拝殿にはたくさんの絵馬が奉納されています。絵馬には江戸時代のものもありましたが、近年、それらは奈良県立民俗博物館に寄贈されました。拝殿の前にある一対の石灯籠は、安政2年(1855)に王寺村の人たちが雨乞い願いの成就に感謝して奉納したものです。
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久度神社
奈良県 飛鳥・橿原・三輪
- 神社・神宮
久度の氏神で、誉田別命・天児屋根命・底筒男命・久度神を祀っています。『続日本紀』の延暦2年(783)12月の記事に「大和国平群郡久度神」と見えることから、すでにこのころからあった神社であることがわかります。久度神は、「久度」という言葉が竈を意味するクドに通じるため竈神ともいわれ、平安京に遷都するさいに現京都市北区の平野神社に遷されたと考えられています。境内には南北朝時代の暦応元年(1338)12月に奉納された石灯籠があり、文明8年(1476)8月の箱書をもつ春日曼荼羅が奈良国立博物館に寄託されています。
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