姶良市の遊園地・テーマパーク・美術館 スポット 20選
-
重富海水浴場
鹿児島県 霧島
- 海水浴場・ビーチ
約600メートルにも及ぶ白砂青松の干潟をもつ広大な海水浴場。食堂、売店の他、脱衣所やシャワーも整備されています。渚の散策をしながら干潟にいる生き物にふれてみるのも楽しい。ちなみに、海開きは毎年7月中旬頃です。
-
龍門司坂(国指定史跡)
鹿児島県 霧島
- 旧街道
大口筋の一部で、寛永12年(1635)に造られ、100年後に石が敷かれました。石は近くの樋ノ迫山から切り出され、全長は1500m余りと言われますが、現在は約500mが当時の姿で残っています。苔むした石畳と杉木立の景観が美しく、「篤姫」や「龍馬伝」といった歴代の大河ドラマのロケ地にもなり、2018年大河ドラマ「西郷どん」のロケ地にもなりました。明治10年(1877)には西郷隆盛の率いる薩軍がこの坂道を通って熊本へ向かいました。
-
加治木城跡
鹿児島県 霧島
- 史跡
周囲4kmの堅固な加治木歴代の支配者の居城。
-
高岡公園
鹿児島県 霧島
- 公園
加治木市街地を一望できる標高155mの高台に位置し,6.5haの広大な敷地に展望台,テニスコート,大型のコンビネーション遊具施設等がある。桜の名所としても有名。
-
加治木郷土館
鹿児島県 霧島
- 博物館
特徴のある洋風建築物である郷土館は昭和47年10月開設。資料総数1359件を誇り、1階展示室には歴史資料、2階には民俗資料を展示。西郷隆盛直筆の「敬天愛人」の書が保管されています。
-
椋鳩十文学記念館
鹿児島県 霧島
- 博物館
椋鳩十(本名:久保田彦穂)は、明治38年長野県下伊那郡喬木村に生まれ、法政大学を卒業以来、鹿児島で一生を過ごした作家です。 日本で初めて本格的な動物文学のジャンルを切り開いた作家で、「片耳の大シカ」「マヤの一生」「カガミジン」など不朽の名作を数多く残しています。 「大造じいさんとガン」(昭和16年の作)は、現在でも小学校5年生の国語教科書に掲載されている作品です。 これらを含め椋鳩十の動物文学は、動物の生態を、生息する自然の中できわめて正確に描き、動物と人間とが自然の中で共存する大切さを訴えています。 この動物文学を書き始めたのが加治木町であり、約20年間在住したことから、「椋文学発祥の地」として、また、「椋鳩十の第二のふるさと」として、平成2年に開館しました。 椋鳩十に関する遺品や著書を一同に集め「マヤの一生」「ヤクザル大王」等直筆原稿、年譜、写真、著書、俳画、掛軸、取材ノート等展示。
-
大口筋白銀坂(国指定史跡)
鹿児島県 霧島
- 旧街道
白銀坂は、鹿児島県姶良市脇元から鹿児島市宮之浦町までの石畳の残る旧街道です。この旧街道が通る山並みは、古代における薩摩国(鹿児島市側)と大隅国(姶良市側)の国境でした。また、戦国時代には、島津貴久や島津義弘などの武将たちがこの坂に陣を構えたといわれています。 江戸時代に入ると、白銀坂は鹿児島藩の主要街道である「大口筋」として整備され、藩内随一の難所として人々に知られていました。 「大口筋」とは、鹿児島城下から重富?帖佐?加治木?横川?大口?「亀坂峠」(熊本県)まで、全長約70kmの街道を指します。『鹿児島県史』によれば、江戸時代には「大口筋」の他に「出水筋」・「高岡筋」の街道があり、「これらにより、大阪・江戸へ連絡するには、通常、出水筋・大口筋では豊前小倉に、高岡筋では日向(宮崎)細島に出て、ともにそれより海路を取る」とあります。
-
建昌城跡
鹿児島県 霧島
- 史跡
室町時代に瓜生野城として築城された城で戦国時代末期に大規模に拡張され、後に建昌城と呼ばれました。島津家久により鹿児島の本城候補に挙げられました。現在では、通称馬乗り馬場が残っている。享徳3年〜文明18年,島津家の居城であった山城。
-
平山城跡
鹿児島県 霧島
- 史跡
弘安年間京都石清水善法寺から帖佐に入部した平山了清が築いた山城。
-
高倉展望台
鹿児島県 霧島
- 展望台・タワー
さえずりの森の中にある。錦江湾に浮かぶ桜島の勇姿や市街地が一望でき、その景色はまさに絶景。
-
姶良市歴史民俗資料館
鹿児島県 霧島
- 博物館
姶良の歴史や伝統文化にふれられる施設。浜下り・田の神講などの放映や萩原遺跡・宮田ヶ岡窯跡の遺跡の出土品、復元された民家、帖佐松原塩田模型などが展示されています。
-
スターランドAIRA
鹿児島県 霧島
- 展望台・タワー
口径40cmの天体望遠鏡、四季の天体の動きがわかるプラネタリウムを備え、宇宙とふれあえます。
-
竜ケ城跡(蒲生城跡)
鹿児島県 霧島
- 史跡
本城とも呼ばれる。保安年間(1120-24)に蒲生舜清によって築かれた平山城で、郭、空堀、土塁、門などが残されている。城跡は標高160mの龍ケ山にあり、周囲8kmの城郭で、十八代範清まで蒲生氏が治めた。城の周辺は断崖絶壁で、これらで行き止まりになる迷路状の道がはりめぐらされていた。
-
蒲生中央公園
鹿児島県 霧島
- 公園
大型遊具があり、休日には家族連れが多い。屋内ゲートボール場有り。
-
ビーラインスポーツパーク姶良(姶良市総合運動公園)
鹿児島県 霧島
- 公園
-
蒲生どん墓(市指定史跡)
鹿児島県 霧島
- 史跡
中世豪族の蒲生氏8代から13代までの当主一族の墓地で31基がまとめられています。慶応3年(1867)の洪水で埋没しましたが、昭和13年、有志により現在地に復元されました。
-
平松城跡
鹿児島県 霧島
- 史跡
島津義弘公が慶長年間に居館とした平松城。元文2年(1737年)、再興された越前(重富)島津家の居館となり、周辺には麓集落が形成されました。
-
岩剣城跡(市指定史跡)
鹿児島県 霧島
- 史跡
標高約225mの山頂部に築かれた山城跡。 重富小学校の西側にある岩剣城跡は、享禄2年(1529)頃に蒲生氏により築城された天然の要害に設けられた難攻不落の城です。天文年間に行われた大隅合戦では戦国島津氏にとって最大の激戦地となりました。島津義弘が初陣を飾った場所でもあります。
-
帖佐御屋地跡(島津義弘居館跡)
鹿児島県 霧島
- 史跡
島津義弘は文禄4年(1595)に栗野から帖佐へ移り住みます。家老の新納旅庵が工事の監督をし、館の石垣は加治木の湯湾岳から運んだといわれています。この時、館周辺の町割りも整備されました。文献によれば、「築地石垣九十九間」であったといわれます。 慶長11年(1606)、義弘は平松へ移り、翌年には加治木へ移りますが、その後館には義弘の娘である御屋地様(島津朝久の妻)が住みました。
-
古帖佐焼宇都窯跡(県指定史跡)
鹿児島県 霧島
- 史跡
島津義弘が朝鮮から連れ帰った陶工金海(和名:星山仲次)は、義弘居館の北西に宇都窯を築き、義弘好みの茶陶を焼いたといわれます。これらの作品は加治木の御里窯の製品とともに「古帖佐焼」として大変珍重されました。 宇都窯跡は昭和9年(1934)に発見され、平成14年に県指定史跡となりました。 近年の再調査では2基の窯が同じ場所に重なって造られていたことが判明し、最初に造られた窯は日本国内に類例のない形で、金海の故郷である朝鮮半島との関係が考えられます。出土品としては白い粘土を用いた大振りな抹茶椀の破片が数多く出土しました。
姶良市の遊園地・テーマパーク・美術館探し
姶良市で体験できる遊園地・テーマパーク・美術館の店舗一覧です。
アソビュー!は、姶良市にて遊園地・テーマパーク・美術館が体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの姶良市で遊園地・テーマパーク・美術館を体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。