南部の地域の歴史・文化・食 スポット 20選
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平和の礎
沖縄県 南部
- 観光施設
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ファーマーズマーケットいとまん「うまんちゅ市場」
沖縄県 南部
- 特産物・特産品
沖縄県糸満市にあるマーケット。地元で生産された農産物を地元で消費する「地産地消」を合言葉に、ゴーヤや人参、アセロラやマンゴーなどの特産品を豊富に取り揃えている。精肉や花なども県内産にこだわっており、沖縄の農業を肌で感じられる。
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コマカ島
沖縄県 南部
- 観光施設
沖縄県にある無人島。周囲800mほどの小さな島で、島の半分以上を砂浜が覆っている。波打ち際でも様々な熱帯魚が泳いでいるのが見え、魚たちと一緒に泳ぐことができる。ダイビングやシュノーケリングなど、マリンスポーツを楽しむのにも最適。5月から秋頃にかけてはアジサシが飛んでくるので、産卵や子育てする姿を見れることもある。
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ニライカナイ橋
沖縄県 南部
- 観光施設
沖縄県南城市知念吉富にある橋ならびに絶景スポット。「ニライカナイ」とは遥か遠く東の海の彼方、もしくは海底・地底にあるといわれる理想郷を指すものとされる。橋は「ニライ橋」と「カナイ橋」が合わさったもので、県道86号線から国道331号線に降る途中で海に向かってU字を描く。「ニライカナイへの道」の看板を目印に進んだトンネルの上にある展望台から、橋の全容と知念岬、エメラルドの海を眼下に見ることができる。
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ひめゆりの塔
沖縄県 南部
- 観光施設
沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等学校の教師・生徒のための慰霊碑。2校の生徒は沖縄戦中「ひめゆり学徒隊」として沖縄陸軍病院に動員された。隣接する資料館では、生存者の証言映像手記、遺品などの展示を通して戦争の悲惨さや平和の尊さを学ぶことができる。
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嘉手志川
沖縄県 南部
- 観光施設
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唐人行列・大和人行列
沖縄県 南部
- 郷土芸能
県内でも数少ない中国との交流を示す芸能及び江戸のぼりの行列。
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垣花樋川
沖縄県 南部
- 観光施設
昭和60年に環境庁の名水百選に選ばれたカー(湧水)で、かつて村人がゆききした石畳の坂道やコンコンと湧き出るヒージャー、特に坂道の途中にある中休み(ナカユクイ)石からの眺めがすばらしい。
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大城按司の墓
沖縄県 南部
- 観光施設
沖縄の墓は一般的に亀甲式、破風式であるが、そのいずれにも属さない特異な構造様式をもった墓。岩山をくりぬいて墓室とし、前面は切石積み、上部はドーム状の石積みになっている。
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沖縄陸軍病院南風原壕群20号
沖縄県 南部
- 観光施設
平成19年6月18にちより一般公開。 壕の中には埋められた医薬品類や発掘された人骨等当時の様子を知る手がかりが残されています。 ○見学方法 ・一度に入る人数は10名以内 ・全員が必ずヘルメットを着用 ・懐中電灯を使用(無料貸し出し) ・常駐ガイドが案内する。・見学時間は1グループ20分程度
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南の駅やえせ
沖縄県 南部
- 特産物・特産品
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FMたまん
沖縄県 南部
- 観光施設
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仲村渠樋川
沖縄県 南部
- 観光施設
地域の人々が使っていた用水施設を、大正初期に石造の貯水槽と石畳道、広場、共同風子が造られた。現在は地元だけでなく各地から涼を求める人々の憩いの場となっている。
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米須海岸
沖縄県 南部
- 観光施設
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ハーリー発祥の地
沖縄県 南部
- 地域風俗・風習
旧暦5月4日に県内各地で行われる沖縄の代表的な伝統行事「ハーリー」(爬竜船競漕)は、琉球王府が編集した歴史書「球陽」(1745年編集)によると、1400年頃に豊見城城主「汪応祖」が中国留学時に見た竜舟を模したハーリー船を漫湖に浮かべて遊覧し、これを見た那覇、泊、久米の3村の人々が船を造って豊見城城下の漫湖で競漕を始めたのが、ハーリーの起源であると記述されています。 また、「琉球国由来記」、「琉球国日記」によると、競漕の際には、ハーリー舟をチーヤ(津屋:漫湖にある小さな浮き島)に漕ぎ入れ、豊見城城内の豊見瀬御嶽に拝礼し、ユガフー(世果報:豊年、豊作)を祈願したといいます。 3村の拝礼は、廃藩置県後に一時途絶えてしまいましたが、平成15年に「豊見城ハーリー由来まつり」として神事が復活し、毎年5月に豊見瀬御嶽で拝礼の儀式が行われており、平成20年からは「豊見城ハーリー大会」(豊見城龍船協会主催)が開催されています。
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バックナー中将戦死之跡
沖縄県 南部
- 観光施設
米第十軍指令官サイモン・B・バックナー中将は、昭和20年6月18日、戦闘指揮中、この地で死亡した。昭和27年、米軍の手により記念碑が設立されたが、昭和49年に米軍より、キャンプフォレスターに移設されたため、昭和50年6月に沖縄慰霊奉賛会により現在の碑が設立された。
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黎明之塔
沖縄県 南部
- 観光施設
摩文仁岳の西端に建つ旧日本軍第32軍司令官牛島満中将と参謀長長勇中将の慰霊塔。
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魂魄之塔
沖縄県 南部
- 観光施設
戦後最も早く住民の手によって建立された慰霊塔。合祀者3万5千人で、県内最大の慰霊塔である。毎年慰霊の日には、多くの県民が参拝に訪れ終日香煙が絶えない。 戦後間もなく、真和志村民は米軍の名により摩文仁村米須に移動。人々の目に映ったのは風雨にさらされる多くの遺体だった。遺骨収集は反米活動と見られていた当時、真和志村長の金城和信は米軍に遺骨収集の許可を強く要請。ようやく許可を受け、村民とともに数回にわたって遺骨を収集し、米軍提供の資材を利用して納骨所を建立、1946年2月に完成させる。
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白梅之塔
沖縄県 南部
- 観光施設
沖縄県立第二高等女学校の生徒からなる学徒隊の最後の場所である。八重瀬岳の第24師団第一野戦病院解散後、16人の学徒がたどり着いたのが、上の壕(眞山之塔裏)、下の壕(白梅之塔側)と呼ばれた真栄里の自然壕である。上の壕は食糧弾薬倉庫、下の壕は傷病兵の看護場所で、学徒らは負傷兵の手当を手伝った。6月21日に下の壕が、翌22日に上の壕が米軍の激しい攻撃を受けた。白梅之塔には学校関係者149人が合祀されている。敷地内には国吉住民が建立した「萬魂之塔」がある。
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平和の塔
沖縄県 南部
- 観光施設
喜屋武では集落周辺や海岸近くに散在した遺骨を共同作業で収集し、1952(昭和27)年、名城ビーチ南側のミジハイと呼ばれる場所の近くに、「平和の塔」を建立し遺骨を納めた。1969(昭和44)年3月、南方同胞援護会の助成を受け沖縄県遺族連合会が現在の場所(喜屋武岬)に塔を移した。
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