九十九里・銚子の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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玉造城跡
千葉県 九十九里・銚子
- 城郭
応安の頃、(1368〜1371)から野平伊賀守常信が守っていたと伝えられ、城の絵図も残っている。天正16年(1588)小田原城落城により、小田原方であった当時の城主野平常義は僧籍に入り、家族は帰農する。そして城は開放されて、円教山得成寺が創られたが、明治12年(1879)火災により失われ、再建されることはなかった。
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正文堂書店
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
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能満寺古墳
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
熊野神社飛地の標高60mの丘陵にあり,銅鏃3コをはじめ,銅鐘,鉄製鉈,ガラス玉などを出土。
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史跡長柄横穴群
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
史跡長柄横穴群は、古墳時代から平安時代にかけて、崖や山腹などを側面から掘って造った墓室のことを言います。千葉県内には3,135基あると言われていますが、長柄町では25群324基が確認されています。上総には「高壇式」と呼ばれる特殊な形態が多く「長柄横穴群」、はその代表とされています。また、源六谷横穴群は特に人と馬、水鳥、蛇などの壁画を持つものとしても有名です。副葬品が発見されていない為、築造年式ははっきりしていませんが、7世紀末から8世紀初めと推定されています。国指定の文化財になっています。
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九十九里浜地引網発祥の地
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
弘治元年(1555年)紀州の西宮久助という漁師が強風に流されて白子の海岸に漂着。その後、白子に滞在して故郷の紀州の漁法を九十九里一帯に広めたといわれています
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前田普羅の句碑
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
前田普羅は明治18年今の白子町に生まれ、早大中退後、横浜裁判所に勤めながら俳句を作りはじめ、後に高浜虚子門下四天王と呼ばれました。 国民宿舎白子荘前には「向日葵の月に遊ぶや漁師たち」と詠まれた句碑があります。
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一宮城址
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
もとは天然の地形を利用した中世の山城で,江戸時代には近くに陣屋も作られたが,明治維新によって取り壊された。1984年に城之内遺跡の一部が発掘されている。
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中台古墳群
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
中台古墳群は,前方後円墳2基,円墳18基を数え,そのうち前方後円墳の殿塚・姫塚の発掘調査は昭和31年春に実施され,姫塚古墳から古代の葬送を模した埴輪列が出土して考古学会の注目を集め,両古墳はその後国の史跡に指定されました。
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坂田城跡
千葉県 九十九里・銚子
- 城郭
室町時代に千葉氏の一族によって築かれた中世の城跡です。いくつかの「くるわ」で構成され、400年以上壊されることなく当時の姿を残す県内でも貴重な城跡です。 遊歩道が整備されているため、森林浴やハイキングを楽しむことができます。
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魁の碑
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
成東駅構内にある「魁の碑」は、鉄道敷設に生涯を捧げた安井理民の顕影碑です。 鉄道誘致運動に尽力し、その開通による功績をたたえて、昭和46年2月にこの地に建てられました。
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大炊堤
千葉県 九十九里・銚子
- 旧街道
船越村字堂島から栗山川に沿って、牛尾下郷あたりまで、約2km続いている。佐倉城主土井大炊頭利勝【在城期間慶弔15年(1610)から寛永10年(1633)まで】が、その時代領地であった船越、牛尾村の水田を栗山川の氾濫から守るために築いたもので、土井氏の職名を冠した名になっている。現在は、近年に造られた堤防に平行して走る農道に見えるが、両側に有志によって桜が植えられ、十八丁堤とも呼ばれた町内随一の桜が、昔通りに蘇る日も夢ではないと思える。
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野馬よけの土手
千葉県 九十九里・銚子
- 旧街道
旧馬牧の遺構で、この築堤によって野馬の逃散を防ぎ、隣接農地の産物を野馬の食害から守ったものである。佐倉七牧といわれた馬牧は、北総台地のほとんどを占めていた。ちなみに、ここは取香牧と呼ばれた地域である。
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並木城跡
千葉県 九十九里・銚子
- 城郭
現在では城域を明確にすることはできない。この城の存在を証明する文書としては、建武3年(1336)千葉一族の争いで、千葉胤貞(千葉城主)軍が攻め寄せた状況を「金沢文庫文書」が記している。この他に康正元年(1455)、文明10年(1478)、明応2年(1493)、天正10年(1582)と幾度かの攻防があったとされているが、築城の時代や守将の名前も共に明らかにするものは発見されていない。
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木曽義昌公の供養塔
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
木曽家終焉の地。木曽義昌公は、天保9年(1540年)木曽義康の長男として生まれた。朝日将軍木曽義仲の後裔となる戦国武将である。木曽家の主として武田信玄、勝頼、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉などの間で戦国時代を生き抜いた。天正18年(1590年)に下総蘆戸城(旭市網戸)へ一万石で移封された。文禄4年(1595年)に病のためその地で生涯を終えた。遺体は城の北西方の椿湖に水葬されたといわれている。木曽義昌公の網戸での徳政に満ちた街づくりは400年以上の歳月を経た現在でも地域住民に広く慕われている。
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松平家陣屋跡
千葉県 九十九里・銚子
- 城郭
初代は多古藩主松平家の兄で、関宿四万石の城主であった。数代後、種々の事業から六千石の旗本になった。そして天保13年(1842)因幡守康盛の代に、ここに陣屋を造った。その規模は、長屋門、家臣の住家、若御殿等であったが、明治元年(1868)になると全てが解体され、土地は農地となって、今では当時を偲ぶすべもない。
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多古藩陣屋跡
千葉県 九十九里・銚子
- 城郭
現在は陣屋敷地の全域が小学校敷地になっており、陣屋時代を想像することはできない。元は陣屋下と呼ばれた現在の県道沿いに、表門、中門、裏門と門が並び、堀には朱塗りの橋が架かっていたという。この一部に石垣が残りわずかに面影を残している。天正18年(1590)徳川家の江戸入城と同時に保科氏の領地となり、やがて寛永12年(1635)松平家に替り、明治まで続いた一万二千石の行政の中心地である。
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良文貝塚
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
昭和5年に国の史跡に指定された利根川下流域で最大級の縄文時代後期の貝塚。ここから出土した香炉形顔面付土器は、千葉県の指定文化財となっています。
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阿玉台貝塚
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
明治27年に発見されて以来、数回にわたる発掘調査によって縄文時代中期前半の標式土器である阿玉台式土器をはじめ、多くの土器、石器、貝輪等が出土しています。関東地方における縄文土器編年の標式遺跡であり、学術上価値が高い。地元の「阿玉台貝塚保存会」が、木敷道や標識、貝層見学室等を設置、又散策道沿いに梅の木や水仙が植えてあり、春には見事な花を咲かせます。梅は約30種類600本が植えられ、1月中旬から2月下旬まで花を楽しむことができます。
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西之城貝塚
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
全国でも古い部類葯000年前の縄文式貝塚,住居跡が残る。
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蕪木5号墳(蕪木古墳群)
千葉県 九十九里・銚子
- 史跡
蕪木古墳群のうち、特に副葬品で注目されているのが蕪木5号墳です。前方部は南西に、長軸46メートル、前方幅23メートル、後円部径22メートル、高さ5メートルで、数多くの副葬品が出土しています。中でも、金銅製巾着型容器、金銅製装刀子の出土は珍しく、古墳時代の貴重な出土品となっています。
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