高岡・氷見・砺波の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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阿尾城跡
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
富山県氷見市の市街地北側、海に突き出す断崖に立つ戦国時代の城跡。当時この一帯は越中と能登の交通の要で、さらにその海と急坂に囲まれた立地から築城に適するものでもあった。前田慶次郎ゆかりの城でもある。大伴家持の歌で「東風が強く吹くところ」と詠まれた景勝地でもあり、現在城跡は公園として整備され、伝本丸には3mほどの展望台が設置されている。展望台からは富山湾や氷見市街を眺めることができる。
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串田新遺跡
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
串田新遺跡は、昭和24年に発掘され、昭和51年に国の史跡に指定されました。生活跡(住居群)と墳墓群が、それぞれある範囲内にまとまって存在する遺跡としては、全国的にも貴重なものとして知られています。現在は、史跡公園として、憩いの場ともなっています。
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城ケ平横穴古墳群
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
小矢部川左岸,城ケ平山,東南中腹の斜面。それぞれ家族墓であったようだ。
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木舟城跡
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
寿永3年(1184)石黒太郎光弘が福光からここへ館城を移した。以後、石黒氏の居城となり、戦国期には、石黒左近が一向一揆や上杉と抗戦。天正9年(1581)織田方に謀殺される。成政の将佐々平左衛門の居城となるも、同13年以後前田の有となり、利家の弟秀継が入城。同年大地震によって圧死。
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小杉丸山遺跡(飛鳥工人の館)
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
飛鳥時代の瓦や須恵器を焼いた瓦陶兼業窯と工人の住居跡が発掘された。ここで発掘された瓦と同じ物が約11キロメートル離れた高岡市伏木の越中国府からも出てきているので、生産地と消費地がはっきりしている貴重な例と評価されている。ガイダンス施設として「飛鳥工人の館」が隣接。
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天柱石
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
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越中国分寺跡
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
薬師堂が当時の姿を忍ばせる。
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倶利伽羅古戦場
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
石川県境、倶利伽羅峠の東側にある源平合戦の古戦場。木曾義仲が牛の角に松明をつけ、平家10万の大軍に戦勝したと言われている。
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旧北陸道
富山県 高岡・氷見・砺波
- 旧街道
倶利伽羅峠は小矢部市と石川県津幡町との境にある旧北陸道の峠で、源平倶利伽羅合戦の古戦場として知られています。 源平ライン(歴史国道ふるさと歩道)と呼ばれるコースがあり、巴塚・葵塚・猿ガ馬場といった源平合戦の史跡を見ながらのハイキングがおすすめです。春には、約6,000本の八重桜が咲き誇り、秋の紅葉も見事です。
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増山城跡
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
守護代神保氏が、砺波のポイントに増山城を置いたが、天文7年(1538)長尾為景の猛攻に五箇山中へ逃げ、同15年には為景を倒したという。以来、たびたび上杉の攻撃に遭い、天正8年(1580)には成政の救援で安堵したものの、成政の敗退により富山城へ去った。
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加納横穴群
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
古墳時代の終わり頃、丘陵斜面に穴を掘って造られたのが横穴墓と呼ばれる有力者層のお墓です。氷見では多数の横穴墓群が見つかっていますが、なかでも全88基という数を誇る加納横穴群は、富山県内では最大規模の横穴墓群です。加納横穴群は、蛭子山(えびすやま)という丘陵に6世紀後半から7世紀末まで造営されました。丘陵頂部には古墳時代前期から古墳群が築かれており、蛭子山が長期間にわたり墓域とされたことがうかがえます。
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髪塚
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
かつてお堂が建てられていたと推測される平坦面の前面に、髪塚と呼ばれる自然石の石塔が立っています。高さ約180cmの自然石で、平らな正面に月輪と梵字「バク」、その下に「貞和三年□十五日」(1347年)と刻まれています。この「貞和」の銘は南北朝時代の北朝の年号にあたりますが、南朝方に関する伝承が残り、後醍醐天皇の皇子、宗良親王が剃髪した髪を埋めたともいわれています。
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朝日貝塚
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
日本海側の代表的な貝塚のひとつ。大正7年(1918)に発見され、その後たびたび発掘調査が行われています。縄文時代前期と中期を主体とし、貝層からはハマグリ、アサリなどのほか、イルカやイノシシ、シカなどの骨が出土しています。保存舎では炉跡のある縦穴住居床面が見学できます。
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柳田布尾山古墳
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
今から約1700年前に造られた全長107.5mの前方後方墳です。この形の古墳では日本海側最大の大きさで全国でも十指に入ります。側面を海に向けて造られており、富山湾を介した海上交通を掌握した有力者が埋葬されたと推測されます。また、古墳の中心線は二上山丘陵の中心を向いており、周囲の自然環境を意識して築造されたことがわかります。古墳は公園として整備されており、古墳館などの施設があります。
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森寺城跡
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
中世の史料に「湯山」として登場する市内最大規模の山城です。16世紀初め頃、能登畠山氏の支城として築かれ、その後上杉謙信・佐々成政が利用しました。城中心部には河原石を用いた石垣がよく残されており、発掘調査では幅3mの石敷きの大手道が確認されました。これらは佐々成政による改修によって築かれたと考えられ、織田信長の天下統一事業の足跡を示す遺構として注目されています。
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大境洞窟住居跡
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
日本で初めて発掘調査が行われた洞窟遺跡として著名です。今から6000年ほど前の縄文時代前期に波の浸食によって形成された洞窟で、大正7年(1918)神社改築工事で遺物が多数出土し、同年調査が行われました。落盤によって六つの文化層に分かれ、縄文時代中期から中世にいたる遺物が出土しています。特に弥生時代の人骨や土器・骨角器に恵まれており、富山県の弥生時代を代表する遺跡のひとつでもあります。 奥行き35m、入り口の幅18m、高さ8m。
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放生津城跡
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
越中守護名越時有が築城した。平城で本丸・二の丸・三の丸の構造を持っていたと言われている。城は戦国末期の文禄元年(1592年)に廃城となり、現在は放生津小学校校庭にある「城址」と彫られた自然石がその名残を留めている。
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漁民義人塚
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
漁民義人塚にまつられているのは、東西放生津の漁師総代 佐賀野屋久右衛門と四歩市屋四郎兵衛です。江戸中期、悪徳商人が漁民を支配し利権を思うままにしていたので、これに不満をもった二人が「バンドリ姿」の漁民400人と共に金沢城下に押しかけ、加賀藩の公事奉行に直訴(バンドリ一揆)に及びました。
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守山城趾
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
応安4年(1371)7月、南朝の桃井直常が、石動山天平寺の衆徒と組んだ時、越中守護の斯波義将がこの城へ立て篭もったのが城の初見。畠山氏が越中守護になった時、守護代の神保氏が本拠として200年の居城とした。天正4年(1576)上杉謙信に奪取されるが、奪い返し佐々に従う。だが、同13年以後、前田氏の有となる。◎桃井直常(?-1380)群馬県群馬郡生れ。越中守護、初め足利尊氏に従うも、弟直義に味方、南朝派となり各地で転戦。岩瀬城で自殺。
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弓の清水
富山県 高岡・氷見・砺波
- 史跡
越中の山街道を進軍中の兵士達がしきりにのどの渇きを訴えたため、義仲が、水を求めてこの地に矢を放ったところ、矢のささった所から清水が湧き出たという伝説がある。現在も水が湧き出し義仲の銅像が立つ。
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