桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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神戸公園(神戸城跡)
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 史跡
三重県鈴鹿市にある公園。神戸城跡を中心として整備され、天守台の石垣と堀は現在も残されている。園内には石の山や複合遊具などがあり、子どもたちの遊び場になっている。彫刻広場もあり、自然や歴史に触れながら好奇心を育む貴重な公園。
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鈴鹿峠
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 旧街道
鈴鹿山脈南部の峠で、古くから近江と伊勢を結ぶ交通の要衝であった。江戸時代には東海道の坂下・土山の両宿駅が峠を挾んで置かれ、大名から庶民までが皆細い九十九折れの坂道を登って峠を越えたという。現在は国道1号がトンネルで通過している。旧東海道は東海自然歩道になり、国道からは鏡岩と呼ばれる岩が見える。また、峠のトンネルの上には旅人の往来安全のためにともされた常夜燈の万人講燈篭が立っている。
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亀山城跡
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 史跡
天正18年(1590年)、岡本宗憲がそれまであった関一政の居城を廃して、新たに築城。平山城で3層の天守を構えたが、のちに廃され、本多俊次の時、その天守跡に多門櫓が建てられた。城主も目まぐるしく交替した。現在の石垣は岡本氏時代のもの。現在、外堀と野面石で築いた石垣の一部、それに多門櫓が残され、あとは公園・神社・学校などになっている。多門櫓は平時には武器庫として使用された。周辺は松並木や侍屋敷の遺構なども残り、往時を伝えている。グループ単位であれば事前申し込みにより多門櫓の内部見学可。
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鈴鹿峠自然の家
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 史跡
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又木茶屋
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 史跡
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正法寺山荘跡
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 史跡
中世の時代(鎌倉〜戦国時代)鈴鹿亀山地域一円を治めた武族関氏の砦をかねた山荘跡です。 有名な連歌師宗長などもここを訪れ、歌会を開いていたようです。昭和52年からの発掘調査により明かになったもので、戦国武士の生活を解明する上で貴重であり、昭和56年国の史跡指定を受けています。 今は約200本の桜の名所であり、多くの花見客で賑わいます。
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鹿伏兎城跡
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 史跡
関氏の一族鹿伏兎氏の居城跡で、別名「白鷹城」とも呼ばれました。 秀吉の軍勢に敗れ、城は滅んでしまいましたが、今も石垣が残り古井戸には絶えることなく清水が湧いています。 麓の神福寺は鹿伏兎氏の菩提所で今も累代の墓碑が残っています。
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竹成五百羅漢
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 史跡
大日堂境内にある花崗岩に刻まれた石像群。 小高く盛った土の上に石の神様と仏様が仲良く並んでいる神仏混淆の様子は全国的にも珍しく、各像各様の石像羅漢が並ぶ様は壮観。本堂に大日如来像を安置。
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日本武尊能褒野御墓
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 史跡
全長90m後円部の径54m、同高さ9mと三重北部最大の前方後円墳。 東征帰路に日本武尊が伊勢国能褒野で亡くなられたという記紀の記述に基づき、明治12年に内務省により「日本武尊能褒野御墓」と定められ、現在も日本武尊の墓として宮内庁が管理。 周辺に歴史や自然、雰囲気などの特性を活かした「のぼのの森公園」がある。
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野村一里塚
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 史跡
慶長9年(1604)に徳川家康が作らせた東海道一里塚の一つ。 県内に12ヶ所の一里塚中、現存する唯一の東海道一里塚。 樹齢400年の椋の老木が残る。(国指定史跡)
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加藤家屋敷跡
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 史跡
亀山藩家老加藤家の屋敷跡で土蔵,門,長屋が残る。江戸時代後期のものといわれており、武家屋敷の建築様式の貴重な資料である。
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日永の追分
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 史跡
四日市は東海道五十三次の四十三番目の宿場として栄えました。日永の追分は、東海道と伊勢街道の分岐点で、往時の繁栄ぶりを今に伝える史跡です。
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白鳥塚古墳
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 史跡
日本武尊の御陵といわれている。5世紀後半から6世紀に築造された円墳で,三重県最大の円墳として知られている。
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王塚古墳
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 史跡
国府町の西,鈴鹿川右岸の段丘上に所在する6世紀代に築かれた前方後円墳である。 前方を南に向け,全長63m,後円部径38m,前方部幅48m,高さ6mとなっている。 東側のくびれ部には造り出しらしき構造も見られ,周囲には馬蹄形の周濠と外堤がとりまく。その端正な姿は,被葬者の権威を彷彿とさせる。
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石薬師一里塚跡
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 史跡
もと蒲川の西岸,東海道の両側に榎が植えられていたところが,石薬師の一里塚という。台風等で榎も折れ,終戦後北側にその根元だけが残っていたが,消滅したので昭和52年に南側に榎の若木を植え,「史跡石薬師の一里塚跡」の碑を建てて保存を図っている。
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神戸城跡
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 史跡
神戸城は天文20年(1551)神戸具盛によって築城され,のちに織田信長の子信孝が安土城にならって壮大な天守閣を築いた。現在は天守台の石垣と堀だけが残っている。◎織田信孝(1558〜1583)伊勢神戸城主・神戸具盛の養子となる。父は織田信長。父の死後は兄信雄とともに後継者たらんとして秀吉側の秀信と争ったが敗れ,柴田軍に属した賎ケ岳の戦にも勝利なく,秀吉の意をうけた信雄から自刃を命ぜられ,尾張知多郡内海の野間正法寺で果てた。
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伊勢国分寺跡
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 史跡
国分寺は,天平13(741)年に聖武天皇の詔勅によって各国に置かれた官寺である。 大正11年に国の史跡に指定され,現在は講堂跡の林に石碑が建てられている。 主な出土遺物は隣接する鈴鹿市考古博物館に展示されている。
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旧東海道庄野
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 旧街道
本陣あとが公民館となり高札四面がかかげられている。歌川広重の作品である庄野の「白雨」は有名である。
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旧伊勢街道白子
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 旧街道
伊勢街道の宿場であった。今も当時の面影を残している。
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旧東海道石薬師
三重県 桑名・長島・四日市・湯の山・鈴鹿
- 旧街道
宿場の名残りをとどめる家,石薬師寺,佐佐木信綱記念館などがある。
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