福山・尾道の文化史跡・遺跡 スポット 20選
-
福山城
広島県 福山・尾道
- 城郭
元和8年(1622)に築城。伏見櫓,筋鉄御門は,京都伏見城から移されたもので重要文化財。5層の天守閣は戦災で焼失したが再建され,内部は郷土博物館として歴代藩主の遺品,草戸千軒町遺跡からの出土品が展示されている。◎水野勝成(1564-1651)安土桃山・江戸初期の大名。関ケ原の戦,大坂夏の陣で数々の功を挙げ,元和5年,福山に移封された。福山藩祖。 滞在(見学)時間 30〜60分。
-
おのみち文学の館
広島県 福山・尾道
- 史跡
-
大坊古墳
広島県 福山・尾道
- 史跡
古墳時代も終わりに近い7世紀の前半に築かれた、直径14m、高さ約5mの円墳で石室の長さ約11.3m幅、高さとも約2mの規模。玄室と羨道は同じ規模で、玄室は床に置かれた横石で二分され、入口の両側には石柱が立てられている。
-
神辺本陣
広島県 福山・尾道
- 史跡
江戸時代,参勤交代の大名,幕府役人等の宿泊所。県内唯一の完全な形で残る本陣施設。
-
宮脇遺跡
広島県 福山・尾道
- 史跡
細石器を中心とする旧石器時代から押型文土器など縄文時代早期の遺物が出土した遺跡。
-
大佐山白塚古墳
広島県 福山・尾道
- 史跡
大佐山の頂上近くにある方墳。横穴式石室は、立柱と鴨居状の石材で玄室と羨道に二分される。周囲に6基の古墳が残っており、大佐山古墳群を形成している。
-
相方城跡
広島県 福山・尾道
- 史跡
芦田川南岸に面する標高190m前後の丘陵上に築かれた山城で、関連遺構が東西約1,000m、南北約500mの範囲に広がる。空堀を挟んで東西に位置する主郭には石垣が巡る。毛利氏が、東方(豊臣方)を意識して築城したものである。
-
尾市第1号古墳
広島県 福山・尾道
- 史跡
十字塚とも呼ばれる7世紀後半の終末期古墳である。主体部には,花崗岩の切石を組合わせた横口式石槨を3基配置し、国内で他に例のない古墳である。
-
神谷川弥生式遺跡
広島県 福山・尾道
- 史跡
弥生時代後期の集落遺跡である。出土した土器は「神谷川式土器」と呼ばれ広島県東部の土器研究の指標となっている。
-
潮崎山古墳
広島県 福山・尾道
- 史跡
備後南部では数少ない4世紀代の前方後円墳である。出土遺物には,県重文の三角縁神獣鏡と短冊形鉄斧がある。
-
白壁の道(上下町商店街)
広島県 福山・尾道
- 旧街道
福山・三次の中間点に当たる上下は分水嶺である。上下の名は峠の意から出たものとも言われる。江戸時代には、広島藩の浅野氏と福山藩水野氏との所領に分割されていた。府中市上下支所は、代官所跡に建てられており、庭先に「天領陣屋跡」の碑が建っている。大森銀山の銀を大阪に運ぶ中継地としての上下は、陰陽を結ぶ宿場町として発展。宿屋や商店が軒を並べた。町並みを見ると、古風な白壁の土蔵や格子戸造りの家が今も遺存し、往時の盛況を物語っている。古い街道筋には道標も多く残っている。
-
上下代官所跡
広島県 福山・尾道
- 史跡
旧府中市上下支所の構内一帯。当時の建物は失われているが、石垣は当時のまま残っており、県の史跡指定を受けている。
-
神辺城跡
広島県 福山・尾道
- 史跡
神辺の町並みを見下ろす黄葉山山頂に位置する。中世の典型的な山城で,曲輪や石垣などの遺構が残る。近くに福山市神辺歴史民俗資料館が所在する。
-
対潮楼
広島県 福山・尾道
- 史跡
-
熊野の上代土器窯跡
広島県 福山・尾道
- 史跡
須恵器を焼いた窯跡。
-
青陰城址
広島県 福山・尾道
- 史跡
村上水軍の本拠地であった城。本丸跡などの遺構が残り、眺望がよい。 因島のほぼ中央部、風呂山と龍王山にはさまれた標高275.7mの青影山頂にあり、三庄方面を除く島のほぼ全域及び周辺海域が見渡せる眺望のきく場所に位置し、現存する郭は、龍王山との間を急崖で区切った三の丸を西端に、幅15m長さ32m本丸があり、東に46mの通路の先が幅13m縦26mの二の丸、一段さがって屋敷跡と考えられる郭、更に一の木戸があったと伝えられる削平地に達する。また、二の木戸を南に下ると、今岡氏屋敷跡と伝えられる削平地があるが崩壊が甚だしい。 遺跡に関する伝承等 城は、島の中央にあり、海賊城ではなく、もとは長崎城・青木城・余崎城などの見張り連絡の場所であったが、のち因島村上氏が小規模ながら戦国大名の性格をもつと、本城の役割をはたすようになったのだろう。 城主は村上水軍第一家老1430貫を領した、救井太郎左衛門尉源義親であったと伝えている。
-
青木城址
広島県 福山・尾道
- 史跡
因島村上氏最後の拠点で、永禄10年(1567)に村上新蔵人吉充が向島立花の余崎城から移ったとされている。重井湾を臨む孤丘上の水域で、のちには村上氏が小早川氏の旗下となり、関ケ原合戦後は毛利に従って防長に移り、城は廃されている。
-
長崎城址
広島県 福山・尾道
- 史跡
因島の南部、伊予に属す生名島・弓削島を指呼の間にのぞむ位置にあり、かつては一小島で、本丸と思われる跡は、現在宿泊所ナティーク城山として利用され、旧状をとどめていない。 その本丸から南西に3段の郭が船隠しにつながっている。城の周囲は工場の拡張と街区の拡張で、関連の遺跡はほとんど失われ、城の南西に船隠しがあって船を繁留するための岩をうがった杭穴が数年前まであったが、今は造船所の拡張によってコンクリートで埋められ、2・3個しか確認できない。 今岡通任は小早川氏と対抗しながら北上し、因島を横領していたが、天授三年長慶天皇の命をうけた村上師清が信州更級郷から下向、今岡通任に服従を要請したが、通任は聞き入れず、鶴島箱崎浦の合戦となり師清は勝利をおさめ南朝方の勢力をとりもどした。師清は、又三郎吉豊を因島本主家を継承させ、土生の長崎山を居城とした。 以来百八十年間因島村上水軍の本城であった。 なお、城の東方の天狗山の尾根先端部にある荒神山城とは、100mをへだて相対しており、この城は長崎城の控えの城と言われている。
-
王子塚
広島県 福山・尾道
- 史跡
皇子宮とも呼ばれる町の氏神五柱神社の社務所北側に急流か荒波で丸くなった大小の礫 を円形に積み上げた積石塚古墳がある。 今から千六百年ばかり前、五世紀初頭の古墳で、因島古代研究の第一人者、故中島忠由先生は、「当時高貴の方が唐からの帰国途中に亡くなられ、玄海の荒磯の石を集めて泊地船所であったこの場所へ埋葬されたものと考えられる。」と説明なさっていた。 造礁サンゴの礫もあるので有力説。皇子宮がこの丘に祠られたのも、この古墳の被葬者の高貴な身分に由来するかとも考えられる。
-
姫谷焼窯跡
広島県 福山・尾道
- 史跡
日本の初期色絵磁器を焼いた陶磁器焼成窯跡である。付近にある墓標は、陶工市右衛門のものと伝えられている。
福山・尾道の文化史跡・遺跡探し
福山・尾道で体験できる文化史跡・遺跡の店舗一覧です。
アソビュー!は、福山・尾道にて文化史跡・遺跡が体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの福山・尾道で文化史跡・遺跡を体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。