庄原・三次・芸北の文化史跡・遺跡 スポット 20選
-
聖地助磊
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
この助磊は洪水の時登ると、増水に従って石も自然に上り水没することがないという伝承をもつ奇石である。文政3(1820)年に著された「敷名志」にその記述があり、ほ場整備以前にはこの付近にほかにも助磊があったといわれる。 三次市史跡に指定されている。
-
古城山展望台
広島県 庄原・三次・芸北
- 城郭
古城山展望台のある山を、今高野古城山といい、16世紀の戦国時代に今高野山城があったところです。比較的平坦な頂上部に本丸跡があり、数十段の廓が配置されていました。この展望台は、この歴史に基づき、観光のシンボルとして中世の山城風に作ったものです。展望台までは、今高野山境内から約600メートルの散策コースが整備されています。緑のシャワーいっぱいに浴びながらゆっくりと歩けば、小鳥のさえずりや、虫の声が聞え、心も体もやすらぐひとときを過ごすことができます。
-
光友の石畳
広島県 庄原・三次・芸北
- 旧街道
赤松の疎林を縫って,1本の石畳道が続く。これは大永2年(1522)津田明神山の城主,金築少輔七郎の家臣,中村宗太郎光重が構築したものとされている。町史跡に指定されされ注目されてきている。
-
陰陽石尊
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
泌尿器関係にご利益がある石尊です。『宝永年間にこの地方に病気が流行した際、修行者にこの陰陽石尊を称え信仰するように言われました。その通りにするとご利益を受けて全快した』という言い伝えがあります。
-
歌の清水・御堂
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての歌人である西行法師が、旅の疲れを癒した御堂と涌水です。西行法師がこの場所で休んだ際、「手にむすぶ 岩間の清水 底澄みて行きかふ人の かげも涼しき」という歌を残したので、“歌の清水・御堂”と呼ばれ、現在に伝えられています。
-
腰折地蔵尊
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
腰のあたりが折れているお地蔵様です。健康に関してのご利益があり【お地蔵様の腰をさわり、その手で自分の体の悪いところをさする】これをしばらくの間続けると全快するという言い伝えがあります。
-
帝釈観音洞窟遺跡
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
昭和38年に発見された神石高原町永野にある洞窟遺跡で、住居・基地としていたそうです。洞窟は南に開口し、入口の幅12m、高さ6.5m、奥行き10mの大きさです。旧石器時代から弥生時代に至る各時期の石器・土器・骨角器、装身具や獣骨・貝類などの遺物が出土しています。出土品は『神石高原町立 神石民俗資料館』にて見ることができます。
-
辰の口古墳
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
4世紀後半頃につくられたと思われる、全長約77mの前方後円墳です。墳丘は赤土を盛った上に白い葺石を覆い、埴輪を立てて並べていました。巨大な前方後円墳であることや石室の大きさから、ここに葬られた人物が大きな権威を持っていたであろうことがうかがえます。
-
石面刻字
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
県道帝釈井関線永野一つ橋停留所北側の巨大な岩に刻まれた16mに及ぶ記念刻字です。県内・天川間を荷車が通行できるように、人力で岩石の砕石と切り取り作業、土砂の掘り取り埋めたてと、難工事が行われました。7年の歳月を経て工事が完了した際、その苦労を讃え地域の発展を願い、1ヶ月半かけて刻まれました。刻字「天見線起工記念」の大文字と両側に昭和7年発起人下江保銘記が深く彫り込まれています。
-
長生きの水
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
父木野、県道小畠荒谷線の道路脇にて汲める湧水です。 弘法大師にゆかりがあり、疲れた旅人がこの水を飲み元気になったと言われています。一年中冷たい水が湧いています。ポリタンク等を持参して是非汲みに来てください。
-
梅ヶ峠大師堂
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
福永七曲の県道端にあるお堂です。厄除弘法大使が祀られています。元々、この御堂は上の山に祀られていましたが、長い歳月を経て人々にも忘れ去られていました。慶応3年(1867年)秋の夜、大迫喜八の夢枕にお大師様が現れ、「世の衆生を救いたい」とお告げがありました。そこで、現在の場所にお堂を建て、本尊を移し祀りました。以来、難病も治るという霊験が現れたそうです。
-
小畠代官所跡
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
関ヶ原の合戦以降、旧三和町は福島氏、水野氏の所領を経て、中津藩奥平氏の飛び領となりました。「小畠代官所跡」はその歳代官に任命された大庄屋村田知賢が自邸を提供し、代官所を置いたとされています。三和本町の一角には、井伏鱒二氏の書による記念碑があります。
-
豊松堂面洞窟遺跡
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
本遺跡は帝釈峡遺跡群を構成する中規模遺跡の一つですが、縄文時代後期後半には12体以上の人骨が検出されており、天田川流域から成羽川にかけての中核をなす遺跡として注目されています。洞窟は、2つの小支洞の入口部にあたる上洞部分と天田川の浸食によって形成された下洞部分からなります。
-
出雲街道
広島県 庄原・三次・芸北
- 旧街道
町を南北に走る街道は、瀬戸内と出雲を結ぶ要路として発達した。広島藩は寛永10年(1633年)石見・出雲両街道の広さを7尺(約2.121m)と定め、1里(約3.9km)ごとに土石を積み、目印の松の木を植えた一里塚を設置した。町内には、2カ所の一里塚があった。吉舎よいとこ発見隊によるボランティアガイドあり。(要予約)
-
南天山城跡
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
中世,和智氏の居城。本丸・二の丸跡のほか,竪堀跡が残存する。本丸・二の丸跡などが残存。
-
三玉大塚古墳
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
全長41mの帆立貝形古墳で,短甲などの副葬品が多数出土し東京国立博物館に所蔵されている。周囲には周堤がめぐらされ,墳丘は葺石で覆われ,埴輪がめぐらされる。出土品のいくつかは吉舎歴史民俗資料館に展示されている(一部レプリカ)。 5世紀後半の古墳と推定。 広島県史跡に指定されている。
-
今高野山
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
紀州の高野山に模して建立され,隆盛を極めた。
-
大富山城跡
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
宮氏7代景盛の築城。以来60年間宮氏の本拠となった。現在では多くの郭が残存している。戦国時代山城の典型。
-
六の原製鉄場跡
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
たたら製鉄の全工程の遺溝が残るたたら場跡で県史跡。現在は埋め戻してあるが、金屋子神社や復元された洗池がある。
-
比婆山伝説地
広島県 庄原・三次・芸北
- 史跡
古事記に「神さりましし伊邪那美神は出雲の国と伯伎の国との境、比婆の山に葬しまつりき」と伝わる霊峰。
庄原・三次・芸北の文化史跡・遺跡探し
庄原・三次・芸北で体験できる文化史跡・遺跡の店舗一覧です。
アソビュー!は、庄原・三次・芸北にて文化史跡・遺跡が体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの庄原・三次・芸北で文化史跡・遺跡を体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。