秋田県の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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房住山三十三観音
秋田県 白神・男鹿
- 史跡
江戸時代末期地元の人々の勧進により房住山峰一円に三十三観音を建立。冬期積雪のため参拝不可。
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不動羅遺跡
秋田県 十和田湖・大館・鹿角
- 史跡
縄文時代中期の集落跡で、縦穴住居跡や炉跡、石器等が発見されている。 現在、復元した竪穴住居はありません。
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七倉城址
秋田県 十和田湖・大館・鹿角
- 史跡
「秋田風土記」により、加成三七氏の居城があった場所とされ、行政上、軍事上の最良の地であったと思われる。小阿仁川流域を見通すことができる。現在の七倉神社が主郭と思われる。
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伊勢堂岱遺跡
秋田県 十和田湖・大館・鹿角
- 史跡
伊勢堂岱遺跡は標高40〜45mの台地上に位置する、縄文時代後期後半(約4000年前)の大規模な祭祀場です。平成7年度に、大館能代空港のアクセス道路建設に先立つ発掘調査で発見され、環状列石や配石遺構、堀立柱建物跡、土壙墓、捨て場など、多くの祭り・祈りの施設が見つかっています。遺存状態がよく学術的価値が高いことから、平成13年に国の史跡に指定されました。
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久保田城跡
秋田県 秋田
- 史跡
久保田城は、慶長七年(1602)に出羽国へ国替えとなった佐竹氏二十万五千八百石の居城であり、複数の廓を備えた平山城です。 築城は慶長八年(1603)五月に開始され、翌年の八月には初代藩主佐竹義宣が久保田城に入り、旧領主秋田氏の居城であった湊城は破却されました。 しかし、義宣が湊城から居を移した後も城普請は続けられ、完成したのは寛永八年(1631)頃といわれています。 久保田城の特徴は、石垣がほとんどなく堀と土塁を巡らした城であることと、天守閣をはじめから造らなかったことが挙げられます。 天守閣を造らなかったのは、国替えによる財政事情や幕府への軍役奉仕、徳川幕府への遠慮などが原因であると考えられています 現在、久保田城跡は千秋公園として整備され、市民の憩いの場として、また、桜の名所としても親しまれています。
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飯詰堅穴群
秋田県 田沢湖・角館・大曲
- 史跡
仙北郡美郷町にある飯詰竪穴群は、縄文時代・平安時代の史跡と考えられており調査済みのため公開されています。
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文字越え街道
秋田県 横手・鳥海
- 旧街道
秋田県と仙台市を結ぶ物資の要路であった。前九年の役に源義家が手植えしたとの言い伝えがある三本スギ、お助け小屋跡が残る。
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仙北道
秋田県 横手・鳥海
- 旧街道
平安時代に開かれ、仙台藩と秋田藩の文化や物流を担った主要ルートでした。明治時代以降利用されなくなり、人々の記憶から消えてしまいます。仙北道は「古のブナ街道」と呼ばれ、奥羽山脈にある栗駒山、栃ケ森山周辺森林生態系保護地域のコア部分を横断するルートとして近年注目を浴びています。2019年に文化庁の歴史の道百選に選定されました。
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院内銀山跡
秋田県 横手・鳥海
- 史跡
院内銀山は慶長11(1606)年に発見され、佐竹藩直営の銀山として経営されました。天保4(1833)年から約10年間は年間の産銀量が千貫を越え、「天保の盛り山」と称される最盛期を迎えます。 この当時の銀山は人口15、000人あまりを数え、城下町久保田(今の秋田市)をしのぐほどの活況を呈したと伝えられます。その後、明治維新をへて新政府直轄の経営となり、近代化を推し進めていきます。しかし、銀価の崩落や鉱脈の堀り尽くしなどでしだいに衰退し、昭和29(1954)年には完全閉山。約350年にわたる長い歴史の幕を閉じました。今も院内銀山跡地には当時の坑口などが見られ、かつての面影がしのばれます。 明治14年9月21日の明治天皇東北地方ご巡幸の際には、五番坑(御幸坑)に入坑されました。この日は日本の「鉱山記念日」と定められています。
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稲庭城
秋田県 横手・鳥海
- 史跡
秋田県南を治めた戦国大名 小野寺一族の本拠地を再現。小野寺氏ゆかりの品々を展示しているほか、川連漆器等の伝統産業も展示している。屋上は展望台になっており、近隣市町村までを一望できる。 鎌倉時代初期に小野寺氏が初めて築城した。室町末期に沼館城に移るまで本拠とした。いわば小野寺氏創業の城である。その後小野寺氏は横手城に移り、稲庭城はその支城となるが、戦国期、横手盆地に侵攻してきた山形の最上勢に攻められて落城した。城内には郭跡、堀切、櫓台跡などが残っている。
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大森城跡
秋田県 横手・鳥海
- 史跡
新秋田観光30景のひとつとして桜やつつじの多い大森公園にある。
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沼柵推定地・沼館城跡
秋田県 横手・鳥海
- 史跡
沼柵は後三年合戦の激戦地で、当初清原家衡は沼柵にたてこもり、源義家の加勢を得た清原清衡(※)軍を迎え撃ちました。四方を湿地帯でかこまれたとされる沼柵は冬までもちこたえ、連合軍は、寒さと飢えで多くの兵を失い戦線を維持出来なくなり、陸奥へ撤退していきました。 また、同じ場所は室町時代、雄勝郡を治めていた小野寺氏が、稲庭城から本拠地を移して平鹿郡進出の足掛かりとして築いた沼館城の跡地でもあり、現在は蔵光院というお寺になっていますが、高さ8mの土塁やお城の地割りがそのまま残されています。 ※のちに平泉を築いた藤原清衡
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増田城跡
秋田県 横手・鳥海
- 史跡
小笠原義冬が貞治2年(1363)に築城したと伝えられ、戦国末期には、当地域を治める拠点であったといわれています。現在は増田小学校の敷地となっています。
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後三年の合戦跡地
秋田県 田沢湖・角館・大曲
- 史跡
伏兵が潜伏した沼地は「雁行の乱れ」で有名
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小安御番所跡
秋田県 横手・鳥海
- 史跡
藩政時代に、仙台領へ通じる道の一つとして御番所が設置されていた。昭和58年に復元された。
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本堂城跡
秋田県 田沢湖・角館・大曲
- 史跡
払田柵跡から北東へ歩いて15分。戦国時代の平城である。
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一丈木遺跡
秋田県 田沢湖・角館・大曲
- 史跡
縄文中期の住居を復元。
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国指定史跡「払田柵跡」
秋田県 田沢湖・角館・大曲
- 史跡
平安時代初期に朝廷がこの地方の統一を進めるために造った役所跡。87万平方mの広大な敷地からは政庁跡や築地跡などの貴重な遺構が発掘されています。現在はその象徴ともいうべき外柵南門と両側には延長約60メートルの角材列等が復元されています。南門前の広場では、夏に平安行列を行う夏まつり「彩夏せんぼく」、冬にミニかまくらにろうそくの灯りをともす「蝦夷ほたる」が行われ、古代ロマンを感じられる場所になっています。
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生保内関所跡
秋田県 田沢湖・角館・大曲
- 史跡
旧国道46号線脇に黒御影石の石碑が立つ。
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姫塚公園
秋田県 田沢湖・角館・大曲
- 史跡
中生保内地内に「平将門」と「阿倍国東」の娘・辰子との間に生まれた娘・楓娘(かえで)が亡くなって葬ったといわれる場所が姫塚です。
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