京都府の町並み スポット 20選
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一条戻り橋
京都府 河原町・烏丸・大宮周辺
- 町並み
一条通の堀川に架かる、長さ6.2mの小さな橋。平安京当時とその位置は変わっていないといわれている。河竹黙阿弥の歌舞伎・渡辺綱と鬼女の話や豊臣秀吉による千利休の木像の磔けなど、さまざまな伝説と歴史を持つ橋。
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五条大橋
京都府 祇園・東山・北白川周辺
- 町並み
五条通りの鴨川に架かり、牛若丸と弁慶が出会ったという伝説の場所。橋の西側には、ふたりの石像がある。また、橋のたもとには清照尼が扇をつくった御影堂の跡があり、扇形の石碑と扇塚が建っている。
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新京極
京都府 河原町・烏丸・大宮周辺
- 町並み
寺町通りの一本東の通りで、たくさんのおみやげ屋さんが建ち並ぶ。修学旅行生のメッカとしても名高いところ。繁華街だが妙心寺や安養寺など古いお寺が散在していて、これがいかにも京都らしい光景。
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三条大橋
京都府 河原町・烏丸・大宮周辺
- 町並み
東海道五十三次の西の起点。現在の橋は、天正18年(1590)に豊臣秀吉の命で改築された木橋の面影を残しており、高欄の擬宝珠14個はその当時のもの。橋の全長は74m。橋上からは比叡山、北山、東山などの山並みを見ることができるほか、置屋や料亭が並ぶ西岸の先斗町には今も花街の風情を感じることができる。また、冬には、ユリカモメが乱舞し、道行く人の足をしばし止めさせる。
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先斗町
京都府 河原町・烏丸・大宮周辺
- 町並み
京都五花街のひとつで、長さ550m、幅2m足らずの通り。英語のポイント(先)やポルトガル語のポント(尖り)が語源で、先の細い道を表している。昔ながらの料亭やお茶屋さんが建ち並び、四条河原町のにぎやかさとはうって変わってしっとりとしたムードが漂う。夕暮れ時、小路に灯がともる頃にお座敷へ向かう舞妓の姿が見られることもある。鴨川に張り出す床は夏の風物詩。歩くだけでも京情緒がたっぷり味わえる。
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四条河原町
京都府 河原町・烏丸・大宮周辺
- 町並み
デパートや銀行などが軒を連ねるビル街、四条通り。アミューズメント・ショップが並ぶショッピング街、河原町通り。このふたつの通りが交わる四条河原町周辺は、市内随一の繁華街である。昼、買い物客などでにぎわう表通りは夜になると静けさを取り戻し、その舞台を木屋町、先斗町通りといった裏通りにあけわたす。竹矢来の小路を急ぐ舞妓さんは、昼にすれ違った和服の女性なのかもしれない。
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祇園
京都府 祇園・東山・北白川周辺
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京都市の中心部、八坂神社を中心とする地区で、祇園という地名は八坂神社の旧称「祇園社」にちなんだもの。京都を代表する繁華街でもある。舞妓や芸妓の姿も見られる。北は白川南通・新橋通から南は団栗通まで、西は大和大路から東は東大路までの区域で、江戸時代からお茶屋が建ち始めた。白川べりには祇園を愛した歌人・吉井勇の歌碑がある。四条通を境に南側はお茶屋が並ぶ、風情のある町並みとなっており、北側は飲食店、酒場などの立ち並ぶ歓楽街となっている。
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渡月橋
京都府 湯の花・丹波・美山
- 町並み
桜、紅葉の名所として知られる嵐山を水面に映しながら流れる大堰川。渡月橋は大堰川に架かる橋で、月が渡るさまに似ているところから亀山天皇が渡月橋と命名したと伝わる。現在のものは昭和9年(1934)に完成したもので、嵐山の景勝にとけ込むように設計されている。またこの付近ではボート遊び、屋形船の遊覧、そして夏には鵜飼が楽しめる。大堰川では8月16日に灯篭流し、11月にもみじ祭を催すが、渡月橋は、こういった行事の中心となっている。
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丹波亀山城下町
京都府 湯の花・丹波・美山
- 町並み
明智光秀公が治めた丹波亀山の城下町。紺屋町・本町などに切妻、京格子の商家などが一部残ります。
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森の京都DMO
京都府 湯の花・丹波・美山
- 町並み
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上狛茶問屋街
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 町並み
近郊では江戸時代から優れた品質の茶の栽培と製茶が盛んで、幕末には木津川の水運を利用して神戸に出荷し、世界に輸出されていました。木津川の浜に近い山城町上狛南部には、製茶工場や茶問屋が集積し、最盛期には120軒を数えたといわれています。現在も約30軒の茶問屋が軒を連ね、「茶問屋ストリート」と呼ばれる街並みが往時の雰囲気を残しています。
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郷之口
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 町並み
宇治田原の西の入り口。妙楽寺や、家康が立ち寄ったという山口城跡がある。茶問屋も多く、古い家屋の町なみが残る。
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上狛環濠集落
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 町並み
京都と奈良を結ぶ旧奈良街道沿いの垣内集落で、戸数約300戸ほどの山城地域でもっとも大きい環濠集落である。山城国一揆の中心となった。日本の環濠集落の中でも、規模の大きいもののひとつ。堀の外は田畑、内側を高く築いて竹薮をめぐらし、内部は中央に狛氏の居館を配して各所に共同井戸を備えていた。この姿は現在もいくらか残っており、大和棟民家も散見される。
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かやぶきの里北集落
京都府 湯の花・丹波・美山
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丹波山地の中央部にある38戸ほどの茅葺屋根の集落である。京都府下では珍しくなった茅葺農家ばかりの景観を保っており、丹波山地特有の民家形式の発展の跡をたどることのできる点で価値が高いといえる。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
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伊根浦舟屋群
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 町並み
海上すれすれに建ち並ぶ舟屋が、すきまなく伊根浦をおおう。伊根湾は日本海側では珍しい南向きの天然の良港であり、その波静かな海と沈黙の山並みの峡間に、ひっそり珍しい建築様式の舟屋が建ち並ぶ。一階は、伊根湾に向って大きな口を空けた船のガレージ、2階は居室等二次的な生活の場となっており、民宿の客室等に活用されるなど、一夜を過す旅人は、さざなみの音を聞きながら情緒を味わうことができる。また、舟屋は海面すれすれに建てられているため、満潮時ともなれば、あたかも家が海に浮かんでいるような景観となる。海にいちばん近いくらし、漁村独特の風情にあふれています。
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スタジオ縁
京都府 祇園・東山・北白川周辺
- 町並み
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寺町
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 町並み
宮津城下町の歴史は、天正8年(1580)、丹後に入国した細川藤孝(幽斉)・忠興親子による宮津浜手(現鶴賀)への宮津城築城と城下の建設に始まります。しかしこの城と城下は、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の際、忠興の留守を守る幽斉みずからの手により焼き払われます。現在に続く城下町は、江戸時代のはじめの宮津藩主、京極高広の代に建設・整備されたものです。高広は焼け落ちた宮津城や大手川対岸の城下の再建に着手します。この高広による城と城下の普請は、元和8年(1622)から寛永13年(1636)頃のことと考えられています。金屋谷・小川地区の「寺町」も、この高広の城下町建設に合わせて整備されたもので、現在ある12の寺院のうち、ほとんどが高広の代に京極家やその一族の菩提を弔うために創建、あるいは他地域からこの地に移転されたという伝承があります。つまり宮津の寺町は400年弱の歴史がある、城下町宮津の面影を色濃く伝える場所なのです。 毎年10月の3連休に、この寺町界隈を中心に、竹やペットボトルによる手作り燈籠を約1万個設置するライトアップイベント「和火(やわらび)」を実施しています。
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宇治の文化的景観
京都府 京都南部(宇治・長岡京・山崎)
- 町並み
文化的景観は、文化財保護法において、地域における人々の生活の営みと風土が生みだした景観地で、国民の生活・生業の理解のために欠くことのできないものと定められており、その中でも特に重要なものが重要文化的景観に選定されます。 「宇治の文化的景観」は、宇治川に代表される自然景観を骨格としながら、重層的に発展した市街地とその周辺に点在する茶園によって構成される茶業に関する独特の文化的景観であるとして、平成22年2月に国の重要文化的景観に選定されました。
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西舞鶴
京都府 天橋立・宮津・舞鶴
- 町並み
旧田辺藩3万5千石の城下町。城下西寄りを流れる高野川河口の竹屋町は、特に廻船業を中心とする港町として栄え、東岩沿いの各家裏口には小舟を横付けする石段と土蔵が立ち並んだ。竹屋町表通り側には京都風の平入町家が多くみられ、なかには18世紀前半のものも含まれている。
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石塀小路
京都府 祇園・東山・北白川周辺
- 町並み
高台寺道から西へ抜ける小路が石塀小路。人ふたりが歩けるくらいの石畳と木塀の風情ある小路で、5分ほどで通り抜けられる。両側の家も石垣を備え、懐石料理の店や旅館が軒を並べている。南へ二年坂、産寧坂とつづく東山散策の道としても人気が高い。
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