茨城県の歴史的建造物 スポット 20選
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曲がり屋
茨城県 水戸・笠間
- 歴史的建造物
文久2(1862)年に那珂市戸崎に建てられた農家です。那珂市に残された最後の曲がり屋ということで市が保存することとなり、平成11年に一の関ため池親水公園へ移築・復元されました。土間及び厩が突出し、鉤の手に曲がっている「曲がり屋」は、東北地方と茨城県の一部にみられ、寒さの厳しい地方の代表的な民家形式です。
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大宝八幡宮本殿
茨城県 常総・結城・桜川
- 歴史的建造物
旧県社。祭神は誉田別命(応神天皇)・足仲彦命(仲哀天皇)・気長足姫命(神功皇后)の三柱。 社伝によると、大宝元年(701)、藤原時忠が筑紫の宇佐八幡宮を勧請創建したといわれるが、天台宗の古い写経の奥書に「治承3年(1179)己亥7月22日未時書了於常陸州下津間郡八幡宮書了 兼智」とあるから、平安末期にはすでに八幡信仰が盛行していたことがわかる。 本殿は、天正5年(1577)に下妻城主多賀谷下総守尊経が建立したことが、本殿回廊の高欄擬宝珠によって知られる。三間社流造。建ち上がりも高く、柱も太くて、どっしりした重みを見せているが、これに比べて組物は小柄で複雑に組合わされ、桃山時代の地方的建築のありさまを示す貴重な遺構であり、また、派手な装飾は見られず落ち着いたたたずまいを見せている。
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今泉不動堂
茨城県 常総・結城・桜川
- 歴史的建造物
今泉不動堂は、下妻城主多賀谷氏が、城の西南の鎮護のため建立したと伝えられる。その多賀谷氏も、やがて豊臣秀吉の天下統一の前に屈服し、さらに慶長6年(1601)徳川家康により所領没収、追放された。その後、元和2年(1616)下妻城主に封じられた松平定綱により不動堂の再建がなされている。 しかし、現在の堂宇は、建築の細部手法が江戸時代中期の特徴を表していることから江戸時代享保頃改築されたと思われる。 建築形式は、桁行・梁間ともに三間(実寸法7.6m)の本体に、正面一間の後拝を設け、本体周囲に回縁をまわす。本体の前面一間を外陣、奥の二間を内陣とし、結界には格子戸を入れる。ただし、屋根と天井は近年改修された。特に目を引くものに頭貫虹梁上の竜、竜を浮彫にした向拝柱、その柱頭の唐獅子と獏の彫物などがあり見事である。これを彫ったのは、堂内の須弥壇、匂欄の刻銘から、江戸時代中期を代表する高名な彫物師で国指定建造物 成田山新勝寺三重塔などを手がけた無関堂円鉄の弟子と思われる嶋村藤市という職人とみられる。
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江連用水旧溝宮裏両樋
茨城県 常総・結城・桜川
- 歴史的建造物
特徴 ・鬼怒川左岸の真岡市上江連を水源とし、鬼怒川と小貝川に挟まれた地域の 灌漑用として設けられた江連用水の旧分水施設。 ・所有者は下妻市。 ・東西各3.6メートルの二連の煉瓦造樋門と、湾曲する煉瓦擁壁が一体となっ ている。 ・上流側は水切り、下流側は階段状とする堰柱の形式が特徴。 ・使用されている煉瓦は、下妻市鯨に所在した國府田煉瓦工場で生産された もので、「∴」の印がある。 ・かつて江連用水には多数の煉瓦水門が存在したが、現存するのは本物件の み。 ・下妻市本宗道の宗任神社の裏手に位置し、「宮裏堰」とも呼ばれ親しまれ てきた。 ・昭和50年代に江連用水の流路が変更された。旧水路は「江連用水旧溝」と 呼ばれている。 ・用水の分水施設としての機能は失ったが、歴史的に貴重な施設として保存 された。周囲は公園として整備されている。
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水海道風土博物館坂野家住宅
茨城県 常総・結城・桜川
- 歴史的建造物
坂野家住宅は「四間取り」を基調に江戸時代後期に母屋を大幅に増築したもので、東側の土間や南面する客間は、入母屋作りの屋根とともに大型農家の特色をよくあらわしています。また、1ヘクタールに及ぶ広大な屋敷は、従来武家屋敷といわれる薬医門と土塀に囲まれています。昭和43年に国の重要文化財の指定を受けました。現在は水海道風土博物館として一般開放しております。また、映画やドラマのロケ地としてもたびたび使われています。
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旧太田中学校講堂
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 歴史的建造物
県立太田第一高等学校にある講堂は、明治37年に旧太田中学校の講堂として建築されたものです。 講堂は、桁行き20.9m、梁間14.5m、正面に車寄せを設けた瓦葺き屋根の洋風建築で、旧県立商業学校本館や旧土浦中学校本館なども手掛けた、茨城県の技師・駒杵勤治によって設計されました。ゴシック、ロココ様式を基調とし、当時流行していたスティックスタイル(木骨様式)を取り入れてあり、内部には、校章の掘られた演台やエンタシス柱、コリント風の柱頭飾りなどが施されています。この様式の建築物が当時のまま現存しているのは稀少で、当時の建築技術の高さや面影を今に伝える重要な建築物として、昭和51年に国の重要文化財に指定されました。 なお、毎年秋には、太田一高が所蔵する書画など、貴著な資料とともに一般公開が行われています。
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旧町屋変電所
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 歴史的建造物
明治42(1909)年1月、日立製作所の前身である久原鉱業所日立鉱山によって建設された水力発電所の変電施設。その後、明治44(1911)年の春に「茨城の電気王」と呼ばれた前島平が設立した茨城電気(後の東京電力)が町屋発電所を買い取りました。旧太田町などで初めて電灯が灯ったのは同年の11月28日、町屋の人々は「電気見たけりゃ町屋へ行け」と偉大な町のシンボルを誇ったといいます。煉瓦造りで切妻屋根の建物と寄棟屋根の建物がつながった外観が特徴のこの変電施設は、町屋発電所から送られてきた電力をフランス製と見られる三相の碍子から取り入れ、各地に送電していました。昭和31(1956)年まで変電所として機能した後は、地域の集会所として利用されていました。現在は地区の保存会によって周辺整備が進められています。国登録有形文化財。
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郷土資料館梅津会館
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 歴史的建造物
梅津会館こと郷土資料館本館は、昭和11(1936)年に当市出身の実業家・梅津福次郎の寄付により建てられたもので、南東角には角塔を、正面には大アーチの車寄せを備えた本格的な庁舎建築。主要部はタイル張りで、アーチのキーストーンには装飾が施されています。昭和53(1978)年まで市役所として利用されたのち、同55(1980)年に郷土資料館として開館しました。館内は、1階が特別展示室を兼ねた美術展示室、2階が歴史展示室と民俗展示室となっており、当市出身の画家・宇佐見太奇の屏風などの美術資料、幡山古墳群や瑞龍古墳群から出土した考古資料、農業や漁業の器具をはじめとする民俗資料などが多数展示されています。また、平成7(1995)年には、梅津会館のほど近くにある郷土資料館分館が開館。趣深い蔵造りの建物の中には本館同様、常陸太田市の歴史を伝える数々の郷土資料を見ることができます。
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西山御殿
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 歴史的建造物
「水戸黄門」で知られる、水戸藩二代目藩主・徳川光圀公が藩主の座を退いた後、元禄4(1691)年から元禄13(1700)年に没するまでの晩年を過ごした隠居所。光圀公はここで『大日本史』の編さんの監修に当たりました。入口には光圀が紀州から取り寄せ、移植した熊野杉が天を覆っています。建物は茅葺き平屋建て、内部は粗壁のままで、どの部屋にも装飾はなく、書斎も丸窓だけの三畳間と質素な佇まいです。なお、現在の建物は、文政2(1819)年に再建されたものです。春の梅、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色など、季節ごとに異なった表情が楽しめる、美しい情景は必見です。常陸太田市を代表する歴史的観光スポットのひとつです。
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穂積家住宅
茨城県 北茨城・奥久慈・日立
- 歴史的建造物
穂積家は、江戸時代から豪農の家柄として地域経済に大きな役割を担い、その活動は農業のほか、酒造業や林業、金融業、製糸業などにも及びました。酒造業では明治4年に1000石を醸造、銘酒「松乃月」を誕生させて一躍有名になり、製糸業では蒸気機関と100人の女工を使って盛隆を極めました。
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牛久シャトー
茨城県 つくば・牛久
- 歴史的建造物
牛久駅の東方に立つレンガ造りの建物。1903(明治36)年神谷傳兵衛氏によって建てられた。シャトー内部にワイン資料館があり、明治・大正時代に使用されたフランス直輸入のワイン・シャンパン醸造機械やワインに関する資料が展示されている。
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大塚家住宅
茨城県 つくば・牛久
- 歴史的建造物
18世紀前半に建築された,カヤぶき寄棟造りの直家で,つくば地方の伝統建築を今に伝えます。 大塚家は太田道灌の血筋と伝えられ,小田氏の家臣でしたが,小田氏が破れた後,帰農し,代々名主を努めました。
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武勇
茨城県 常総・結城・桜川
- 歴史的建造物
店舗である見世蔵は2階建・桟瓦葺で,間口7間の前面に約半間の下屋庇が付き,東側4間半が奥行5間の寄棟造,西側2間半は奥行き2間半の切妻造です。1階正面は,左寄り1間に引き違いガラス戸を建てて出入口とし,その右2間を格子窓とします。 出入口以外は腰を石積み(3段)としますが,中央付近より右側の石は比較的新しく,やや外側に張り出して目地を漆喰塗とするなど,明らかに左半分(寄棟部分)とは異なっており,当初は寄棟・妻入りのすっきりした外観であったと思われます。 見世蔵の内部は,1階が店舗と座敷,2階がすべて蔵座敷となります。2階(12畳と8畳)は天井も低く,床の間等の座敷飾りもないことから,杜氏をはじめ男衆の寝室に利用されたものと考えられます。 建設時期は幕末と推定されますが,全体的に保存状態がよく,切妻部分と事務室の増築を除けば大きな改造はなく,結城に現存する見世蔵の中でも最も古い遺構です。
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稲吉宿本陣
茨城県 霞ヶ浦・土浦・鹿島・潮来
- 歴史的建造物
水戸街道の宿場「稲吉宿」。幕末の姿を伝える旅籠です。見学は住人の許可を得てください。
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霞ヶ浦帆引き船
茨城県 霞ヶ浦・土浦・鹿島・潮来
- 歴史的建造物
霞ヶ浦のシンボルである帆引き船は、本市に生まれた折本良平氏によって考案され、明治13年に初めて霞ヶ浦に浮かびました。雄大な霞ヶ浦に白い帆を上げ、優雅に走る帆引き船をどうぞご覧ください。帆引き船にまつわるイベントも盛んです。
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山本家住宅
茨城県 霞ヶ浦・土浦・鹿島・潮来
- 歴史的建造物
山本家は鹿島灘に近い神之池畔にあって,網元をしていた漁家で,名主を勤めたこともある旧家です。住宅の建設年代ははっきりしませんが,手法より見て18世紀前半と考えられています。 寄棟造,茅葺で,間口19.6メートル(10間余),奥行き10.6メートル(約5間半)の南正面東寄りに突出部を付けた曲屋で,正面及び西側面が軒下の張り出したせがい造りになっています。突出部のある部分が土間で,奥の方には部屋が設けられています。 この住宅は良質で保存が良く,漁家として重要文化財に指定されているものは数例しかありません。平面形式は異りますが,構造は椎名家住宅(重文)など茨城県南部に共通したところがあり,この地方の民家の特性を知る上で重要なものです。
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西蓮寺仁王門
茨城県 霞ヶ浦・土浦・鹿島・潮来
- 歴史的建造物
国指定重要文化財。天文12年(1543年)建立されたもので当初は楼門として造られ、寛政2年(1790年)山門に造り替え更に仁王門に改めて現在に至っています。
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結城三百石記念館
茨城県 つくば・牛久
- 歴史的建造物
結城家は鎌倉時代初期の朝光公を始祖とする名族であり、江戸時代初期に当地に帰農して以来「結城三百石」と称され新田開発の中心的役割を担ってきました。郷土の発展を願って当家から寄付された屋敷を保存活用し、建物と周辺環境を整備して、市民利用施設として、広く公開しています。 敷地内には母屋・長屋門・蔵などがあり、全体を自然観察路として整備し、四季折々の草花、野鳥、虫たちを見ることができます。館内では当時の生活をうかがい知ることができるように、生活具をもとの場所にそのまま展示してあります。また史料収蔵庫には結城家に伝わった江戸時代初期からの文書類が5,000点以上保管されており、その一部が展示公開されています。
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中崎家住宅
茨城県 水戸・笠間
- 歴史的建造物
上層農家のたたずまいを今に伝える、江戸時代に建てられたかやぶき屋根の建物で、形は直家(すごや)です。昭和43年には国の重要文化財に指定されており,現在も個人の住居となっています。
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鈴木家住宅
茨城県 水戸・笠間
- 歴史的建造物
鈴木家は、水戸藩時代庄屋を務め徳川光圀の娘を迎えたほどの旧家であり、光圀が西山荘への往復の途中に立ち寄り宿泊にも用いたとされています。
茨城県の歴史的建造物探し
茨城県で体験できる歴史的建造物の店舗一覧です。
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