荒川区・日暮里の観光施設 スポット 5選
-
小塚原刑場跡
東京都 上野・浅草・両国
- 観光施設
東海道の鈴ガ森とともに,江戸の二仕置場の一つで,今の回向院周辺に間口60間,奥行30間の敷地を占めていたという。明治初年に廃止されるまでにここで処刑された人は約20万人といわれる。
-
首切り地蔵(小塚原刑場跡)
東京都 上野・浅草・両国
- 観光施設
延命地蔵の別名、1741年(寛保元年)に死刑者の霊を慰めるために建立された、高さ約3.6mの花崗岩の地蔵菩薩坐像。1895年(明治28年)に貨物線の南側から現地に移されました。
-
滝沢馬琴筆塚
東京都 上野・浅草・両国
- 観光施設
滝澤馬琴が『南総里見八犬伝』を書いたことを記念して、1809年(文化6)に建てられた筆塚があります。そばに硯の形の硯塚もあります。
-
観臓記念碑
東京都 上野・浅草・両国
- 観光施設
口コミ1件
1771(明和8)年蘭方医前野良沢が小塚原刑場の刑死者の腑分(解剖)に立ち合い,それを機会に杉田玄白らと『解体新書』を翻訳,出版したことを記念した碑。1922(大正11)年に造立,昭和34年に日本医学会,日本歴史学会が改造再建しました。銅板に蘭方医学書の扉を浮き彫りにした珍しい碑です。
-
吉田松陰の最初の墓
東京都 上野・浅草・両国
- 観光施設
小塚原は江戸時代、処刑場の一つで、小塚原回向院は寛文7年(1667)に病刑死者の屍を埋葬するため創建されました。 吉田松陰が処刑された後、在江戸の門下生たちは師の遺骸を取り戻すため奔走し、その至誠情熱はついに獄吏をも動かし、引き渡しを受けて小塚原回向院に埋葬することができました。 後日、松陰の遺骸は高杉晋作らによって、世田谷若林に改葬されましたが、松陰の義弟でもある久坂玄瑞の筆で「松陰二十一回猛士」と書かれた墓碑は、現在も小塚原回向院に現存しています。
荒川区・日暮里の観光施設探し
荒川区・日暮里で体験できる観光施設の店舗一覧です。
アソビュー!は、荒川区・日暮里にて観光施設が体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの荒川区・日暮里で観光施設を体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。