常総・結城・桜川の観光施設 スポット 20選
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豊田城
茨城県 常総・結城・桜川
- 観光施設
茨城県常総市にある城。垣武平氏一族の豊田氏が築いた城で、カヤ葺きで小貝川の水を要塞としたものとされている。現在は「地域交流センター」になっており、1,100人収容のホールや図書館、常総市石下地方の歴史を紹介する展示室からなる複合施設になっている。
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ネーブルパーク
茨城県 常総・結城・桜川
- 観光施設
口コミ1件
宿泊用キャビン(4人用3棟・6人用3棟・8人〜10人用4棟)30名、バーベキュー用品の貸し出しも行っています。研修センターにより宿泊研修も承っています。収容人員(研修72人用・64人用/宿泊94人)、ポニー広場ではポニーに乗ることも出来、アスレチック広場で遊ぶことも出来ます。 「ネーブルパーク」と「ネーブルパークふれあい広場」に分かれており、秋には「ふれあい広場」において「古河菊まつり」が開催されます。ふれあい広場側には釣り堀も有ります。
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佐久良東雄旧宅
茨城県 常総・結城・桜川
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幕末の志士、歌人の佐久良東雄が9歳まで暮らした家。広間型の間取りや構造・手法などから、建立は18世紀中期から末期の頃と推定されている。現在の建物は天保5年(1834)に一部改造が行われ,その後,大小の修理をうけながら今日まで旧態を残し,民家としての価値も極めて高いものと評価されている。
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猿島コミュニティーセンター
茨城県 常総・結城・桜川
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温水プール、休養施設(風呂・和室)、トレーニングルーム、ゲートボール場。
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仲山観世音
茨城県 常総・結城・桜川
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行基が、小庵を造り観音像を安置した。
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道の駅ごか
茨城県 常総・結城・桜川
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茨城が誇る銘柄豚ローズポークや天然なまずを使ったメニューが大好評!週末や連休には大洗魚市・手焼きせんべいの実演など多彩なイベントを開催しています。
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東昌寺の梵鐘
茨城県 常総・結城・桜川
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梵鐘は、元亨年間(1321年ごろ)に下野国の鋳物師・大工甲斐権守卜部助光が制作したものとされ、昭和43年3月に茨城県指定文化財に指定されています。
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伝蕃山堤
茨城県 常総・結城・桜川
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江戸時代の陽明学者、熊沢蕃山が構築したと伝えられる溜池。堤を造ることで林から湧き出た水を集め、水田への灌漑に利用したとされている。
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熊沢蕃山の墓
茨城県 常総・結城・桜川
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江戸時代前期に活躍した陽明学者、熊沢蕃山は、岡山藩において治水治山の農業政策を実践して、財政の建て直しに寄与したが、晩年、幕府を批判したため古河に幽閉され、そのまま古河の地にて没した。その墓が鮭延寺にある。
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長塚節生家
茨城県 常総・結城・桜川
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正岡子規の門下生アララギ派の代表歌人長塚節は不朽の名作小説「土」の作者でもあります。その生家は数々の遺品とともに保存され、当時の雰囲気を残しています。
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青龍権現老樹碑
茨城県 常総・結城・桜川
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戦後教育改革にともなう大形中学校新校舎建設の歴史を刻む近代の文化遺産。
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真壁城主累代の墓地及び墓碑郡
茨城県 常総・結城・桜川
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遍照院正得寺にある。高さ約1.5mの五輪石塔が30数基。南北朝から戦国後期のものであり、県指定史跡に登録されています。
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歌姫明神
茨城県 常総・結城・桜川
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その昔筑波の歌垣が行われたのはこの地との伝説がある。
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やさと茅葺民家めぐり
茨城県 常総・結城・桜川
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江戸時代から豊かな地域で多くの家が500坪前後の屋敷地を持ち、敷地には主屋、長屋門、隠居屋、納屋、蔵など多くの建物があり、周囲には屋敷林で囲まれています。豊かさを背景に茅葺きも洗練され、美しい茅葺き建築を見ることが出来ます。
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山懸大弐の墓
茨城県 常総・結城・桜川
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山梨県出身。「柳子新論」を著して幕政を批判し、尊王を説いた。1766年捕えられ死罪。
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富士見の馬場
茨城県 常総・結城・桜川
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市街の四ツ家から岩井第一小学校に向かって進むと、右側に小さな緑地があり、ここを「富士見の馬場跡」と称しています。 この地を基点に北へ700m、幅22mの直線路があり、道の両側に松並木が続いていたと語り継がれています。 今から1100年前の書物『延喜式』によると、諸国の牛馬牧として39牧の名称が記録され、そのうちの18牧が兵部省管轄の官牧でした。下総国には馬牧4、牛牧1が数えられました。 平将門の領内には大結牧と長洲牧があったことから、将門は官牧の牧司を兼ねていたのではないかといわれています。 『将門記』には、百騎を超える騎馬隊を組織し、合戦の場で効果的に用いている場面が描かれています。 当時は、ほとんどが自然の状態で飼育された野馬でしたので、人が乗り、使役のためには調教する馬場と厩が必要でした。 富士見の馬場は、調教を目的に開設され、やがて将門によって軍馬の調練の場として活用されたことは<野馬追い>行事の継承を通して想像することができます。 鎌倉時代は、猿島地方も戦乱の中に組み込まれました。豪族たちはもちろんのこと、その旗下にあった農民たちも、戦場に出陣するために馬を飼い、そして馬を求める馬市が立ち、その取引の場所となったのが、富士見の馬場であったことも伝えられています。
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中山茶顛翁の紀功碑
茨城県 常総・結城・桜川
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さしま茶振興の先駆者、また初めて外国貿易を開いた中山元成翁の碑である。
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野口雨情の碑
茨城県 常総・結城・桜川
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詩人野口雨情が、作曲家中山晋平と大正12年5月12日に岩井を訪れ、詩を詠んだ記念に碑を建立する。 (昭和33年11月30日記念碑建立) 猿島岩井町 茶の芽が伸びりゃ 空に雲雀が さへつりかゝる
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石井の井戸
茨城県 常総・結城・桜川
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石井営所跡を離れて延命寺に向かう途中、右手の田んぼの中に突き出た緑園が<石井の井戸>跡です。 この井戸は、中根台地の裾辺にある地下水の湧き出し口で、古代人がこの地に来て、湧水近くに居を構えて以来、人々が移り住んだと思われます。奈良時代には、石井郷という行政区域になっていました。 平安時代に書かれた『将門記』には、将門の本拠となる石井営所として記述されています。その主人公の将門と石井の井戸との関わりについては、「国王神社縁起演書」に詳しく記されています。 『将門が王城地を求めてこの地を見回っているうちに喉が渇いて水が欲しくなった。その時、どこからか老翁が現われ、大きな石の傍らに立っていた。翁はその大石を軽々と持ち上げて大地に投げつけると、そこから清らかな水が湧き出し、将門と従兵たちは喉を潤すことができた。 将門は不思議に思い、翁を召して「あなたはどのようなおかたなのでしょうか」と尋ねると、翁はかしこまって一首の歌を詠んだ。 久方の光の末の景うつる 岩井を守る翁なりけり と唱じると姿を消してしまった。 将門はこの翁を祀るとともに、この大地に城郭を造ることに決めたのである。』とあります。 また別説としては、<星見の井>や<将門産湯の井>などの諸説があります。いつの世も、人々の定住に欠かせない水の大切さを物語っているといえます。
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九重の桜
茨城県 常総・結城・桜川
- 観光施設
石井の井戸跡から南へ向かって進むと、台地が東に突き出した田んぼに面して小さな森が見えます。この森が九重の桜史跡です。 史跡には、碑とその伝承由来を誌した副碑が建っています。碑文によると、九重の桜は、京都御所の紫宸殿前にある桜を根分けして移植したものと伝えられています。九重というのは皇居、または王宮を表す言葉といい、中国の王城の門を幾重にも造ったことから生まれたと記されています。 紫宸殿とは、内裏の正殿にあたり「南殿」または「前殿」とも称しました。もとは日常の政務を行うところであったが、後に正殿をめぐる華やかな儀式や行事の中心的な場となります。 東宮(朱雀天皇)の元服の儀が紫宸殿で執り行われ、その恩赦によって将門の帰国が許されました。南庭の左近の桜を株分けして、将門ゆかりの地に移植されたという伝承には、恩赦への感謝の情がくみとれます。 いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな 歌人伊勢大輔の歌は、源氏物語の「花宴」を連想させます。八重桜とは八重咲きの里桜のことで、別名は牡丹桜といいます。桜の中では開花が最も遅く、それゆえに愛惜の心が揺らぐことから、願いを託した桜として<九重>の造語が生まれたものと考えられます。
常総・結城・桜川の観光施設探し
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