久喜・行田の観光施設 スポット 20選
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けやき並木
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
約1,200メートルに渡り,けやきのトンネルが続く
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帰依仏搭
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
光厳寺境内にある、鎌倉時代末期正安年間に作られた板石塔婆。名僧一山一寧の書を写したものといわれています。
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コスモスふれあいロード
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
久喜市鷲宮地区を横断する葛西用水路沿いに整備されたコスモスふれあいロードで、春は「ポピー」、秋は「コスモス」を楽しむことができます。総延長約10kmに渡り、色とりどりの花々が延々咲き誇る風景は壮観なものですので、ぜひ、散策してみてはいかがでしょうか。
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静御前の墓
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
栗橋駅前の旧静村伊坂にあり,源義経が兄頼朝の追手を逃れて,奥州へ下ったあと,義経をしたってこの地まで来た静御前が,病に倒れて没したところだという。静御前の墓と伝えられる墓石は周囲に石の柵をめぐらし,義経招魂の碑や歌碑も建てられている。
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南河原石塔婆
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
観福寺境内に所在する2基の大型板碑は、鎌倉時代中期の代表的な板碑として知られ、昭和3年に国の史跡に指定されました。 江戸時代後期に編さんされた「新編武蔵風土記稿」には、当地出身の武蔵武士で、源平争乱の際に摂津国生田の森(兵庫県神戸市中央区)の合戦で討死した河原太郎高直・次郎忠家(「平家物語」では盛直)兄弟の供養碑であるとの伝承が載せられていますが、真偽については「彼兄弟の碑とせんには、年代違へり」と述べています。また同書には、これらの板碑はかつて村の北の畑中にあったものが、後年、観福寺に移されたとあります。 文応2年(1261)銘の板碑は、上半部に阿弥陀如来をあらわすキリークという種子(仏をあらわす梵字)と蓮座が大きく深く薬研彫り(やげんぼり)され、下半部には阿弥陀三尊の図像が線刻されています。また最下部には紀年銘を中心に12名ほどの人名が刻まれています。 文永二年(1265)銘の板碑は、中央部に脇侍をともなった地蔵菩薩の図像が岩座の上に線刻され、下部には紀年銘を中心に阿弥陀号などをもつ20数名の人名が刻まれています。
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木造阿弥陀如来及両脇侍像
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
保寧寺所蔵の国指定重要文化財。阿弥陀如来を中尊とし、その両脇に観音・勢至菩薩を配する木造の三尊像。鎌倉時代初期の慶派仏師「宋慶」の作。
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龍興寺青石塔婆
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
青石塔婆とは、緑泥片岩でできた供養塔で、碑文に「青石卒都婆…」の銘があることから、そう呼ばれる。上部が欠け、なかほどで折れているため枠で補強してある。青石塔婆の名称を研究する上で貴重である。境内には足利持氏・春王・安王供養塔もある。
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足利持氏・春王・安王供養塔
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
龍興寺には、古河公方足利成氏の時建立したと伝えられる足利持氏・春王・安王の三基の宝篋印塔(室町期の形式)が現存する。
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北向き地蔵
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
仏像には珍しく北面しているためこの名がある。「泥の団子」を供えて願い事をし、願いがかなったら「米の団子」を供えるという信仰がある。道標も兼ねる。
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芭蕉句碑
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
地元の俳句同好者(石戸連)が芭蕉をしのんで建立した句碑。 表面に芭蕉の「原中や ものにもつかず 啼雲雀」の句を、裏面に石戸連の人々の20句を刻んでいる。
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道標「これより石と舟とみち」
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
近世、荒川におかれていた石戸河岸、高尾河岸の銘を刻む道標で、享保12年(1727年)に鴻巣市馬室から北本市石戸宿に通じる「鎌倉街道」と伝えられる道沿いに建立されたもの。荒川は、江戸時代から大正時代まで舟運で栄えており、この道標はその河岸の存在を示す貴重な資料です。現在は、保存のためレプリカがおかれており、現物は北本市教育委員会で保管。
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城ヶ谷堤
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
桜の名所。江戸時代に付近の田畑を水害から守るために築かれた堤。毎年4月上旬に見事な桜のトンネルをつくり、花見客で賑わう。
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阿弥陀三尊種子板石塔婆
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
全国で4番目に古い板石塔婆。表面に梵字で阿弥陀三尊と「光明遍照 十方世界 念佛衆生 摂取不捨」の偈を刻む。緑泥片岩製。高さ160cm、幅65cm、厚さ18cm。もともとは、国指定天然記念物「石戸蒲ザクラ」の根元に置かれていたもの。現在は収蔵庫に保管。
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忍城の鐘
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
文政6年(1823)に伊勢桑名城から忍城に移った松平氏が、宝暦14年(1764)に桑名で鋳造したもの。転封に伴い、忍城に移された。
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中島撫山の墓
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
久喜市指定文化財です。中島撫山は文政12年(1829)4月12日、江戸亀戸に生まれました。14歳の時、亀田綾瀬の門下に入り、没後は、その子鶯谷に就いて漢学や国学を学びました。明治2年(1869)久喜本町に移住し、永住の地として本籍を置きました。明治6年(1873)私塾「幸魂教舎(さきたまきょうしゃ)」を設立し、漢学や国学を教授しました。
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荒川水管橋
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
全長1101メートルで、長さ日本一の赤い水管橋。バックに沈む夕日は絶景です。秋には、近くの「荒川コスモス畑」で1200万本のコスモスをお楽しみいただけます。
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さきたま緑道
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
JR北鴻巣駅前の赤見台近隣公園から、さきたま古墳公園に至る4.5kmの遊歩道と自転車道があり、「さきたま」の地にふさわしい50点の彫刻を鑑賞しながら、のんびりと散策できます。
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伊奈忠次の墓
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
伊奈備前守忠次(1550〜1610)は三河の出身で、徳川家康に仕えて絶大な信頼を得て、関東郡代となって活躍しました。特に測量、土木技術に優れ、利根川や荒川の治水事業に業績をあげています。また、その後を継いで手腕を発揮したのが次男の伊奈半十郎忠治(1592〜1653)で、本格的な「利根川の東遷」、「荒川の西遷」を行った人物とされています。勝願寺には忠次・忠治とその夫人の墓4基があります。
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木造薬師如来坐像
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
貞治6(1367)年の修造と胎内墨書銘があります。高さ84.8cm。檜の寄木造り。平安末期の定朝様式の特徴を見ることができます。
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銅造阿弥陀如来立像
埼玉県 久喜・行田
- 観光施設
高さは47.9cm、鎌倉時代につくられた善光寺式阿弥陀三尊の中尊、両脇の侍像は失われています。その様式美は県内には他に例を見ない、完成度の高い像です。(下村君2278番地永明寺)
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