下関・宇部の観光施設 スポット 20選
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関門トンネル人道
山口県 下関・宇部
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山口県と福岡県を結ぶ全長780mの海底トンネル。トンネル上部は車道となっており、車道の下に造られた関門トンネル人道を歩行者や自転車、原付が通過できる。トンネルの出入り口となる門司区側は地下約60m、下関市側は地下約55mまでエレベーターで降下してから通行するシステム。トンネルの中央付近には福岡県と山口県の県境の標識が。海底の県境は観光客には撮影スポットとしても人気。
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六連島の雲母玄武岩
山口県 下関・宇部
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六連島は下関漁港の西方4km、響灘(ひびきなだ)に浮かぶ小島です。玄武(げんぶ)岩は黒っぽい色をした火山岩。島の中央、小高い所にある玄武岩は濃い灰色で、たくさんの小さな穴が開いていて、その中に、きらきら光るこげ茶色のうすいクロウンモがあります。玄武岩の中にクロウンモが形成されることは珍しいことです。
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彦島西山の化石層
山口県 下関・宇部
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約2500万年前の2枚貝や巻貝,ウニなど貝化石が密集しており大規模なものである。
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台の正片麻岩
山口県 下関・宇部
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4億2千5百万年前の岩石です。
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殿敷のトロニエム岩
山口県 下関・宇部
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古江小路・菅家長屋門
山口県 下関・宇部
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長府毛利藩は天保年間に「達豊浦家中一統家作定書」を発令し、藩士の身分により家屋造作の制限を行いました。 城下町長府の特色は、門や長屋それに続く練塀と石垣、その内側の植裁など、街路に面した構えにあります。形態としては、切り盛りした土地に石垣を築き、その上に粘土を練り混ぜた土塀を築く方法で、中塗りを施しただけのものが多く、漆喰で上塗りしたものは見られません。
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安徳天皇阿弥陀寺御陵
山口県 下関・宇部
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西日本で唯一の御陵。 陵は円墳で玉垣と土塀で二重に囲まれています。
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東行庵
山口県 下関・宇部
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遺言によって奇兵隊の陣屋があった吉田の清水山に葬られた高杉晋作の菩提を弔うために、愛人おうのは梅処尼(ばいしょに)となって庵を結び、生涯、晋作の墓を守って暮らしました。 「東行」は晋作の号で、高杉晋作の墓は国指定史跡。 境内一帯は、早春には梅、初夏は菖蒲、秋は紅葉に彩られます。 晋作ゆかりの遺品などを収蔵、展示した東行記念館もあります。
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白石正一郎旧邸跡
山口県 下関・宇部
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白石正一郎邸は、現在の下関市竹崎町中国電力下関営業所敷地内にあります。高杉晋作や坂本龍馬など藩内外の多数の志士たちを支援し勤王商人として知られる白石正一郎宅で、晋作を初代総督とする奇兵隊が結成されました。現在は「白石正一郎宅跡」「高杉晋作 奇兵隊結成の地」の碑が建っています。 また、屋敷の一部である「浜門」は、長府へ移築・保存されています。
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菊舎尼の句碑
山口県 下関・宇部
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長府金屋町の商店街のはずれに徳応寺があり、この入口左側に、女流俳人田上菊舎の墓と句碑があります。 菊舎は加賀の千代女と並び称される女流俳人です。 句碑は、文政5年(1819)故郷長府に落ち着いた時に建てられたもので、旅中に受け取った父母からの手紙を碑の下に納めたので「文塚」と呼ばれています。前面に「雲となる花の父母なり春の雨」の句を刻み裏には唐人(費晴湖)の詩文を記しています。
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毛利家墓所(長府毛利累代墓)
山口県 下関・宇部
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長府功山寺の仏殿裏手に、初代長府藩主である毛利秀元を始め、9人の藩主達の墓があります。 毛利秀元は元就の孫で、秀吉の朝鮮出兵において武将として高く評価され、関が原の戦い後、毛利氏の削封に際して長府藩を創設、城下町としての基礎を築きました。 ここには、秀元ほか、5代 元矩、9代 匡満、10代 匡芳、11代 元義、12代 元運、14代 元敏、15代 元雄、16代 元匡と、その正室や側室などが葬られています。
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乃木将軍銅像
山口県 下関・宇部
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乃木希典は日清・日露戦争で活躍した軍人で、ロシア将軍ステッセルとの会見は有名。 大正元年9月13日、明治天皇崩御に際し妻とともに殉死し、社会に大きな衝撃を与えました。 長府藩3代藩主毛利綱元が(もうりつなもと)が建立し、毛利家の菩提寺の一つである覚苑寺の境内にあります。
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中山忠光墓
山口県 下関・宇部
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中山忠光は、もともと孝明天皇につかえていた公家でした。 幕末には、尊王攘夷派として活動し、武力によって幕府を倒そうとする天誅組の首領になりましたが、その戦いに敗れて長州へ逃げ、1864年(元治1)に暗殺されました。 墓は、忠光を祀ってある中山神社境内にあります。 慶応元年(1865)に建てられ、高さは1.7m、花崗岩でできています。
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乃木旧邸
山口県 下関・宇部
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軍人として広くその名を知られ、明治天皇大葬の日に殉死した乃木希典(まれすけ)を文武両道の神として祀るため1920年(大正9年)に創建された乃木神社の境内にあります。 乃木家が16年間過ごした旧宅を1914年(大正3年)に復元したもので、またゆかりの遺品を展示する宝物館もあります。
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高杉晋作陶像
山口県 下関・宇部
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高杉晋作は、萩に生まれ、松下村塾に学び、幕末の最強軍団『奇兵隊』を創設しました。 長府功山寺の挙兵を機に長州藩を討幕運動の主役へと導きますが、維新実現を目前に、1867年に没しました。 桜の名所として知られ、関門海峡を見晴らす公園内に、昭和31年に没後90年を記念して陶像が建立されました。
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高杉晋作墓
山口県 下関・宇部
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高杉晋作は松下村塾門下の逸材。 墓は吉田町南方の小丘清水山にあり、墓碑表面には「東行墓」と刻まれています。 この地を選んだのは彼の遺言だといわれています。
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高浜虚子句碑
山口県 下関・宇部
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壇之浦の合戦で入水された安徳天皇を祭神とする赤間神宮の境内に、平家一門の墓 七盛塚があります。 昭和3年に高浜虚子が下関を訪れた際、「七盛の墓包み降る椎の露」という句を詠みました。 彼が松山で発刊した俳誌「ホトトギス」の下関同人らの手により、昭和30年に10月にこの句の句碑が七盛塚の前に建てられました。
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林芙美子文学碑
山口県 下関・宇部
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郷土出身の女流作家林芙美子を顕彰するため、地元出身の実業家河村幸次郎の篤志によって昭和41年に建てられたものです。 林芙美子は、明治37年(1904)12月31日に下関市田中町の五穀神社横にあったブリキ屋の2階で誕生したとされています。 出生地については尾道・門司・鹿児島など諸説がありますが、彼女の自伝的作品である『放浪記』には「私が生まれたのはその下関の町である」と書かれています。 碑の中央には林芙美子自筆の「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき」の一文が刻まれています。
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十二代豊田種長追善供養板碑
山口県 下関・宇部
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一ノ瀬にある長願寺跡の境内には、豊田氏累代の墓地があり、種長の板碑があります。 地上9尺、幅4尺5寸、厚さ8寸で、梵字と種長御霊観応3年(1352)壬辰十月十八日と刻まれています。
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本陣伊藤邸跡
山口県 下関・宇部
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伊藤家は町内の大年寄で、奉行を務めた家柄でした。同家は参勤交代時、大名の宿となる本陣をつとめました。 幕末の当主は、シーボルトや坂本龍馬との親交が篤く、龍馬が京都で暗殺された時も妻のお龍(りょう)はここに滞在していました。現在は「本陣伊藤邸址」の碑があるのみです。
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