大村市の趣味・カルチャー スポット 9選
-
小姓小路武家屋敷通り
長崎県 長崎
- 町並み
小姓小路は、藩主の側近く仕えた小姓が住んでいました。牢屋坂の橋から、原氏宅を経て、踏切を渡った突き当たりまで5町43間2尺9寸(約623m)です。長井兵庫や村田鉄斎など14戸の屋敷があり、現在も古い屋敷が残り、武家屋敷の面影がしのばれます。
-
草場小路武家屋敷通り
長崎県 長崎
- 町並み
地名をとって、草場小路と名付けられました。草場小路には変わった色の石をちりばめた塀、『五色塀』(ごしきべい)を見ることができます。大村地方の特徴的な塀です。色とりどりの海石(いくり)の石積みを漆喰で塗り固めた塀ですが、他藩の人々の目には大変珍しく映ったと見え、来訪した文人達の日記などにも何度も登場します。現在、市内に何ヶ所か残っていますが、草場小路の五色塀が、塀の延長も長く、石の様々な色・形から最も見応えがあります。
-
大村市一番地
長崎県 長崎
- 町並み
-
五教館御成門(黒門)
長崎県 長崎
- 歴史的建造物
大村藩の藩校は、当初集義館と呼び、後に静寿園と改められ、さらに1790年9代藩主純鎮がその規模を大きくし「五教館」と名付けました。五教とは、五つの道の教えで、「君臣義あり、父子親あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信あり」を示したものです。画期的だったのは、この学校に武士だけではなく百姓、町人にも入学を許可したことです。その教えは、幕末の明治維新前後に様々な分野で活躍した優秀な人材を数多く輩出し、大村だけでなく日本の発展へと貢献しました。日本近代医学の祖・長与専斎、衆議院議長の楠本正隆、世界的物理学者の長岡半太郎、女性教育と知的障害者福祉の先駆者・石井筆子らはこの学び舎を巣立った有名な偉人です。
-
旧楠本正隆屋敷
長崎県 長崎
- 歴史的建造物
楠本正隆は、天保9年(1838年)城下の岩船に生まれ、藩主大村純熈(すみひろ)の側近として仕え、幕末の倒幕運動においても、大村藩三十七士の中心人物の一人として活躍しました。また明治時代の日本の建国の志としても活躍しています。この屋敷は、正隆によって明治3年に建てられたもので、近世武家屋敷の形態を残し、ほぼ完全な形で残ります。このような屋敷は県内でも少なく、貴重な文化財ともいえます。現在では、屋敷と庭園が修復され、一般に公開されています。
-
大村純忠終焉の居館跡(大村純忠史跡公園)
長崎県 長崎
- 観光名所
大村純忠は、日本最初のキリシタン大名です。洗礼名はバルトロメオ。長崎開港、南蛮貿易、キリスト教保護の外交政策を展開し、天正10年にはローマ法王へ少年使節を派遣しました。ここは純忠が晩年隠居して過ごした場所です。
-
天正遣欧少年使節顕彰之像
長崎県 長崎
- 観光名所
大村純忠、大友宗麟そして有馬晴信らキリシタン大名は、ヨーロッパを見聞させ、日本を紹介するため、1582年、10代の少年4人をローマへ派遣しました。少年たちは危険な航海を乗り越え、ローマ教皇に謁見する役目を果たし、ヨーロッパ諸国に日本が優れた文明国であることを認識させました。8年後、無事帰国し、活字印刷機などを持ち帰りました。しかしながら、すでに日本は禁教を始めており、少年たちは活躍の場を失い、様々な苦難を強いられました。彼らが長崎港を出港して400年目を記念し、四少年の偉業をたたえ顕彰像がたてられました。左から伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンです。
-
御厨ガラス工房
長崎県 長崎
- 観光名所
-
大村湾サーキット
長崎県 長崎
- 観光名所
大村市の趣味・カルチャー探し
大村市で体験できる趣味・カルチャーの店舗一覧です。
アソビュー!は、大村市にて趣味・カルチャーが体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの大村市で趣味・カルチャーを体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。