横浜の建築を知り尽くした男が案内する1日観光コース!歴史的建造物を巡って横浜を知ろう

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デートやショッピングなどで大人気のスポット、横浜。幕末にいち早く開港した都市でもあり、今でも西洋風の建造物が数多く残り、美しい景観をつくりだしています。ただ、改めて考えるとどの建物がどんなものなのか?というのはよく知りません。そこで今回は横浜の建築を知り尽くした達人に、歴史的建造物を中心に、面白い建築を巡るというテーマで横浜の街を案内してもらいました。馬車道駅を出発して元町・中華街駅をゴールとする、1日しっかり歩く観光コースです!

案内してくれたのはこちらの方!

横浜市役所の都市デザイン室に勤務する、桂有生さんです。都市デザイン室とは、総合的に都市のことを考え、都市を「デザインする」という観点から考える部署です。ビルの建て替えの際に街並みを保存するための相談に乗ったり、古い建物を残すために動いたりとさまざまな取組みを行っています。

桂さんは大学卒業後、2つの建築事務所に勤務した後に市役所に入所したという、公務員としては「変わった」経歴を持つ方。建築に取り組むうちに、街全体を考える「都市デザイン」を仕事にしたいと考えて、横浜市役所への転職を決めたそうです。同僚の方には「役人っぽくない」とも言われているとか。横浜市役所の中では、誰よりも横浜の歴史的建造物に詳しい、と誰もが認める方です。

スタート:みなとみらい線馬車道駅

まずはみなとみらい線の馬車道駅で待ち合わせて、散策スタートです。

落ち合って早々に説明してくれたのが、この馬車道駅の建築について。レンガづくりの壁、ドーム型の天井が印象的です。

みなとみらい線は2004年に開通しましたが、駅を作る際に考えたことは「駅の上の街と続いているようにする」ことだそうです。そのため、駅によって担当した建築家も異なり、全く違うタイプの駅になっています。

馬車道駅の真上には、かつて横浜銀行の旧本店が建っていました。駅のコンコースの壁には、当時の姿をしのばせる銀行の金庫の扉などが飾ってあります。本物です!

銀行内にあったという巨大なレリーフもあります。大きすぎて1枚の写真に入りきらないほど。

いつもだったら見逃してしまいそうなところにも、たくさんのお宝があります。

YCC(旧横浜銀行本店別館)

馬車道駅から地上に出たところにあるのが、YCC(ヨコハマ創造都市センター)です。ここは旧横浜銀行本店の建物を活かしつつ、現在ではギャラリー、カフェ、コワーキングスペースなどに利用されています。ちなみに保存されている歴史的建造物には、写真のようなレリーフと説明があります。

この建物は区画整理などで道路の位置が変更になったため、実際にあった場所から100メートルほど移築した後に内部を復元したそうです。もともとの建物は昭和4(1929)年に建てられたものです。

桂さんいわく「このカフェは歴史的な雰囲気の中で落ち着ける穴場」。あまり存在が知られていないので、訪れる人も少ないんだそうです。のんびりしたい人には最適です。

北仲通北地区(帝蚕倉庫・旧生糸検査場)

YCCから本町通りをはさんで北側が「北仲通北地区」です。

ここにはかつて「帝蚕倉庫」と呼ばれる倉庫がありました。蚕、すなわち生糸の倉庫です。明治維新後、日本の質の良い生糸は輸出の主力商品としてアメリカやイギリスなど各国に送られました。全国で作られた生糸がここ横浜に集められ、検査された後に船に積み込まれていました。当時の建物そのままの姿を留めているのは「C棟」「旧横浜生糸検査所付属倉庫事務所」(いずれも大正15・1926年築)の2棟のみです。他の建物は外観を保存して中をリノベーションしたりなどして使われています。

周囲の建物の建て替えが行われた際も、古い建物を復元するなど、デザインを踏襲して建設されました。こちらは横浜第二合同庁舎。たしかに同じデザインです。上部のレリーフなど、昔の建物の建材を利用している部分もあります。

古い建物を「文化財」として指定すると、所有している人にはその保存義務が生じてしまいます。古い建物を維持するのは非常に費用もかかり、使い勝手も悪くなってしまいます。横浜市では、「0か1か」ではなく、「0.7でも0.5でもいいから残したい」という考えのもと、外観は歴史を感じさせるように残し、中は自由に使ってもらう、という柔軟なやり方で歴史を残そうとしているそうです。

昔の建物を活かした建築の脇には、こういった説明板もあるのでチェックです。

新港地区(赤レンガ倉庫)

北仲通地区から国際橋を渡って新港地区へ。赤レンガ倉庫やワールドポーターズなどがある地区のことです。

橋の上からはみなとみらい中央地区のビル群が見えます。実はここにも明確な都市計画があると教えてもらいました。みなとみらい中央地区は白く高い建物、新港地区は茶色を基調とした低い建物を建てるようにとまちづくりを行ったそうです。

かつて新港地区までは貨物線が通っていました。その線路があった場所にはそのままレールが残っていたり、名残を感じさせるような印がついていたりします。

赤レンガ倉庫にやってきました。先ほどの帝蚕倉庫が輸出用の品の倉庫だったのに対して、赤レンガ倉庫は海外からの輸入品を入れておく倉庫だったのだそうです。

赤レンガ倉庫には1号館(大正2・1913年築)、2号館(明治44・1911年築)があるのですが、1号館は2号館の半分ほどの大きさです。関東大震災の時に1号館の建物が半分崩れ落ちてしまったため、今の状態になっているのだそうです。上の写真は2号館です。

赤レンガ倉庫の裏に回ると、より当時の姿をとどめているのがわかります。そういえば裏って来たことがないかも。

よく見ると床が上がっていますが、これは貨物列車がそのまま横付けして荷揚げ・荷降ろししていた名残です。駅のプラットフォームのようなイメージ、というとわかりやすいでしょうか。

赤レンガ倉庫2号館の裏から少し海側に歩くと、本物の駅の遺構があります。

ここは貨物線の終点だったところです。突然現れた駅になんだか不思議な気分になります。

象の鼻パーク

貨物線が通っていた橋、新港橋を渡って象の鼻パークへと向かいます。

開港後、船からの荷降ろしをする際に波の影響を受けないように防波堤を作り、この防波堤が象の鼻に似ていることからこの一帯が「象の鼻」と呼ばれるようになったそうです。これが象の鼻です。

横浜開港150周年を記念して、2009年に整備されたのがこの「象の鼻パーク」。「象の鼻テラス」という、休憩所兼イベントスペースもあります。

テラスの中にはカフェ(売店)もあります。「象の鼻ソフトクリーム」や「象の鼻水(ミネラルウォーターです!)」が人気です。

日本大通り

日本大通りは、日本ではじめての西洋式街路です。もともとは日本人街と外国人居留地をわけていた通りでした。日本人街の建物はほとんどが木造だったので、火事の際の延焼を防ぐ「防火帯」の意味合いがあり、道の幅は非常に広くなっています。

神奈川県庁本庁舎

象の鼻パークから日本大通りにやってきました。通りの入口には神奈川県庁本庁舎があります。

「じゃあ入ってみましょうか」とずんずん入っていく桂さん。えっ?アポイントなしでいいの?と思いましたが、受付もなく、するすると中に入れます。「県民の財産なので、開放されている」そうです。昭和3(1928)年に建てられた庁舎は、レトロで重厚な雰囲気を醸し出しています。ドラマ「華麗なる一族」のロケに使われたこともあると張り紙がありました。

石造りの階段を5階まで登ると、屋上に到着。

海まで遮るものがないので、美しい景色を楽しめます。夏はビアガーデンが開催され、多くの人で賑わうそうです。たしかにここは気持ちよさそう!

屋上からは横浜税関本関庁舎や、横浜市開港記念会館が見えます。横浜税関本関庁舎の塔は「クイーン」、横浜市開港記念会館の塔は「ジャック」、そしてここ県庁の塔が「キング」という愛称になっていて、合わせて「横浜三塔」と呼ばれています。

横浜市開港記念会館は、東京駅を思わせるデザインです。

横浜情報文化センター(旧商工奨励館)

日本大通りを少し南側に歩くと、大きな建築が目に入ってきました。右側の白い建物は横浜情報文化センター(旧商工奨励館・昭和4(1929)年築)、茶色い建物は横浜都市発展記念館(旧横浜市外電話局・昭和4(1929)年築)です。

横浜情報文化センターの中に入ります。このビルは外側の部分のみが保存されていて、中には新しいビルが入っているという入れ子の構造になっています。古いビルと新しいビルの境目がはっきりわかりますが、これは歴史的建造物とそうでないものをはっきりと区別するため、しっかりとコントラストをつけるように横浜市がお願いしているんだそうです。右が古いビル、左が新しいビルです。

無垢の石造りの階段は、今の建築ではほぼ不可能な贅沢な造り。「2階のカフェの雰囲気も素敵でおすすめですよ」と桂さん。散策に疲れたら立ち寄りたい場所です。

床の模様もかわいい!

KN日本大通りビル(旧三井物産横浜ビル)

日本で初めて鉄筋コンクリートで作られたオフィスビルです。手前の1号ビルは明治44(1911)年築、2号ビルは昭和2(1927)年築です。こちらはビル内部がまるっと残っていて、普通にオフィスとして使われています。

オフィス部分はさすがに入ることはできませんが、入り口部分などには自由に入れます。現役で動いているレトロなエレベーターもあります。

横浜海岸教会

日本大通りから1本東側の道路沿いにあるのが、横浜海岸教会。昭和8(1933)年築ですが、この教会内にある鐘はもっと古く、なんと明治8(1875)年に鋳造されたものなのだそうです。戦争中に金属を供出するように指導があった際も、牧師さんが鐘の供出を拒否して捕まってもなお、必死に守ったというエピソードもあります。

大さん橋

日本大通りを抜けて海の方に歩き、大さん橋に向かいます。

現在の大さん橋は2002年に新しく作られたものなので、歴史的建造物ではありませんが、建築として面白いということで立ち寄りました。この建築は、世界の建築家から設計案を募る国際コンペによる方式でデザインが決まったのだそうです。国際コンペというと、最近では最初の新国立競技場のデザインがその方式だったそうですが、非常に大変なことが多いため結局ごちゃごちゃしてしまいましたね。

内部には大さん橋の歴史やデザイン決定の経緯などのパネルもひっそりとあります。

「今こんなに攻めているデザインは作れないかもしれませんね」と桂さん。当時は複雑かつ斬新なデザインにチャレンジする気風があったけど、今は難しいとか…?

旧横浜居留地48番館

ここまで歴史的建造物をいろいろ見てきましたが、「ところで横浜に現存する建造物で一番古いのはどれなんでしょう?」という編集部員の疑問に答えて、桂さんが連れて来てくれたのがこちら。旧横浜居留地48番館です。

場所は神奈川芸術劇場(KAAT)・NHK横浜放送局のビルの敷地の一角。2階建てだったそうなのですが2階は崩れ、廃墟、もとい遺構になっています。窓部分にはガラスが嵌め込まれ、内部を見られるようになっています。

これは明治16(1833)年に横浜で最初に建てられた洋風建築とのこと。2階部分が関東大震災により倒壊した後、1階部分を修復して使っていたようです。

実は横浜の街は関東大震災の被害を大きく受け、街の9割以上の建物が地震の揺れ、または火事により倒壊・延焼してしまいました。横浜開港のイメージが強いですが、開港当時の建物はほとんど残っておらず、貴重な存在になっています。こうして巡っている建物はほとんどが震災復興期のもので、大正末期・昭和初期の建物が多いのはそのせいです。

旧英国7番館

山下公園とビル街をはさんだ通りは「海岸通り」と呼ばれます。震災前は文字通り海岸に面していた通りでした。山下公園は関東大震災の瓦礫を海に埋め立てて、整備して作ったのだそうです。

関東大震災の前年、大正11(1922)年に建設された旧英国7番館は、海に面して建っていました。奥に長い形の建物でしたが、現在では入り口から3分の1ほどが保存されています。

ホテルニューグランド本館

昭和2(1927)年築のホテルニューグランド本館。「ニュー」グランドとついているのは、かつては「グランドホテル」があったからです。もともとあったホテルは関東大震災により倒壊し、その後新しいホテルが建てられました。

壮麗なインテリアなど、歴史的価値が非常に高い建物です。中は利用者の邪魔にならなければ見学が可能です。

まるでタイムスリップしてしまったかのような錯覚も覚える空間です。1階部分には昔の写真や歴史の展示などもあり、ゆっくり楽しめます。

山手地区へ(フランス山公園、元町・中華街駅、アメリカ山公園)

山下公園エリアから元町方面へと向かいます。「横浜人形の家」の脇に階段があり、元町へと通じる歩道橋「フランス橋」を渡ることができます。ここを渡れば信号待ちをしなくても済むのでおすすめです。

フランス橋を渡りきったところにある謎の鉄骨。これは実際にパリの市場で使われていた骨組みだったそうです。都市デザイン室に勤めていた方が、パリ市の人と交流した際にもらって帰ってきたというエピソードがあるそうです。明治時代フランス軍が駐留していたことにちなんで「フランス山」と呼ばれているこの地名にちなんでここに設置されています。

元町・中華街駅まで戻り、6番出口の「アメリカ山公園口」からエスカレーターを登ります。エスカレーターでアメリカ山公園の頂上まで行けます。

実はこのビルとエスカレーターも公園の一部なんだそうです。「立体都市公園制度」に基づいてつくられた全国初の公園とのことです。ちなみにここには「アメリカ山」という名前がついていますが、その由来はアメリカ公使館の用地として予定されていたから…と、ちょっとこじつけのようなところも。隣のフランス山、イタリア領事館がおかれていたことに由来するイタリア山と合わせてなんとか国名をつけたかったようです。

横浜地方気象台

アメリカ山の頂上からすぐのところにあるのが横浜地方気象台。昭和2(1927)年築のアールデコ様式の建物です。

建物内は見学自由ですが、アピールが少なすぎて入れるのかわからなすぎます。でも入って大丈夫です。

古い時計、美しい階段など、細かいところまでじっくりと見ていたくなります。この建物は現役で、2階には執務室もあります。

既存の古い建物の隣には、新しい建物があります。これは安藤忠雄による建築。窓の形など、デザインを合わせて建てられています。右左と2つの建物を見比べると面白いですよ。

港の見える丘公園

横浜地方気象台から少し歩くと、港の見える丘公園に到着。文字通り横浜の港を一望できるすぽっとです。平日でもカップルが多く、デートスポットとしても人気を集めています。

この景色を見て気づくのが、丘の下の建物がみんな同じ高さだということ。

なんと、ちゃんと「港が見える」ように建物の高さを制限しているとのこと。こういった規制を決めたり、交渉を行ったりするのも都市デザインの仕事の一つと伺いました。

横浜山手西洋館

横浜市では現在、歴史や文化財の保全を目的として複数の西洋館を所有しています。7つの西洋館は内部が開放され、開館時間内なら無料で見学できるようになっています。いくつかピックアップして紹介します。

山手111番館

港の見える丘公園からすぐのところにある洋館。スパニッシュスタイルの赤瓦と白い壁が美しい住宅です。

内部には吹き抜けがあり、シャンデリアに回廊もあるという豪華な造りです。

山手234番館

昭和2(1927)年ごろに建てられた外国人向けの共同住宅です。4つの玄関が隣り合っている様子は他ではあまり見られない珍しいものです。

エリスマン邸

日本の建築界に大きな影響を与え、「近代建築の父」とも呼ばれるA・レーモンドの設計です。集合住宅を建てるために取り壊しが決まっていた建物でしたが、歴史的価値が高いということがわかってこの土地に移築されました。

外側を塗り直したようで非常にきれいになっています。

ベーリック・ホール

昭和5(1930)年建設、戦前の西洋館としては最大規模を誇るベーリック・ホール。イギリス人貿易商ベリック氏の邸宅として使われていました。

現在では結婚式に使われたりすることもあるそうです。訪れた時はボランティアの方がピアノを弾いていて、西洋館の雰囲気をよりエレガントなものにしていました。

ジェラール水屋敷跡

エリスマン邸の脇からは丘を降りられるようになっています。一帯は元町公園という公園になっていて、プール(夏季限定)もあります。

丘を下ったところにあるのが、ジェラール水屋敷跡。フランス人実業家・ジェラールがここに貯水槽をつくり、横浜から航海に出る船に水を販売していたそうです。この地域の湧き水は非常に質がよく、横浜から出港して赤道に到達するぐらいまで水が腐らないほどだったとか。元町公園のプールにも、以前は湧き水を利用していたようです。

今は屋敷はなく、貯水槽だったところには鯉が泳いでいます。

ゴール:元町・中華街駅

元町の珍しい電柱を見ながら歩いて、元町・中華街駅へ。駅に向かう途中では日本にほとんどない「曲がった電柱」も見られました。

元町・中華街駅は「本」がテーマ。昔の写真などがふんだんに使われています。建築家は世界的に活躍する伊東豊雄氏です。

ここからみなとみらい線に乗って帰路につきます。たっぷり1日の散策は終了。朝9時半に集合して、解散したのは15時半!歩行距離12キロとかなりしっかり歩きました。

価値観を「守る」のではなく「つくる」

こうして歩いてみると歴史的な建築、面白い建築がたくさんある横浜ですが、やはり維持や整備などが大変で失われてしまったものも多数あるそうです。今でこそ歴史ある建築は価値のあるもの、という認識が広がってきましたが、人によってはただの「古くて使い勝手の悪いもの」だったりすることもあります。

「歴史ある横浜の街と、それを感じさせる建造物を大事にしたい」という価値観を多くの人に持ってもらいたい。それを創りだすのも仕事のひとつです、と桂さんは話してくれました。

歩けば歩くほど、見れば見るほど奥が深い横浜。すべての建造物を一度に見るのは難しいかもしれませんが、次に訪れた時は少しでもいいので歴史や建築に目を向けてみませんか。きっと新しい面白さを発見できますよ。

取材・撮影・文:藤井みさ

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