泉岳寺(東京)は忠臣蔵の聖地。赤穂浪士に想いをはせよう!

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東京都港区高輪二丁目にある泉岳寺は、曹洞宗の寺院です。青松寺、総泉寺と並んで曹洞宗江戸三ヶ寺の一つに数えられる由緒ある寺で、赤穂浪士と浅野長矩が葬られていることでも知られています。今回は泉岳寺の魅力や見どころ、おすすめのお土産をチェックしていきましょう。

泉岳寺とは?

福井県の永平寺と、横浜鶴見の総持寺を大本山とする曹洞宗の寺が、東京都港区高輪二丁目にある泉岳寺です。釈迦牟尼仏を本尊として仰ぎ、南無釈迦牟尼仏を唱えます。

泉岳寺は1612年に徳川家康によって外桜田に創建されたのが始まりですが、1641年に寛永の大火で焼失してしまいました。その後、徳川家光の命を受けて毛利や浅野、朽木、丹羽、水谷の5大名の手で現在の高輪に再建されています。

1700年頃の赤穂事件で名高い浅野長矩と赤穂浪士が葬られており、現在も多くの参拝客が訪れています。泉岳寺に訪れた際は、境内にある「赤穂浪士記念館」へ足を運んでみてください。赤穂浪士記念館では義士ゆかりの品を鑑賞できます。

また、毎年4月初旬と12月14日には「赤穂義士祭」が催されます。主君への忠義を尽くした赤穂義士を弔うためのお祭りです。

赤穂浪士の生き様にふれる。泉岳寺の見どころ

浅野長矩および赤穂義士墓

1701年3月14日、江戸城中で旗本・吉良義央に切りつけ、即日切腹処分となった播磨赤穂藩の藩主・浅野長矩と、翌1702年12月14日に江戸本所の吉良邸に押し入って主君の仇を討った47人の赤穂義士の墓です。こちらは文化財二指定されています。一般に「四十七士」と言われる赤穂浪士ですが、泉岳寺には討ち入り前に自害した浅野氏の家臣・萱野重実の供養塔を含めて48基の墓があります。 義士たちの墓は討ち入り後の預け先によってそれぞれ分けられ、並べられているのが特徴です。

本堂

第二次世界大戦で空襲にあって消失した旧本堂に代わり、現在の本堂は昭和28年12月14日に落成した鎌倉様式の建築です。

山門・中門

泉岳寺にはもともと総門・中門・山門の3つの門「三門」がありましたが、現存しているのは山門と中門のふたつのみです。しかし、どちらも初代のものは消失しています。山門は1832年に34世大道貞鈞(だいどうていきん)和尚の代に、中門は1836年に35世大龐梅庭(だいほうばいてい)和尚の代に再建されたものです。

梵鐘・鐘楼堂

朝の坐禅時と夕方の閉門時に撞かれている梵鐘は、1913年41世普天霊明(ふてんれいみょう)和尚代によって造られたものです。江戸から明治まで使われていた梵鐘は、現在ウィーンの国立民族博物館に所蔵されています。

大石内蔵助吉雄銅像

忠臣蔵の主役ともいえる赤穂藩筆頭家老・大石内蔵助吉雄が元禄袴を身につけ、連判状を手に江戸のある東の空をじっと睨んでいる姿を表した銅像です。浪曲の宗家・桃中軒雲右衛門の発願で鋳造されたものが泉岳寺に寄進され、1921年12月14日に除幕しました。

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