瀬田の唐橋
滋賀県
大津
- 歴史的建造物
基本情報
名称 |
瀬田の唐橋 セタノカラハシ |
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住所 |
〒520-2134 滋賀県大津市瀬田一丁目・唐橋町2-3 地図を見る |
アクセス方法 | ・京阪唐橋前駅から徒歩で2分 |
連絡先 | 問合せ先 電話番号:077-534-0706 |
近江八景「瀬田の夕照」(せたのせきしょう)の主題である「瀬田唐橋」は、別名「瀬田橋」や「長橋」とも呼ばれ「唐橋を制するものは天下を制する」と言われ、古来より京都ののど元を握る交通・軍事の要衝として重視され、瀬田橋が戦の歴史舞台になって千八百年になりますが、特に有名なものは、古くは、大津京が幻の都となった大友皇子と大海人皇子(おおあまのおうじ)の『壬申(じんしん)の乱』をはじめ、『寿永の乱』、『承久の乱』『建武の乱』など幾多の戦乱の舞台ともなりました。織田信長の瀬田橋の架け替えは、比叡山焼き討ちの4年後、天正三年(1575)に諸国の道路修理を命じ関税を免除するとともに、瀬田城主、山岡景隆と木村次郎左ヱ右衛門を奉行に任命し、近江の朽木などから木材を調達し、長さ百八十間(約350m)、幅四間(約7m)の一本橋をわずか3ヶ月という突貫工事で架け替えさせたといわれています。
詳細情報
建築年代1 | 昭和(1979年) |
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