平維盛の墓
奈良県
吉野・奥吉野
- 観光名所
基本情報
名称 |
平維盛の墓 タイラノコレモリノハカ |
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住所 |
〒637-1224 奈良県吉野郡十津川村五百瀬 地図を見る |
営業時間 | 公開 通年 |
アクセス方法 | ・大和八木駅からバスで180分 ・上野地からバスで36分 ・五百瀬から徒歩で5分 ・五条駅からバスで120分 ・上野地からバスで36分 ・五百瀬から徒歩で5分 ・新宮駅からバスで180分 ・川津からバスで20分 ・五百瀬から徒歩で5分 |
料金 | ・大人 0円 ※無料 |
連絡先 | 問合せ先 電話番号:0746-62-0003 |
ホームページ | http://www.vill.totsukawa.lg.jp |
大字五百瀬、政所の背後の山林中に一つの祠(ほこら)があり、平維盛の墓と伝えている。平維盛は寿永3年(1184)那智の海に入水(じゅすい)、27才で果てたとなっているが、全国諸々方々に維盛亡命説が伝わっている。五百瀬の維盛亡命説の一つの根拠は、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)前五百瀬にあった南望山宝蔵寺の過去帳に維盛の戒名(かいみょう)「千手院殿前三位 中将義山貞公大居士」と記されてあることである。命日は寿永三甲辰3月8日となっている。又、大和名所図会には「平維盛墓十津川五百瀬村にあり。古老曰く寿永年中、乱を避けてここに来たり、姓を変じ老死すとなん」とある。太平記の「大塔宮熊野落ち」の中で戸野兵衛(南北朝時代十津川郷の豪族)は「されば平家の嫡孫維盛と申しける人も、我らの先祖をたのんで此処にかくれ、遂に源氏の世に恙なく候ひけるとこそ承り候へ」といっている。 閉じる
詳細情報
時代 | 鎌倉時代 |
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