菊池竹庵の墓

鹿児島県 種子島
  • 史跡

基本情報

名称

菊池竹庵の墓


キクチチクアンノハカ

住所

〒891-3702 鹿児島県熊毛郡南種子町平山1608平山豊受神社内


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アクセス方法 ・南種子町役場から14分 町立平山小学校近く

南種子町東部の平山豊受神社内の奥、忠霊碑や西南戦争の招魂碑などとともに菊池竹庵の墓が建てられています。竹庵は文政12(1829)年に平山の瑞堯(ずいぎょう。現在は水牛)に生まれました。5歳の時に西之表の慈遠寺(現在の八坂神社)の小僧となり、その才能が認められ、10歳から鹿児島の正建寺(種子島家菩提寺)で修行しました。19歳の時、上洛し伊賀の法華寺に身を置きながら尊王攘夷を志し奔走しました。竹庵は尊王派の志士と交流があったことから一時、新撰組に捕縛されました。釈放後は、本能寺の末寺・東漸寺の役僧となっています。戊辰戦争で新政府軍が東征した際、竹庵は自ら進んでその道案内と敵情を探る役を申し出、上総国(千葉県)の五井で、敵陣営に忍び込みましたが、見つかり殺害されてしまいました。竹庵の遺体は、上総の八幡宿駅近くにある円頓寺に仮埋葬されたのち明治3年3月22日、東京の泉谷山大圓寺(杉並・永福町)に改葬されました。大圓寺境内にある「戊辰戦争薩軍死者の墓」や鹿児島市の照国神社内「戊辰之役戦士顕彰碑」には竹庵の名も刻まれています。

詳細情報

文化財 町選定文化財。