龍郷町(大島郡)の文化史跡・遺跡 スポット 4選
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西郷南洲流謫跡
鹿児島県 奄美大島諸島
- 史跡
西郷隆盛が安政6(1859)年から文久元(1861)年まで奄美大島に身を潜めた際に過ごした屋敷跡。この間に西郷隆盛は愛加那を妻に迎え、菊次郎と菊草の二児をもうけました。建物の前面には勝安芳(海舟)が建てた石碑があり、建物内には西郷隆盛の遺品などが展示されています。
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ウフタ遺跡
鹿児島県 奄美大島諸島
- 史跡
ウフタ遺跡は龍郷町赤尾木の砂丘上に位置し、縄文時代から弥生時代にかけての貝塚遺跡です。平成7年の調査では、縄文時代晩期と考えられる「石積み石囲い竪穴住居」が発見されました。この竪穴住居は良好な状態で見つかったため、奄美の縄文時代を語る上で貴重な資料となっています。 また、出土品には土器や貝製品・骨製品のほかに、佐賀県腰岳産の黒曜石もみつかっています。
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手広遺跡
鹿児島県 奄美大島諸島
- 史跡
手広遺跡は手広海岸に隣接する砂丘上に位置しました。遺跡発見当時から砂取りによる遺跡の破壊が危惧され、昭和53年(1978)年から二度にわたって発掘調査が行われました。調査の結果、7つの文化層が確認され、縄文時代後期から古代並行期までの遺物や遺構が出土しました。 現在、遺跡は完全に消失し、手広ドームや宿泊施設が建てられています。
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ウフタ遺跡復元住居
鹿児島県 奄美大島諸島
- 史跡
ウフタIII遺跡は、平成7年に龍郷町赤尾木の農道(赤尾木〜手広間)を建設する際に発掘調査されました。この調査で発見されたのが「石積み石囲い竪穴住居」です。サンゴ石などを積み上げて竪穴住居を造るのは、奄美や沖縄諸島の特徴ですが、この竪穴住居は部屋を区切って、母屋や倉庫・出入り口を作っており、多重の構造を持つという点で注目されます。 この復元住居は発掘調査報告書の図面や写真をもとに石積みや石囲いを復元し、現存する高倉や昭和30年代以前の奄美の住居の写真を参考にして屋根をかぶせました。 復元作業はPTA活動の一環として保護者や地域住民によって行われました。
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