軽井沢・佐久・小諸の文化史跡・遺跡 スポット 20選
-
望月城跡
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
全長1500mもある大規模な城跡で、北に主郭、南に副郭が位置し、曲輪や空堀など遺構が明瞭に残されています。 望月城は滋野一族望月氏が城主をつとめ、保元の乱(1156年)で活躍し、鎌倉時代には幕府で重要な位置にいました。 戦国時代に武田氏の支配下にはいり、天正10年(1852年)に徳川家康の家臣、依田信蕃によって落城しています。
-
雨境峠祭祀遺跡群
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
雨境峠は、蓼科山北麓にある標高1580mの峠である。大和政権が東国支配のため官道の東山道を開いた。 東山道以前の道で古代東山道とも言われるこの道は、東西を結ぶ交通路として歴史的にも重要な道であった。 この峠には、5〜6世紀の祭祀遺跡、鳴石・鉤引石・勾玉原などがあり、付近からは滑石模造品類(勾玉など)が発見された。 模造品は古東山道を通行する旅人の安全を祈り幣を捧げたものであろうと考えられている。
-
芦田城跡
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
戦国時代の山城。別名『木の宮城』とも言われ、標高806mの半独立の小山にある。 信州の山城の一つとして土塁など当時の遺構がよく残っている。 現在では車道が設けられ、多くの見学者が訪れている。 展望台からの眺めは見事である。
-
小田井宿本陣
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
安川家は江戸時代を通じ小田井宿の本陣を務めました。勅使や大名などが宿泊し、上段の間と呼ばれる部屋が使用されました。内部の見学は個人宅のためできませんが、外からは見学可能です。
-
問屋安川家
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
物資の輸送業務を行っていました。切妻造りで江戸後期(享和〜文化頃)の建物とみられます。建物内部は、個人宅のため、見学はできませんが外からは見学可能です。
-
追分の一里塚
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
旅人に道程を示す道しるべとなり、憩いの場所として小高い塚を築き、そこにエノキを植えて、一里塚をつくった。
-
長倉の牧
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
佐久三牧(望月・塩野・長倉)の一つで平安朝初期に設定された軽井沢高原一帯を占める広大な官牧です。
-
茂沢の南石堂遺跡
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
この遺跡は縄文時代中期から後期のもので、わが国最南端の環状墓地群(ストーンサークル)が発見された。
-
追分宿の分去れ
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
分去れの句碑があり、その昔旅人達にとって中山道と北国街道の分岐点の道標であった。
-
みくにふみの碑
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
この歌は、碓氷の社家に伝えられていたもので、その消滅を心配して昭和30年に熊野皇大神社が建てたものである。
-
野馬除跡
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
放し飼いの駒が逃げ出すのを防ぐため、牧場の周囲にめぐらした囲いの跡。土堤跡だけが残る。
-
外山城跡
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
戦国時代を通じて、有事の際の情報連絡要地であったと考えられる。烽火台があったといわれている。
-
八幡宿本陣跡
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
当時、門構は騎乗のまま通ることができ、内庭では相撲を行ったこともあるそうです。 現在は門のみが往時の面影を伝えています。 付近の八幡神社の境内には、国の重要文化財「高良社」があり、朝鮮から来た渡来人に関わる社といわれています。
-
旧小諸本陣
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
江戸時代、小諸宿の本陣と問屋を兼ねていた上田家の住宅。昭和48年6月2日、国重要文化財に指定されている。現在、内部の公開はしていないため、見学は外観のみの。
-
龍岡城五稜郭
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
五稜郭建築の城跡は、日本国内に函館と佐久市にしかありません。 慶応3年(1867年)築城で、その形から「桔梗城」とも呼ばれています。 大手門前には「佐久市歴史の里五稜郭であいの館」(入場無料)があり、資料の展示を行っています。また、予約すれば当時のまま残る御台所櫓の見学も可能です。
-
岩尾城跡
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
南側を千曲川の断崖に、北側を湯川の断崖に囲まれた大井一族の城跡です。現在は神社になっています。 文明年間(1469〜87年)、大井氏により築城されました。天文12年(1543年)には武田氏によって落城し、真田幸隆に守らせたが、後には武田氏に服従した大井氏が城主に戻りました。 武田氏滅亡後、徳川家康の家臣であった依田信蕃の攻撃を受けます。佐久の諸城を落した信蕃でしたが、この岩尾城で激しい反撃にあい、弟信幸と共に戦死しています。
-
藤村旧宅
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
島崎藤村が小諸時代(明治32年〜6年間)を過ごした家が、貞祥寺境内に保存されています。大正9年、前山の本間氏が自敷地内に移築し、暫く使用したが、島崎藤村生誕100年の昭和47年に佐久市へと寄贈され、昭和49年に現在の位置へと移されました。 開館時間内は室内の見学が可能です。 島崎藤村はこの家で「破戒」の執筆を開始しました。 北原北胤監督作品「一遍上人」(主演:ウド鈴木)のロケ地でもあります。
-
皎月輪
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
旧中山道沿いに残る「皎月輪」の伝説の地です。毎年9月中秋の名月にお祭りが開かれ、知恵の団子が配られます。 昔、皎月という女官が平尾に流されてきました。白馬を愛した皎月はある時、小田井の原へ馬を引き出して乗り回していました。ところがこの白馬は天の竜馬で、空を駆け回った後、平尾山の頂上に立ち止まり、「われはただひとではない。白山大権現であるそ。」と言って、光を放ち岩の中へ入ってしまいました。その後皎月が輪乗りした場所からは植物が生えてこなかったと言われています。
-
平賀城跡
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
築城時期は定かではありませんが、平安末期に甲斐武田源氏の祖となった源義清の弟盛義が居を構え、平賀氏を称し、その子義信が築いたと伝えられています。 平賀氏は源頼朝に重用され、一ノ谷合戦等で軍功を挙げました。 文安3年(1446年)、小笠原氏・大井氏などと争い本流は滅亡し、後に武田氏の配下の属城となりました。 規模の大きい城で、「居城」の色合いが濃く見てとれます。石積み遺構が充実しており、緩やかな山腹を補うように回されている腰曲輪が印象的です。標高840mの山頂から佐久平を一望できます。
-
伴野城跡
長野県 軽井沢・佐久・小諸
- 史跡
伴野氏の居館跡。周囲にめぐらせた堀や土塁の一部が今も残っています。 鎌倉時代の初期、甲斐源氏の賀美遠光と園子小笠原長清は信濃守を任ぜられ、伴野・大井両荘園を支配しました。長清は6男時長に伴野荘を与え、その時長が館を構えたのが始まりとみられています。 現在は史跡公園として整備され、敷地内の大伴神社などが江戸時代の面影を伝えています。
軽井沢・佐久・小諸の文化史跡・遺跡探し
軽井沢・佐久・小諸で体験できる文化史跡・遺跡の店舗一覧です。
アソビュー!は、軽井沢・佐久・小諸にて文化史跡・遺跡が体験できる場所を取り寄せ、価格、人気順、エリア、クーポン情報で検索・比較し、あなたにピッタリの軽井沢・佐久・小諸で文化史跡・遺跡を体験できる企業をご紹介する、国内最大級のレジャー検索サイトです。記憶に残る経験をアソビュー!で体験し、新しい思い出を作りましょう!
アクティビティの予約、レジャーチケットの購入なら日本最大の遊びのマーケットプレイス「アソビュー!」にお任せ。パラグライダーやラフティングなどのアウトドア、陶芸体験などの文化体験、遊園地・水族館などのレジャー施設、日帰り温泉などを約15,000プランを比較・購入することができます。