岩国・柳井・周南の文化史跡・遺跡 スポット 20選
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白鳥古墳 付陪塚及び周濠
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
熊毛郡平生町にある白鳥古墳は、古墳時代中期の前方後円墳。 規模は、全長120m、後円部の 径64m、高さ 11m、前方部の径60m、高さ8.5mで、山口・広島地域で最大といわれています。 塚の上を覆った葺石が全面に見られ、円筒埴輪が立ち、陪塚(大きな古墳に近接した近親者や従者を葬ったといわれている小さな古墳)があります。 この古墳がある丘の東側の部分には、幅20.8m、深さ2.1mの周濠(周りのからぼり)があり、この周壕を含む約8,000?の地域が県の史跡に指定されています。 なお、この古墳からは
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白鳥古墳 付陪塚及び周濠
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
熊毛郡平生町にある白鳥古墳は、古墳時代中期の前方後円墳。 規模は、全長120m、後円部の 径64m、高さ 11m、前方部の径60m、高さ8.5mで、山口・広島地域で最大といわれています。 塚の上を覆った葺石が全面に見られ、円筒埴輪が立ち、陪塚(大きな古墳に近接した近親者や従者を葬ったといわれている小さな古墳)があります。 この古墳がある丘の東側の部分には、幅20.8m、深さ2.1mの周濠(周りのからぼり)があり、この周壕を含む約8,000平方mの地域が県の史跡に指定されています。 なお、この古墳からは
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上関砲台跡(室津日和山、長島東山)
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
江戸末期、毛利藩は外敵からの防衛の為に要所に砲台を築造した。上関海峡の両端(室津日和山、長島瀬戸東山)の丘にも砲台が築かれ大砲が備え付けられた。嘉永6年(1853)2月に吉田松陰が江戸へ行く途中、室津の日和山の砲台場を見学した。 慶応二年(1866年)四境戦争の際、六月七日に幕府海軍の軍艦富士山丸は上関沖に現れて室津白浦を砲撃したがこの両砲台からの反撃はなかった。
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石城山神籠石
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
巨石を一列の帯状に並べた古代の土木工事の遺跡は、古代の神域なのか?それとも山城跡なのか?古代のロマンを巡る謎。 石城山の八合目辺りに約2.6?に渡って巨石が鉢巻状に山を取り巻く謎の古代遺跡です。 国指定の史跡ですが、いつ、誰が、何の目的で構築したかは不明で、周防古代史を解明するうえで貴重な遺跡です。 東西南北にはそれぞれ、人がやっと潜れるぐらいの水門が設けられており、「山姥の穴」と呼ばれ、伝説が残っています。 近くには国指定重要文化財「石城神社」、第二奇兵隊練兵場跡等があります。
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後井古墳
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
後井古墳群は、山陽本線田布施駅から西北西約2?の標高約62mの丘陵にあります。 秋葉山古墳とも呼ばれ、東を第1号墳、西を第2号墳とするニ基の円墳が裾を交えた状態で並び、別に第3号墳がその南南西約30mの地点にあります。 いずれも横穴式石室をもつ円墳。
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国森古墳
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
国森古墳は、田布施川に臨む標高約41mの丘陵の突端部に造られた古墳時代初期の、方形に土を盛り上げた方墳。 墳丘の規模は、南北は約27.5mと見られ、東西は張り出し部を含めて約30m、高さ約4m。 頂上の部分には南北の長さ8.6m、東西の幅6m、深さ約1.5mの二段掘りの大きな墓穴が掘られ、粘土の床の上に箱型木棺が納められていました。 多数の副葬品から、3世紀の終わりころもしくは4世紀前半に造られたと推定されます。
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飢民の供養塔(大恩寺)
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
享保17年(1732年)、ウンカの異常発生によって西日本一帯は大凶作となり、庶民は飢えに苦しみました。ことに周防の国は悲惨で、備蓄用の倉を空にしてもなお手の施しようがなかったと言われています。飢民の供養塔は、この時の幾百人の餓死者を弔うためのものです。
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納蔵原古墳
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
大波野の誓立寺から北西に約150m、通称納蔵原の丘陵上にある前方後円墳で、石室は両袖式でほぼ南西方向に開口している。出土品は町郷土館に展示、保管されている。
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天王原古墳
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
大波野の丘陵の西側段丘崖面にある。横穴式石室を内部主体とする小円墳で、金環、鉄斧、鉄鏃、須恵器などが出土している。出土品は町郷土館に展示、保管されている。
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稲荷山古墳
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
竹部の稲荷山山中にある。横穴式石室を内部主体とする小円墳である。玄室部に稲荷社がお祭りされている。
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石走山古墳
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
通称、石走山山頂近くの緩斜面にある。両袖無形の横穴式石室をもつ小円墳である。玄室部には神花社がお祭りされている。付近には、なお数基の未発掘の円墳が存在している。
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木の井山古墳
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
川西地区に所在する。直径30m程度の墳丘をもち中期の比較的大型の円墳である。鉄製鍬、鉄剣、鉄刀、竪櫛等が発見されている。山口県では数少ない粘土槨を埋葬主体とする三体合葬の古墳である。
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岩田遺跡
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
岩田遺跡は、熊毛半島西岸の平生町にあります。 縄文時代中期から弥生時代、古墳時代後期までの長い時代にわたる遺跡であるが、縄文時代後期から晩期にかけての遺跡が主です。 比較的小規模な遺跡の多い西日本の縄文遺跡の中で、約6000?を越えるその規模は瀬戸内地方随一。 出土遺物で多いのは縄文土器で、灰黒色の磨研された浅鉢型や甕型の土器、石鏃、石錘、土偶、岩偶、岩版などのほか、ドングリの貯蔵穴群と甕棺墓が見つかっています。 現在、遺跡は保存のために埋め戻されて、見ることはできません。 出土品は、平生町歴史
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神花山古墳
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
神花山古墳は、平生町の田布施川河口東側にある標高 約39mの丘陵にある前方後円墳。 全長30m、後円部の径15m、高さ約2.5m。 5世紀前半に造られたものと推定されます。 また、女性が埋葬されている数少ない古墳です。
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鞍掛城跡及び古戦場跡
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
鞍掛山240mに築かれた中世末期の古城。 大内義隆時代の武将隆泰の居城であり、弘治元年(1555)毛利軍に攻められ落城しました。 古戦場跡には千人塚があります。
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毛利元就公歯廟
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
2基の宝篋印塔。 毛利元政が、父元就の33回忌に元就の歯をお墓に納めたものです。
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呼坂宿駅本陣跡
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
関戸(岩国)、玖珂、椙杜、今市に次ぐ近世山陽道の宿駅です。
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潮音洞
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
漢陽寺本堂裏にある灌漑用随道。 藩政時代最初の水利工事の遺跡で、この人工水路の取水口から洞入口まで270m、洞の長さ88m。 これによって周囲の耕作地を大いにうるおしたといわれています。
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五条の千本桜
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
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福川本陣跡
山口県 岩国・柳井・周南
- 史跡
福川本陣は、初めは藩主の領内巡視や参勤交代などの休憩所であったが、享保6年(1721)幕府の参勤交代における随行員制限令が発せられ、山陽道においても海路から陸路による通行が激増し、幕府の要人や西国大名などの宿泊や休憩の場所を提供する重要な宿駅としての役割を担うようになった。現在の本陣門は,天保9年(1838)に建て替えられたものである。昭和48年に市指定文化財に指定されている。
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